第5話 古の英雄は後悔を払拭する
ヴァンド辺境領は開拓の地である。
先代、つまりは私たちの父から開墾が始まった。
始まりは隣の領地であるターイン領が魔獣の被害にあった。
ターイン領は広い土地を活用し、麦の栽培が盛んな地として有名。
他にも家畜を多く有し、羊毛なども特産として知られている。
領を守る外壁の破損や家畜の被害はあったが、領民の被害は幸いにも少なかった。
父が指揮を執っていた自警団の活躍に因るのだと、家人から聞いた。
父を含む自警団は被害の後調査を進め、魔獣は現在のヴァンド辺境領の北西より現れたと結論が出た。
タ―イン領を治める男爵は寄親であるヘリアネン伯爵に助けを求めた。
その末、ターイン領…ひいてはヘリアネン伯爵の治める土地を守る意味合いを込めてヴァンド辺境領が急遽作られる。
元々、父は領主になどなりたくなかったそうだ。
気ままに暮らしたいと…。
ある意味、贅沢な生き方だと思う。
父はヘリアネン伯爵の三男として生まれ、育った。
だが、貴族らしくない振る舞いを沢山してはあれこれとやらかしてたと…。
気が付けば、剣と魔法にのめり込んで騎士を目指す様になっていたと…。
と言っても、剣の腕は平凡で、魔法に至っては最下級と言った腕前。
学園に入っても途中で退学を申し付けられるほど頭も良くなかったそうな…。
けれど、でも、不思議と…人が集まったそうだ。
人と接するのがとても上手な訳では無く、世渡りが上手い訳でも無く。
爵位を持たない平民や下級貴族には、とても好感が持てる人柄だったそうだ。
実質、ターイン領にいる自警団の半数近くは父の学友だったそうで…。
ヘリアネン伯爵はそんな父に目を付けて、領地を治めよ、と命令を出した。
ヘリアネン伯爵の長男は後継ぎとし、次男は予備として残され…。
三男である父が命じられた。
新たな開拓は常に死と隣り合わせだと知っていながらも、父に命じた。
父は困ったものの、それを知り駆けつけてくれる人がたくさんいた。
最初は拒絶したらしい。
死地へ向かうようなものだからと、諭すように…。
それでもついて来てくれる人たちがたくさんいた。
父は大泣きしたそうだ。
共に手を取り合う仲間と共に、厳しく、辛く、危険な日々が続いた。
領地を守る防壁を作り、住む家を建て、地を耕し…。
時には、襲ってくる魔獣を退治しながら。
亡くなる者もいた。
怪我で動けなくなる者もいた。
それでも、父たちは頑張り続けた。
重ねた苦労と苦心の末に出来上がったのが、ヴァンド辺境領だ。
父はヴァンド辺境領の領主となり、子爵位を授けられた。
主な特産品は魔獣の素材と、周辺に沢山ある切り倒した魔樹。
その裏話を家人から聞いた。
「実の所、ヘリアネン伯爵は父に期待などしていなかった。」と。
その答えとして、ヘリアネン伯爵の次男が領地を治めると言い出し、伯爵も便乗した事だ。
ほんの一時期の話。
けれど、ヴァンド辺境領ははっきり言って貧しかった。
とてもとても、贅沢な暮らしをしていた者には耐えられるものでは無かった。
それに加え、未だに魔獣が襲ってくることもある。
次男は直ぐに逃げ出し、ヘリアネン伯爵領へ帰っていった。
何しに来たのやら…と父は皆と笑ったそうな。
父はヴァンド辺境領の…付いて来てくれた領民の為に、身を粉にして働き続けた。
回りの者が諫めようとも、働き続け挙句には過労で倒れた。
献身的に、父を介護してくれた女性がいた。
仕事をしようものなら、怒られて。
ベッドから抜け出そうとするのならば、殴られて…。
挙句の果てには太縄でベッドに括りつけられたらしい。
献身とは…何ですか?
父はその人と結婚した。
何があったのやら…。
家人はその間の事を教えてはくれなかった。
いや、そこを知りたいのだけど?
そして、私たち姉妹は生まれた。
三つ子で生まれた。
長姉ヴェルヴェーチカ、私はヴェル姉さんと呼んでいる。
次女リズベルタ、私だ。
三女アイリーン、アーリィと呼んでいる。
父は、それはもう舞い上がる程に喜んだそうだ。
領民も諸手を挙げて、大宴会を開いたそうだ。
それはもう、自分の事の様に喜んでくれたそうだ。
けれど、幸せな日々が長く続くことは無かった。
私は物心がついたのは生まれた瞬間だ。
ヴェル姉さんも、アーリィも。
だから、全てを覚えている。
私達が生まれて間もなく、母が流行り病で亡くなったことを。
父の落ち込み様は酷かったことを、私たちは覚えている。
無理をして作っている笑顔を…。
それでも、大きく硬い手で優しく撫でてくれる。
私は父に頭を撫でてもらうのが好きだった。
私達が5歳になる頃に、領民が病で倒れ始めた。
領民の中には医者の様な人がいた。
病を治す方法を医者は知っていた。
けれど、材料がない。
材料が無ければ、対処の仕様がない。
当たり前な事。
発症すれば、亡くなる確率が非常に高い病。
必要なのは魔獣から取れる魔石。
ヴァンド辺境領が税として納める物が…魔石だ。
ヘリアネン伯爵の部下が直接取りに来る。
根こそぎ取っていく。
支援なんて、ほとんどしてくれ無いのに…。
それでも腐らない父と領民は…ちょっとおかしい。
滅茶苦茶怒ってはいるけれど…。
父がヘリアネン伯爵に救援を願った頃に、父も病に倒れた。
その頃だろう。
私たちが、ヴァンド辺境領が病に侵されていると知ったのは…。
そして、ヴェル姉さんとアーリィに前世の記憶がある事を教えてもらったのは。
ヴェル姉さんは、かつて魔王と呼ばれ魔族を率いて人類と争っていたと。
アーリィは英雄と呼ばれ、魔族と戦っていたと。
ヴェル姉さんは病の正体を知らなかった。
けれど、アーリィは知っていた。
魔力が少ない人に罹る病だと…。
魔族は魔力を多く持っている為に罹らない病なのだと。
アーリィは材料を取りに行くと言い出し、ヴェル姉さんはそれを止めていた。
まだ4歳の子供が、魔獣の蔓延る森に行くと言い出したら…誰でも止める。
それに、材料である魔石は魔獣の躰の中にあるのだから。
魔獣と戦う必要があるのだ。
罹患した父と領民を含めると、沢山の魔石が必要になる。
ヴェル姉さんは、戦う力を失っていると教えてくれた。
アーリィは、戦う力があると教えてくれた。
アーリィに言われた。
ヴェルを説得してくれと…。
私は…何もできないのに。
足が動かない。
歩くことが出来ないのに。
私は…前世は駄目な人間だった。
陰気で喋らず、両親からも好かれてはいなかった。
頼られることなんて、無かった…。
でも、アーリィは私を頼った。
お願いされた。
ヴェル姉さんは真剣な表情で怒っているのに…。
私なんかが…口を挟むなんて出来ないのに…。
「ヴェル、分かってくれ。リズ、私は皆を助けたい。父も民も。ヴェルもリズも、そう思っているのだろう?」
父も、ヴェル姉さんもアーリィも、家人も…私にも優しく接してくれる。
今も、前世とほとんど変わらないのに…。
頷くくらいしか…出来ないのに…。
「アーリィこそ…分かって。もう…。」
「まだ…まだ、間にあう。」
先程、屋敷に来た医者が言っていた。
父の容体が急変したと…。
死に…近づいていると…。
ヴェル姉さんはアーリィにしがみついてでも、行かせないようにしている。
アーリィは力加減をしているのか、無理に引き剥がそうともしない。
出来ないのだろう。
怪我をさせてしまうかもしれないから。
私は…自分でも気付けないくらい、小さな声色で呟いていたらしい。
「助けて、お願い…。」って。
また、父に優しく撫でて欲しいから…。
悲しくて、なみだが、とまらなかったから。
なみだで、なにもみえなくなって…。
いつの間に気を失っていて、気が付いたときにはヴェル姉さんに支えられていた。
アーリィは哀しそうな表情で、傍にいて…。
一晩も、経っていた…。
アーリィは教えてくれた。
「領民の多くは…危機を脱した。父もだ。だが…父は…動くことも満足にはいかないだろう、遅れてしまってすまない…。」
父に会いに行くと、そこにはお爺さんと思ってしまうくらいに年を取ったような父が寝ていた。
急激に魔力を失ったためにこうなったのだと、医師は教えてくれた。
あの大きな硬い手が、今は簡単に折れそうなほどにか細くなっていた。
でも、でも…生きている。
父が目覚める日は少なかった。
でも、父は私たちをずっと心配してくれていた。
か細くなった手で、私たちをあやしてくれて…。
そう、今のように…。
「んぅ…。」
いつの間に寝ていたんだろう…。
確か…お茶を飲んで話してたら、ヴェル姉さんが大はしゃぎして…。
「起こしてしまったか?」
アーリィの声?
「ん。」
少し瞼を開くと、アーリィの顔と蝋燭の明かりだけが灯る天井が見える。
私の部屋だ。
ベッドに寝転んでいる。
どうやら、アーリィに膝枕をしてもらっているようで…。
「疲れがたまっていたのだろう。寝てしまったのでな。」
「うん。」
頭やおでこを撫でられているんだろう。
寝込んでしまった父と同じように…。
「哀しい夢でも…見たのか?」
少し困ったような表情をするアーリィ。
頬を手で触れると、どうやら私は泣いていたみたい。
「うん、お父さんの…夢。むかしの…ころの。」
アーリィの表情は暗くなる。
まだ…後悔をしているのかな。
誰も責めてなどいないのに…。
責めるとしたら、ヘリアネン伯爵だろうに…。
「すまない。」
謝らないで。
「吾がもっと早く気付いていれば…、ヴェルと…もっと早くに、話し合っていれば。」
違う。
何も、悪くない。
「父も、まだ…。ヴェルにも、リズにも、辛い思いをさせてしまった…。」
「ちがう!」
つい、大きな声が出てしまった。
「…違う。アーリィは、何も…悪くない。」
手を伸ばせば、アーリィの顔に触れることが出来る。
アーリィだって…泣いているのに。
「悪くないんだから…。もう、自分を責めないで…。」
指先で頬を触る。
貴女だって、辛くて苦しいのに…。
「私が、何もできない私が言うのはおかしいのは、分かってる。けれど、アーリィは何も悪くない。ごめんね。哀しい事を思い出させてしまって…。」
頬に触れる手を、アーリィに握られる。
優しく包むように。
「いや、リズ。私こそ…すまない。吾はこれ以上、リズたちを悲しませたくなどない。」
「私も、同じなんだよ?アーリィにも泣いて欲しくない。ヴェル姉さんにも。メアリーにも。」
「ああ。」
「泣くのは…嬉しい時がいい。」
「嬉しいとき…か。」
「うん。」
「嬉しい時に泣いたことは…無いな。」
「そうなの?」
「そうだ。」
そういえば、アーリィって感情表現が乏しい。
ヴェル姉さんは小説とかで感動して泣いてるのに…。
メアリーは…自警団の皆と、よく笑っている。
「じゃあ、笑おうよ。お父さんも、笑ってる方が嬉しいと思うよ。」
「そちらも…難しいな。ヴェルやメアリーの様に笑えん。」
何故か、ヴェル姉さんの高笑いとメアリーの大笑いが幻聴で聞こえる。
メアリーはもう少し慎ましくしようね?
「見習わないでね?あれは悪い一例だから。」
「…分かった。」
アーリィも同じ場面を想像したのかな?
お互いに少し、笑ってしまった。
お互いにもう、涙は流れていない。
「まだ、戻らなくても良いの?」
「いや、そろそろ戻ろうかと思っていた。」
「そっか…。お仕事、だもんね。」
正直、寂しい。
「早く戻るように努めよう。」
「無理は、しないでね。皆で、王都、行こう?待ってるから…。」
「ああ。そうしよう。リズ、お休み。」
「うん。お休み…。」
アーリィの、私を撫でる手はお父さんを思い出してしまう。
哀しいけど、忘れたくはない。
微睡む意識の中で、私は、願う。
ヴェル姉さんも、アーリィも、メアリーも。
皆で、幸せに笑える日を。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます