第十話 シャーロック・哲哉・ホームズ

 文字どおり暴風雨だ、とハンドルを操作しながら哲哉は感じた。


 大粒の雨がたたきつけるように降り、舗道の木立は強風に太い枝を揺さぶられている。

 ゴミ箱がひっくり返って今にも道の真ん中に転がってきそうだし、枯れ葉がフロントガラスにへばりつきそうで怖い。

 バラバラという雨音と葉のざわめきが、ふたりに否応なく悪い予感を起こさせた。


 バケツをひっくりかえしたような雨はフロントガラスにもたたきつけられ、視界もおぼつかない。

 これでは制限速度を出すことも無理だ。


「到着まで四十分といったところか」


 哲哉のつぶやきに、ワタルは静かにうなずいた。


 いつもは寡黙ではないワタルが、青ざめた顔で両手を組み、じっとうつむいている。

 バンドのリーダーとしてテキパキと仕事をこなすワタルが、沙樹のこととなるとそれができない。

 無理もない。遠回りを重ねてやっと両想いになれたふたりなのだから。


(それでも取り乱さないのは立派だぜ)

 台風直撃の中で慎重に運転しながら、哲哉は改めてワタルに尊敬の念を抱いた。


「あまり深刻に考えるなよ。大丈夫だって。弘樹はすぐにようすを行くっていったんだろ」

「ああ、そうだな。弘樹なら安心してまかせられる」


 ワタルは自分に言い聞かせるように答えた。




 マンションの地下駐車場に車をとめて、哲哉とワタルは急ぎ足でエレベータにむかった。

 ここもすでに停電は復旧されて、灯りが普通についている。一基が最上階でとまっているところをみると、弘樹はすでに到着したと思って間違いないだろう。


 ふたりは少し気が休まったが、安心するにはまだ早い。


 地下にあるもう一基のエレベータで最上階まで上がり、ワタルは自分の部屋の前まで走った。

 そしてドアノブに手をかけようとすると、


「待て! 今この中で何が起きてるかわからないんだ」


 哲哉は小声でワタルのはやる行動を抑え、部屋の前で中のようすを観察しはじめた。


「玄関付近に争ったあとはないな。てことは、相手は西田さんの知り合いかもしれない。

 あるいは宅配か何かを装って玄関を開けさせた……いや、こんなときにそれはないか。となると、


 だが沙樹とワタルがつきあっていることはトップシークレットだ。沙樹の自宅ならまだしも、ワタルの自宅に沙樹を訪ねてくる人物がいるとは思えない。

 では最初に考えたように、、と考えるのが妥当か。


「哲哉、シャーロック・ホームズのつもりか?」

「しーっ、あせるなって。もし中でふたりが人質になってたらどうするんだ? もっと状況を把握してから動かないと、後悔することになるかもしれないぜ」


 哲哉はドアに耳をあて、中のようすをうかがう。静かで物音ひとつ聞こえない。

「でも人がいる気配はする。まさかふたりとも犯人に縛られて……」


 いくらガタイのいい弘樹でも、沙樹が人質に取られていたら手も足も出ないだろう。

 と、そのとき。


「いやあー!」


 沙樹の大声が中から響いてきた。


「沙樹!」

「ワタル、あせると人質が!」


 哲哉はあわててワタルをとめようとした。

 だがそれよりも早く、ワタルは部屋のノブに手をかけた。


「何やってるんだよっ。そんなことしちまって……最悪の状態じゃないか」

 哲哉は苦悩をにじませてつぶやきながら、ワタルに続いて中に飛び込んだ。

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