第16話 古の英雄は帰れない

「誰か、ここ最近のオーロライン国の貿易書類を持っていないか!?」


「オーロライン国は持ってきていません。あるなら、保管室の右奥の棚にある筈です。」


周囲の騒々しさが耳に障る。


「リシャーン王国の関税の見直しできました。」


「…ここ、ここも間違えておる。これはマルタ王国との貿易では無かったか?リシャーン王国と真珠は取引しておらんはずだぞ?」


「え、そんな…。あ…。」


「やり直せ。ああいや、マルタ王国は我に回せ。」


既に一昼夜、誰も休んでいない。

どころか、慌ただしく動き回っている者が多い。


「皇太后陛下。この書類をご確認の上、サインをお願いします。」


「あい、分かった。…おい、なんだこれは?誰が婚姻の未届け人をせねばならんのだ!?」


「え?あ、違います。裏です裏。」


「馬鹿者!!重要な書類であろう!!使いまわした紙に書くな!!」


「え、え、あ。申し訳ありません。」


「そなたは休め!!腹を満たして寝室に行け!!」


「出来ませぬ!!仕事が!!書類が無くならないんです!!」


「知らぬ!!一度休んで出直してこい!!」


「ご慈悲をぉ!!」


五月蠅い…。

ぬ、書き損じた…。

い、いや。まだ、修正可能だ。

リズを思い出せ。

ここを…こう。


「きゃ、す、すみません。ガルム伯。」


駄目だ、書き直しだ…。


「構わん。汝こそ、大事無いか?」


「へ、平気です。大丈夫です。身体は頑丈なので…。申し訳ありません。」


綴じられた書類を両脇に抱えた女性文官が離れていく。


「ガルム伯。この書類とこの書類の確認をお願いします。」


「分かった。」


バルリア王国との関税軽減におけるリゼンダ皇国の食糧問題。

リゼンダ皇国所有の鉱山の一部を共有化する際の配当。

既に一月以上経つであろう、愚か者共の失態。

それに伴うリゼンダ皇国の損失は計り知れないほどに大きくなってしまった。


「バルリアの食糧問題は以前から知っているが、なんなら難民の一部をこちらで請け負おう。500人だ、500人に制限を掛けて再交渉しろ。この麦の量はいくら何でも無理がある。候補地はこちらで決める。配当自体はこのままで構わん。アマリアに回せ。」


「畏まりました。ですが、再交渉は…。」


「吾が行く。バルリア王国の使節官に空いた日時を確認しておけ。」


「申し訳ありません。」


「構わん。こちらの失態だ。これは汝では決められんだろう。気を落とすな。だが、虚勢を張っても良い、可能性を求め視野を広げれるよう努めよ。これを失態と思うな、良いな?」


「は。精進いたします。」


「良し。」


文官の質は決して低くない。

吾は平気だ。

だが、皆、すでに幾日もまともに休息を取っていない。

アマリアが原因だがな…。

頑固さは吾が知る中で一番であろう。


「ご報告いたします。マーマイン伯爵がお戻りになられました。」


「通しなさい。」


酷くやつれてしまった老人が一人、部屋へ入ってくる。

疲れた顔とは裏腹に、通る声で報告を始める。


「失礼いたします。皇太后陛下、無事交渉を終えました事をご報告申し上げます。リーゼン海皇国とは問題御座いません。ガルム伯、貴女のおかげで事なきを得ました。感謝の言葉しか御座いませぬ。」


「ご苦労、マーマイン伯。そなたはとにかく休め。明日の朝、またここに来てくれ。」


「いいえ。航海時に休息を得ております。この非常時に休むなど…。」


「汝はこのマーマイン領を治めているが、海を侮ってはおらんだろう?身体に支障をきたす。皇太后陛下の命に従え。」


「ガルム伯、しかしですな…。」


「その通り。マーマイン伯、そなたの疲れは見て取れる。いくら順調とはいえ、航海の疲れは中々取れぬ。それも2巡しておるのだ。誰もが辛いことを、そなたは志願してくれたのだ。そなたを悪くなど誰も言わん。いいから、休め。」


「も、申し訳ありませぬ。ご厚意に感謝いたします。皇太后陛下。」


「ああ、しっかり休め。下がるがよい。」


「は、有難き幸せ。失礼いたします。」


マーマイン伯にはまだ頼みたかったが…。

いや、マーマイン伯は老体に鞭打ってくれたのだ


「助かった…。これで、制限を掛けられたらヤバかった…。」


「食糧問題が一つ片付いた…。あ、じゃあこれ廃棄しても大丈夫か…。」


「え?あ、それ、違う!!」


「え?おわっ!!これ、これ証明書!!グシャッてしちゃった!!しわがっ!!」


「伸ばせ伸ばせ。重いもん上に載せておけ。」


「ああ。ああ、駄目だ…。やっちまったぁ…。」


「まだいけますよ。大丈夫大丈夫。」


皆、確認能力が無くなってきている。


「畜生…それもこれもあいつらが…。」


「バッカお前。」


「むぐっ。」


口ずさんだかのような文官の愚痴を、アマリアは逃さない。

眉間をもみほぐす様にして、怒りを抑えている。

サッと顔色を青くした文官が謝ろうとした時…。


「た、大変です。大変です。」


これ以上、何があるんだ…。

扉を勢い良く開けたせいで、室内に風が起こる。

幾つかの書類が宙を舞い、地に落ちていく。

室内にいる皆の視線は既に、扉の先にある。

幾つかの殺意を孕んで…。


「聞きましょう。その場で報告なさい。」


アマリアも既に、殺意が増している。

だが、表情は何ら変わらない。

人の表情とは、感情と切り離せるのだと…よく理解できる。


「…。」


室内の雰囲気を感じ取ったのであろう乱入者は、暗部の人間であった。

汝は暗部失格では無かろうかと…出会ってから思っている。


「レイン、早く話せ。汝の落ち着きを待つほど、吾らは暇ではない。」


「ひっ。す、すみません。殺さないで…。」


リゼンダ皇国とリーゼン海皇国の境目で現れた海洋生物を退治して以降、妙に恐れられている。

口癖のように「殺さないで。」と。

何故、吾が、汝如きを、殺さねばならんのだ?


「レイン、早くなさい。我も、そなたも、暇ではない。」


しっかりと区切り、含みを持たせるように話すアマリア。

形振り構っていられん状態で、限界を超えているな。

慌てて手に持った紙を渡そうか迷った挙句、その場で読み上げ始めた。

始めからそうしろ。


「ご、ご報告しみゃふ。だい、第一王子殿下が…王都で演説を行い…召喚者を勇者と認定致しました。はぁ?し、失礼しました。そ、そしれ、だ、第二王子殿下も翌、同じように演説を行いましたぁ!?場所は皇都学園の前。なんで!?こ、国王陛下はこれらの演説に意図はないと表明し、王都内にて御触れを出しました。意味ないじゃん!!一部の貴族からは表立ってではありませんが、反感を持たれております。当たり前でしょ!?そして、王妃陛下からは救援の知らせが…。無理でしょ!?何言ってんの?この雰囲気よ!?」


最早絶句どころでは無かった…。

まだ、最悪の予想の2歩手前と言ったところか…。

一月前に来た知らせ…第二王子も禁忌に触れた。

対抗心という名の、出来心で。


これで、貴族の派閥関係は大きく変わるだろう。

そして、二人の王子の処遇はどうするか、召喚された者をどう扱うか。

まぁ、召喚された者の実力が整ったのやもしれんな。

使い様があるあらば…まだ対策も有ろう。


さて、アマリアが呟いた「もう知らん。我隠居、国王に丸投げ作戦。」とか言っていたのをするつもりだろうか…。

「皇国が無くなるぞ?吾との約束を破り捨てるつもりか。」と脅しはしたが…。


最早、アマリアに表情というものは消えていた。

いや、無くなっていた。

昔は知らんが、さぞ美しい姫君だったのであろう。

以前ヴェルが言っていた「年を召した美しさ」というのが、良く分かる。

吾は駄々を捏ねている時の方が、人間味があって良いがな。


「皆、少し休息を取ろう。リジー、いるか?」


「ここに。」


「皆を別室へ手配し、休ませよ。吾らはここで休息を取る。後で茶と、何か小腹に入る物を用意してくれ。」


「畏まりました。さ、皆さま。お部屋へご案内いたします故、お立ち下さいませ。温かな紅茶とマーマイン領名物をお持ちいたします。ささ、どうぞこちらへ。」


リジーの働きにより、生気の抜けた文官たちはぞろぞろと部屋を退出していく。

心が折れぬ事を願うしか、吾には出来ぬ。許せ。


アマリアの傍に行き、握りしめて潰れてしまったペンを机の端へ寄せていく。

吾が近づいた加減か、感情が戻ってきたのであろう…。

震えだした。

それはもう、小刻みに。


アマリアの目の前に手のひらを掲げる。

呼応したかのように、アマリアの渾身の拳が手のひらに収まる。

音は大きいが、痛みはまるでない。

が、汝の痛みは分かるつもりだ…。

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