#4 白と黒の妖精


 アルビナの言う事はつまり、『自分達は奇跡を起こせるから、痛い目を見たくなかったら手を出すな』と、人間の側にそう警告して侵略させまいという事だろう。

 けど、たとえ俺がそれを人間に伝えたとして、人間がそれを信じるかというと甚だ疑問だ。

 実際に何かが起きるわけでもないのだ。嘘だと確信して攻め入ってくるのではないだろうか? そう、俺がそう感じたように。

 彼女が巫女というその言葉すら嘘のように感じた。彼女の着ている服は確かに村の誰とも違っているけど、巫女というには質素に思えたからだ。

「嘘?」

 呟いて、俺は胸に支えていた予感をもう一度確かめた。

 それは、果たして嘘なのだろうか? ふとそんなことが引っ掛かった。

 奇跡……とはいかないまでも、アルビナは予言じみた言葉をその中に残した。風が、街に被害を及ぼすというのだ。虚勢を張るための嘘であるにしては、それはあまりにも具体的すぎた。もし本当に起きたのだとしたら、確かにそれは奇跡と呼ぶに相応しいものかもしれない。

 月の森が守ってくれるというラティエのルフェの台詞。それを信じるわけではないが、本当に奇跡が森を守るのだとしたら、人間達には既にその“奇跡”の一端が起きているのではないかと、……根拠も何もない事なのにそう思えて仕方なかった。いや、俺はそう思いたかったのかもしれない。


 アルビナは奇跡を起こせる


 信じるにはあまりにも誇大過ぎるが、アルビナ自身が確かにそう言った。そしてアルビナの言う事が本当なら、その奇跡はもう起きている筈なのだ。風は、俺がラティエに辿り着く少し前に通り過ぎたと、彼女は言っていた。

「……どうにでもなれ!」

 散々迷った挙げ句、俺は報告の為の紙に彼女が言った“予言”を正確に書き綴り、偽り無い本当の村の様子に添えて、イピの足に結んだ。

 伝書の為に訓練されたイピというその鳥は、最初はこの森の天井の大きさと厚さに戸惑いながら、空へと飛び立っていった。

 イピは俺の抱えた不安も一緒に、砦にいる隊長のもとへ届けるだろう。……イピが緑の天井を抜けた頃になって、後悔が沸き上がってきた。けどもう引き返せない。俺はきっと、そういう場所に歩を進めてしまったのだろう。

「ナッツ! そろそろ引き上げるぞ!」

 遠くから声が聞こえる。それは木の実を取りにやってきたラティエのルフェ達である。

 子供の身でこうして狩りや採取に加わるというのは、うまく溶け込めているというのではなく逆に目立つ行為であったが、それがまたこうして伝書を行うのに適したカモフラージュとなってくれる。

 見つからない自信がある。今まで泣きながらもその訓練を受けてきた。

 見つからない。平和ボケしたラティエの連中には、絶対見つけられない。

 それがまた彼らを裏切っているようで、俺の心を重くした。

「……りょーかいっ!」

 俺はその重みを晴らすように叫び、太い枝が複雑に絡む大木をするすると降りる。三分の一程まで満たされた籠にさらに二つの柑橘を放り込むと、俺は籠を背負い、村の連中がいるであろう場所まで走って行った。



 籠は当然一番にチェックされる。……というか、村に帰って成果を数える前に他の奴らに中身を見られる。

 新入りだからそれは覚悟していたが、背中の籠を上から覗かれるその姿勢に……背が低いのを馬鹿にされているような気配があるのには腹が立つ。

 ただでさえ借りた装束はブカブカだ。上着やズボンはともかくとして、肩掛けとフード、靴と脛当て、それに道具を携帯するためのベルトや収穫を入れるための籠に至るまで、使う道具の全部が大きい。

「んー」

「ナッツは狩りやらせたらうまいんだろうけどな」

「ま、果物取るとなるとこんなもんか」

 ……………馬鹿っツラ野郎め。こいつらは絶対気付かない。

 後ろめたさから苛立ちに変わった感情を、俺はどうにか抑えた。

 ラティエでは、男達が採る木の実や野草を生活の糧としている。

 人間達が闇夜森と呼ぶ深い森も、彼らにしてみたら月の森。季節と、その時に実を付ける木の位置を把握してさえいれば、この広大な森の全てが果樹園と同じというわけだ。木の実だけではなく、山菜やキノコや根菜、そして薬に至るまで彼らは把握している。

 人間からは「入ると出られない迷いの森」とされる程の森である。俺がラティエにやってきた時でさえ木の実はほとんど見られなかったのだから、原始的と簡単に切り捨てる事の出来ない高度な知識と術なのである。

 が、俺の目にはやはり、ここのルフェ達が哀れに映った。

「森を傷つけちゃならん」

 と、長老が言っていた。それは木々に神が宿るとかいう信仰的な禁則でなければ、森が人間の侵入を阻むという計算された理屈からでもない。

「我等が森を汚したとき、ルフェは穢れに染まりきってしまう」

 今でも、ラティエのルフェ達は自分達の先祖だといわれる妖精の姿を追いかけていた。お伽噺にあるように、彼らは決して森を傷つける事無く森に暮らし、そして森の奥へと姿を消した。

 詩人は謡う。ルフェは悪事を働き黒肌に穢れてしまったが為に、同族であるはずの妖精達に見捨てられたのだと。

 ラティエのルフェ達がこうして森に住み、自生する木に登り、必要な分だけの果実を採って暮らしているのも、妖精達の真似事だ。そうしていれば、己の罪が浄化され、いつか妖精達の世界へ行けると信じているのだろう。

「ナッツは妖精なのさ。採りすぎないようにしたんだよな?」

「いや、靴が大きくて登れなかったんだろ」

「今度しっかりしたの作ってもらえよ」

 ………………………………

 馬鹿な話だと思う。

 例えば道具がそうだ。ルフェのベルトには小振りのナタをはじめ、採取に必要な道具が一式揃っているが、当然ながら妖精達がそんなものを使っていたなんて話は、どんな童話や伝承にも聞いたことがない。傷つけてはならないと言いながらも、邪魔な枝を落とし果実を捥いでいるのだ。無論、そうしなければルフェ達が生きられないからなのだが、俺にはそれこそが、ルフェが妖精側ではなく、所詮人間の亜種でしかないことの証のように思える。

 その一方で、彼らはまるで鳥が巣を作るように、森の虚の中に部屋を作る。当然そんな大きな虚など自然にできあがりはしない。家屋を造るのは、職人ではなく魔法使いの仕事だ。

 それは人間達の魔法使いのように、火を起こしたり水を操ったりするのとは大きく異なる。要するに操るのは樹木――それも苗木なんかを、十年もかけて人が住めるくらいの虚を持つ巨木へと育てていく。虚に人が住めるようになると、家具も必要になる。それらは死んでしまった樹から造られる。木の他に、土や石や獣の皮、一年で枯れる蔓も材料となる。しかし、鉄だけはどうしようもない。それだけは、年に数度森の外に訪れる商人に頼っている。

 思うに、語られている妖精のように生きていくのは不可能だろう。いくら話に登場していても、それは空想でしかない。

「木の実に手が届かないのはどうしたらいいもんかね?」

「樹を思いっきり蹴飛ばしてみなよ。結構落ちてくるぞ」

「いやいや、俺等が落とすのを下で拾った方が早い……っおわっ!」

 通り過ぎていく男達の、最後の声は悲鳴だった。

 何故悲鳴なのか。それは追い越していくその男の脚を、俺が引っかけてやったからだ。

 しかし盛大に転がる男とは裏腹に、彼の背負った籠から零れたのは果実が三つだけだ。

「……なんだ。アンタも大したこと無いじゃん」

「なんだとこんガキっ!」

「ほらっ!」

 背後からの声は無視して転げ落ちた果実を拾い、そいつの方へと放ってやる。彼は自分の僅かな成果を逃すまいと、立て続けに投げられる果実を抱えるように受け止めた。

「受けるのは上手いな。……ペア、組んでやってもいいよ。

 アンタが下でな」

 ……大喧嘩になったのは言うまでもない。




「……それで今度は痣とタンコブ?」

「そーだ!」

 包帯は取れてもかさぶたの残る右手首をチラリと見てからアルビナが尋ねてきたので、はっっっきりと俺は肯定した。俺は少ししか悪くない。

 アルビナの肩が一度大きく上下した。

「半年したら腕が無くなっちゃうよ?」

「そんなわけあるか」

「前の傷だってまだ治ってないのに」

「もう痛くない―――ぃぃぃぃぃぃいい痛い痛いっ!」

「ほら、まだ治ってない」

 ……痛くないわけがない。アルビナが掌でぐりぐりしているのは、頭に沈んだタンコブ……エシンのゲンコツの跡だ。気合の入ったゲンコツを毎日毎日毎日それも決まって同じ箇所に落としてくれる。……エシン夫妻は「子供がいない」んじゃなくて「生まれたそばから殴殺してきた」んじゃないかと俺は疑い始めている。

「叱られた分もちゃんと直さなきゃ。悪いことした時は、そうして許されていくんだから」

「喧嘩ぐらい何だよ」

「……ナツェルが悪くないって思うなら、あたしも喧嘩を叱ったりはしない。でもこれは約束して。絶対に同じ人と喧嘩しちゃ駄目」

「はぁ?」

「一度喧嘩したなら、……ずっと後でもいいから、その人とは仲良くして」

 ……非常に難解な要求。遺恨は残るものだ。

「出来るわけねぇよ、そんなの」

 そっぽを向いたらアルビナは黙ってしまった。

 沈黙が続く。

 森の枝葉が騒めく音が嫌に大きく聞こえる。もやもやした気持ちが意固地になって胸の奥で固まってしまったような気がした。

 ………………

 ずっと、

 ………………

 ずっとそんな沈黙が続くのかと思った。

 逸らした目の外でアルビナが泣いているかも知れないなんて事も考えた。泣いてたらどうしよう、とか……

「だって! 最初に言ってきたのはアイツなんだぜ? 俺よりも採ってないくせに下手くそだって言って――――――

 ―――――――――ぃぃぃぃぃぃぃぃぃいい痛い痛い痛い痛いっっ!」

 言い訳しようと振り向いた先にアルビナは居なかった。代わりに重さだけが鮮烈な痛みが再び襲いかかる。

「約束して! でなきゃ、タンコブが凹むまでやる……!」

「あああ!いいいいい!する、約束するから! ごめん、ホントにごめんでしたっ!」

 結局、謝る声をはっきり聞くまで、彼女は頭を離してはくれなかった。……アルビナがかなりの強情だというのを知った。……今後気を付けよう。

 どさっと草の上に寝転がる音、そして、お互いの息を整える音……それも無くなると、辺りは何の音も聞こえなくなった。

 いや……そんな微かな音ですら、この夜の中では騒ぎ過ぎていた。

 音は無くならない。虫の声、葉擦れの音、水面の波立つ微かな音まで。俺達が音を立てなければ賑やかなほどにそれは聞こえてくる。

 アルビナと話す夜は、こんなにも音に満ちている。

 それでも、アルビナの声だけが俺にとって特別だった。

「ねぇ?」

「ん?」

 草に寝転び、お互いの姿も見えないまま、俺達は夜空だけを見上げていた。

「もし人間と暮らすのが嫌なら、ずっとこの村に住めばいいんだよ」

「………」

 おかしな事を言うんだなと思った。

 隣にいるのはアルビナ。アルビナだから、この泉で出会う彼女だから、そんな言葉も許せた。

「俺はこんな村、キライだ」

「人間の街にいるより?」

「………」

 そう聞かれて、俺は何も言えなくなった。

「人間の街って、そんなにいい所なの?」

「アルビナはどうなんだよ。こんな村が、そんなに好きなのか?」

 俺は話題を誤魔化す為に、聞いてきたことをそのまま返した。

「……あたし、ラティエで育ったから」

 ……その声に違和感を覚えた。名前を尋ねたときにも彼女はそんな声をしていた。

 空を見上げたまま姿の見えない事に急に不安を感じて、俺は上半身を起こしてアルビナの方を見た。彼女はぼぅとした表情で空を見上げていた。俺の事に気が付くと、手を伸ばして、微笑んだ。「繋ごう」と、表情とその手が誘っている。

 理由のない不安を隠しきれないまま、俺は彼女の白い手を強く握った。アルビナはもっと強く握り返した。

「大丈夫だよ」

 とアルビナは言った。

「ナツェルは、ここにいるのが自然なんだよ。人間の街に帰る事ないよ」

 この間来たばかり。そんな俺の素性を知っていながら、彼女は引き止めようとする。この村に繋ぎ止めようとする。

 それが、何だか俺には無図痒いくらいに有り難くて、同時に不思議とも感じた。

 きっとアルビナは森の外を知らないんだと思った。もっと楽しい事を知らないから、この小さな村でさえ素敵に感じるんだろう。

 だったら……

 いつか見せてやりたい。

 アルビナに、外の世界を。俺もまだ本でしか見たことのない、広い世界や不思議な風景を。

 ああ! それはどんなに素敵だろう。

 未だ半月には届かない月を見上げながら、俺はそんな事を考えていた。

 あの月が、欠けて欠けて、小舟になったならば……


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る