第十一話 危機一髪
「な、なんだぁ?」
先に入ったワタルがリビングの扉付近に立ち、あぜんとつぶやいた。
その肩越しに、哲哉はおそるおそる中を覗く。
そんなふたりを迎えたのは、部屋の中央でじっと天井をにらんでいる弘樹の姿だ。
人質は? 犯人は?
何が起きているというのか。
「おお、やっと着いたか」
哲哉たちに気づいた弘樹は、おおかたの予想を裏切り、指を二本こめかみに当て、ケロッとした顔であいさつした。
「ひ、弘樹。なんだよ、その格好?」
哲哉は、まだ事態がのみこめない。
トレードマークのタンクトップにバンダナはいつもと同じだ。
だがその右手には丸められた新聞紙、左手には殺虫剤のスプレー缶を持っている。そして足元にはスーパーの袋と、なぜか割り箸。
くわえタバコで顔だけ動かして、じっと何かを捜している。
いったい何をしようとしているのか。哲哉はなぜかいやな予感と共に、徐々に全貌が見えてきた。
「そこだ!」
突然弘樹がさけんだかと思うと、哲哉とワタルに殺虫剤のノズルをむける。
「わっ!」
びっくりして手を挙げるワタルと、それにしがみつく哲哉。
ふたりの立っているすぐそばの壁にむかって、弘樹は殺虫剤を噴射した。
そしてしなやかな動きでバシッ! とすかさず右手の新聞紙で壁をたたく。と同時に何かが床に落ちた。
その横で哲哉とワタルは、ゴホゴホと咳をする。
「ほら、また仕留めたよ。我ながら完璧な新聞さばきだ。だからもう怖がらずに出ておいで」
弘樹は寝室のドアを開け、隠れている人物にニッコリと呼びかけた。
そこには両手で体を抱え、ベッドの上で硬直している沙樹がいる。
弘樹のみならず、ワタルと哲哉の顔を見て、少し落ち着いてきたようだ。
沙樹はまだ青ざめてはいるものの、やや安心した顔つきでリビングをぐるりと見ながら、恐る恐る出てきた。
「沙樹、大丈夫か?」
ワタルは姿を見るなり、そばに走りよる。
沙樹は安堵のあまり膝の力が抜けたのか、ワタルの腕に支えられた。
「ワタルさん。わざわざ帰ってくれたのね。でもやだな。なんか話が大きくなっちゃって……」
頭をかき、天井を見上げながら、ばつが悪そうに沙樹がつぶやく。
「何があったんだ? いったい」
ワタルの質問に、沙樹はうつむいたまま何も答えない。
哲哉は弘樹がたたいた壁を何気なく見た。そのちょうど真下に黒い物が落ちている。よく見るとそれは――。
「えーっ? ゴキブリぃ?」
「そうなんだ」
弘樹は涼しい顔で答えながら、壁の前にしゃがみこんだ。そして割り箸で死骸をつまみ、スーパーの袋に放りこんだ。
「さっきから何匹退治したかな。えーと……いち、に……」
「数えなくていいって!」
指折り数えはじめる弘樹に、哲哉は声を張り上げる。
興奮がおさまるのと同時に、哲哉とワタルにも少しずつ事態が飲み込めてきた。
「西田さん。電話かけたときに上げたあの悲鳴は、ひょっとして……」
哲哉が横目でにらみながら言う。沙樹はおずおずと答えはじめる。
「ごめんなさい。Gがたくさん出てきたんで、つい取り乱しちゃって」
(『G』? 名前を口にするのもイヤか)
哲哉は心の中でため息をついた。
「じゃあ、途中で電話が切れたのは? その場ではっきり話せば、こんなに大きなことにならなかったというのに……」
ワタルは呆れたように腕組みして、沙樹に問いかける。
「あれね……目の前の壁をGが横切ったのよ。パニッくってスマホを落したら、その拍子で切れてしまったの」
「すぐにかけなおせばいいじゃないか。おかげで哲哉の妄想が膨らんで、こっちは焦るどころの騒ぎじゃなかったんだぞ」
ワタルは哲哉を横目で睨む。
「だって、スマホのすぐ近くに二匹いたら、拾うなんてできないでしょ」
沙樹はすまなそうに頬をかいた。
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