第12話 異世界の転生者は泣いてしまう

前世の私には、いつか一度で良いからしてみたいことがあった。

旅行。

特にこれと言って、見たい観光地などは無かったけど…。

免許は持ってなかったから、電車に乗って知らない所へと行ってみたかった。


「お嬢様少し肌寒いですので、これを。」


雲一つ無い、満点の星空。

焚火のほんのりとした温かさ。

そして、皆の楽しそうな笑い声。


「お嬢様、どうかなさいましたか?」


軽く肩に触れられて呼ばれているのに気付いた。

今の私は、お嬢様だったね…。


「ごめんなさい。少し考え事をしていたの。」


「そうでしたか、申し訳ありません。」


「いいの、気にしないで。」


「畏まりました。お嬢様、宜しければお茶をお持ちしましょうか?」


「そうね。お願い、ウィンディ。」


「直ぐにお持ちしますね。」


何時の間に掛けてくれたのであろうストールを被り直す。

温かい。


「見て見て。」


メアリーの大きな声と、「おお。」っと護衛の人たちの歓声が聞こえる。

何をしているのか気になって、視線を移す。

手近にあった大きな岩を持ち上げているメアリーがそこにいた。

なにをしているの?


両手で身体以上に大きい岩を軽々と持ち上げている。

ファンタジーここに極まれり…。


「ふふ。少し教えたらもう覚えちゃったわ。」


私の頭を撫でながら耳元で囁かれる。

足音も近づく気配も全然分からなかった。


「ヴェル姉さん…何時の間に。」


「今さっきよ。それよりほら、あっちを見て。」


ヴェル姉さんの指先を視線で追うと、バルーク伯が上着を脱いで立っていた。

バルーク伯の目の前にはメアリー程ではないけれど、大きな岩がある。

まさか…。


「もう少しお年を考えて欲しいわ。」


「いや、止めましょうよ…。」


「聞かん坊だもの。エルメリア夫人の気苦労が分かるわ。」


聞かん坊…。

あ、頑張ってる。

少しづつ持ち上がってる、凄い…。

腰大丈夫かな?


「大丈夫よ。メアリー程ではないにしろ、ローランド様も魔力を扱えているわ。」


「でも…。」


「ふふ、いざとなったら私がいるから。それに、痛めたとしたら良い機会よ。そろそろ考えて行動しなさいって言えるから。」


「ヴェル姉さん…。」


あ、持ち上げた。

ちょっとプルプルしてるけど…。


「それより、リズ。どうして身体強化の魔法に気付いたの?私は一切教えていないのだけれど?」


頬を指先で軽くなぞられて、ビクってなった。


「え…えっと。」


「前世の知識から気付いたの?」


「は、はい。」


「そう。なら良いわ。それとウィンディ、盗み聞きはどうかと思うわよ?」


「申し訳ありません、ヴェルヴェーチカ様。」


ば、バレた?

ウィンディに?

私…。


「あら、ウィンディには話してあるわ。アーリィも了承済みよ。」


「え…なん、で?」


「ウィンディは私たちにではなく、リズ。貴女に忠誠を誓っているの。ねぇ、ウィンディ?」


「はい、その通りに御座います。」


「で、でも。そんな事…。」


「アーリィが許さなかったの。でも、ウィンディは凄いわよ?私は根負けしちゃったけど…。」


ウィンディがカップを手渡してくれる。

温かい紅茶が入ったマグカップ。


「アイリーン様に認めていただくために、何日もかかりました。」


「い、いったい何をしたの?」


「ヴェルヴェーチカ様からは侍女の振る舞いを徹底する事。そしてアイリーン様からは、リズベルタ様の護衛が出来る事。」


「ご、護衛?」


「はい。内容は割愛しますが…。アイリーン様に鍛えられました。」


「えっ!?」


「2年以上掛かってしまいましたが…。無事、アイリーン様に認めていただきました。」


「アーリィったら、容赦が無かったわ。」


「仕方ありませんよ。私が甘かったのですから。」


アーリィの鍛え方は尋常じゃないって聞いたことがある。

父から仕えている自警団の皆でも、逃げ出そうとするほどって言ってた。


「はっきり言ってあげるけど、今のウィンディはマーカスと同程度は強いわよ。」


「ま、マーカスさんと?」


自警団団長のマーカスさん。御年50歳。

アーリィを除き、本気のメアリーを唯一素手で治め込めるほどの実力者。


「まぁ、今のメアリーだったら剣を必要とするかもね。」


「ええ。メアリーさまの実力にあの怪力が加われば、少々手厳しいでしょうね。」


「ウィンディは?」


「まだ、可能かと。」


「えぇ!?」


にこやかに微笑んでいるウィンディ。


「お嬢様、ご安心を。以前申し上げた通り、私はお嬢様にお仕えすることを誇りに思っております。御身は必ずや、私がお守りいたします。」


「お願いね。侍女の本分を超えているけど、ウィンディたっての希望なの。リズ、ウィンディの心意気をどうか汲んであげて欲しいの。」


「ウィンディ…、なんで…。」


「うじうじすんなって、何回言えばわかるんだい。黙って、あたしに任せろ。いいな?それと、冷めちまうよ。」


急に姉御肌に戻るウィンディにびっくりしながら、紅茶に視線を落とす。

まだ、温かいけど少し冷めてしまったように思える。


「私ににも欲しいわ。」


「畏まりました。少々お待ちを。」


綺麗な礼を取って下がるウィンディ。

ギャップが凄すぎて…。


「ふふ。リズ、貴女は慕われているのよ。大事な事も教えてあげる。私とアーリィは、ウィンディに二つ約束しているの。何か分かる?」


「約束事?」


「そう、約束。」


「侍女らしく、護衛できる?」


「少し外れね。必ずリズを危険から守る事。ウィンディ自身が身を挺して死ぬことは許さない事。護衛は常に危険に晒されるけれど、死なないように務めるのは難しい…。だからアーリィは、徹底してウィンディを鍛え上げたの。」


ヴェル姉さんは私の正面に立って屈み、私と目線を合わせる。


「リズ、貴女は身近な誰かが死んでしまう事実に耐える事は難しいでしょう。私たちは、貴女に悲しい思いをさせたくないの。私たちだって、悲しい思いをしたくなんてない。ウィンディに貴女の事を教えたのは、信頼できるから。彼女は私たちの信頼に応えてくれたの。はっきり言って、アーリィの鍛え方は無茶苦茶だったけど…。それでも、乗り越えてくれたの。それだけ、彼女には強い意志がある。リズの為に。だから、貴女も応えてあげて欲しい。」


「私は…そんなに…良い人間なんかじゃ…。」


「あるわ。ねぇ、あの時の事を覚えてる?5歳になる前の事。」


「嫌でも…覚えてる。」


「私はアーリィを行かせたくなってなかった。何も外の情報を得られない中、死ぬかもしれないのに。でも、貴女は違った。私は正直に言うと…あの時の貴女に、えもしれない感情を持ったわ。嫉妬かしら?今でも、良く分からない。けれど、アーリィの意思を守ってくれた貴女に深い感謝と尊敬の念を持ってるのは、間違いじゃない。私は助ける存在で、助けられる存在じゃ無かったから…。それに、性格もねじ曲がってたしね。」


どこか悲しそうな表情で、私の手にヴェル姉さんの手が触れる。


「私に力が残っているなら、私もアーリィ共に行ったでしょう。けれど、無くなてしまった以上、アーリィの身の安全を先走ってしまった。アーリィの力がどれほど残っていたのかも判らなかったから。アーリィを…信じ切れていなかった。」


薄っすらと、綺麗な紅い瞳に潤いが溢れてくる。


「ごめんなさい。私が…信じ切れていれば…、お父様は助かったのかもしれない。私は…この後悔だけは…二度としたくないの…。」


ヴェル姉さんの瞳から溢れる涙が頬を伝っていく。

自然と…私の目頭も熱くなっていってる。


「アーリィも…ずっと…今も…後悔している。貴女に…リズに謝る機会をずっと…逃している。私だけ…先に謝ってしまって…ごめんなさい。」


私にだけでなく…アーリィにも、謝っているんだろう。

ヴェル姉さんが、ここまで泣いている所を…初めて見たのかもしれない。

でも、違う。

私は、ただ…。


「違うの…。」


「?」


「わたしは…ただ…たすけてって、いっただけ。」


「その言葉よ。大事だったのは…。」


「どういう…。」


「アーリィの欲しかった言葉よ。あの子の、前世の境遇は話したでしょう?勝手に祭り上げられて…勝手に期待されて…勝手に貶されて…勝手に使われて…。」


「…。」


「あの子はただ…守りたかっただけ…。身近な人たちを…。けれど、出来なかった。だから、自分以外の人で…そんな思いをさせたくなかったから…戦っていた。あの子は本来、そういう子なの。優しすぎるのよ…。」


「それは…知ってる。アーリィは…無愛想だけど…。優しいのは、よく知ってる。」


「ええ、そうよ。ただ、優しいだけなの。その優しさを、私は踏みにじってしまった…。でもリズが、貴女が救ってくれたわ。ありがとう、そしてごめんなさい。」


「ヴェル姉さん、謝らないで。わたし…いえ、私たちは幼過ぎた。だから…。」


だから…なに?

なんて言ったらいいの?

ヴェル姉さんの後悔の大きさは…その大粒の涙で良く分かる。

きっと…アーリィも…。


「お願い、お願いだから…。」


私からは何もできない。

ただ、お願いする…求める事しかできない。


「泣かないで…姉さん。」


泣いていて欲しくない…。

笑っている…優しく微笑んでくれているヴェル姉さんが、好きなの…。


「お父さん…言ってたよね。泣かないでって…。ずっと、みんなで笑っていて欲しいって。」


お父さんは亡くなってしまった。

けれど、最後に聞けた言葉は…あるんだ。


「病気は…どうしようも、ないよ…。けど、お父さんの最後の言葉は…聞けたんだよ?だから、姉さん、ヴェル姉さん。泣かないで…。」


「リズ…。」


「お願い…お願いだから…。」


もう、我慢できない…。

涙が止まらない…。


「リズ。」


そっと抱きしめてくれるヴェル姉さんに、甘える事しかできない。

私は何も出来ない。

求める事しかできない。

けれど。


ヴェル姉さんと、アーリィと、メアリー。

バルーク伯、エルメリア夫人。

ウィンディや…家人の皆や…領民の皆と…。

この世で…幸せを求めるのは…良いよね?


大泣きしてしまって…一緒に来てくれていた使用人たちに心配されて。

しばらくの間、四六時中甘やかされてしまった。

ちょっとだけ…私も後悔してしまった。

嬉しい後悔だから…良いかな…。

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