第2話 古の英雄は帰ってくる

春の季節を告げる様に草花は領地を染め上げる。

庭師からは「今年も見頃ですよ。」と庭に生える木が咲いたことを教えてくれた。

桜に似た、違う木を。

ふと、窓見上げて庭師の言葉を思い出した。


「リズベルタ様。少し休憩なされては如何でしょう。」


私、リズベルタに仕えてくれる侍女からの提案。

執務机にはまだ未決済、未確認の書類が数枚置かれている。


「う、うん。そ、そうしようかな。」


この身体に生まれて14年は経つ。

でも、なかなか貴族の様な振る舞いは出来ない。

前世が日本人だからって、異世界転生やったーっとは思えない。

私は順応力が無いのだ。

それに、前世の事はあまり思い出したくないし…。


失礼しますと侍女は部屋から出ていく。

きっと紅茶を淹れてくれるんだろう。

部屋の外から少し小声が聞こえた後、ノックの音が響いた。

「どうぞ。」と声を掛ける。

侍女さん、何か忘れたのかな?


「はーい。貴女のお姉さんですよ~。」


綺麗な女性が満面の笑みで扉の前で立っていた。

ヴェルヴェーチカお姉さん。

私の今世の実姉で元魔王さん。

なんというか、妖艶って言葉が良く似合う。

車椅子に座る私に抱き着いては、よく頬にキスをしてくる。

頭の匂いを嗅がれたりとか、頬擦りされたりとか。

今でも、一緒の布団で寝たりする。

魔王というより愛犬といった感じに思えてしまう私は、悪くないと思う。


「ヴェル姉さん、おかえりなさい。新しい畑の視察はどうだった?」


今なお頬擦りされながら話してくれない姉に聞く。

開墾したてで栄養が少ないかもって話だったから。


「あーん。仕事の話は後にしましょ。トマスからリンデンの木が見頃だって聞いたから外でお茶をしましょう。さっき貴女の侍女に伝えたから、用意してくれているわ。」


〆というように頬に口が付けられる。

愛情深いヴェル姉さんは私達姉妹に必ずキスをする。

それが当たり前だというように。


「う、うん。」


ヴェル姉さんが少し離れてくれたので椅子についている車輪に手を添える。


「あぁ、駄目よ。私が押すの。はい、両手は足の上。リズのお手てはつるつるスベスベなんだから。」


今はインクで少し汚れてるんですよ。拭ったけど。


「ふふ。この車椅子も少し年季が入っているわね。」


「…うん。作って貰って、もう10年近くは経つのかな。」


「そんなに経つのね。アーリィにお願いして新しく新調しましょう。」


「え?いや、その…。私はこのままでいいよ。まだ壊れてないから。それに、アーリィだって忙しいし。」


「アーリィなら喜んでしてくれるわ。それに、今の鍛冶鍛造技術で同じものは作れないから…。」


「で、でも。ほら。まだまだ使えるよ?」


「ふふ、知ってるわよ。リズのお尻が少し大きくなってる事。」


顔が赤くなってしまう。

太ったわけでは無いと信じたいけど…。


「少し窮屈になったでしょ?私にはお見通しよ。」


後ろにいるヴェル姉さんは見えないけど、大きな胸を張っているのが想像できる。


「…うん、その…すこし…。」


カラカラと車椅子から出る音で聞こえないかもしれないけど。

肯定してしまった。

決して、太った訳ではないと…信じたい。


「ヴェル姉さま、リズ姉さま。」


屋敷の廊下を元気な、大きな声が響く。

前から大きく手を振った可愛らしい女性がやってくる。

義理の妹で末っ子のメアリー。

動きやすい服を着ているから、剣の稽古でもしていたのかな。


「メアリー、おいで~。」


尻尾があるなら、左右に振っているんだろうね。

ぶんぶんって感じで…。

メアリーはヴェル姉さんに抱き着いてキスを一身に受け取っている。

心なしか、メアリーが私にも期待の眼差しを送っているように思える。

私もしなきゃいけないのかな?


「リ、リズ姉さまも。」


強請ってきた。


「ほら、リズも。」


ヴェル姉さんの援護射撃が飛んできた。

束の間、メアリーが「だ、だめですか?」と潤んだ瞳で私を見つめてくる。

そんな顔しないでよ…。

メアリー、その表情は異性にはしないでね。


近付いていたメアリーの頬に軽く口づけする。

すっごい恥ずかしい。

これをヴェル姉さんは挨拶のようにしてるんだから、ある意味凄い。


「やったぁ。」


声をあげて大喜びのメアリー。


「私も~ここ。寂しいなぁ。」


自身の唇に指先を当てて微笑むヴェル姉さん。

そこは無理。絶対無理。

やむなく、ヴェル姉さんにも頬にキスをする。

「続きは今夜。」と囁かれたけど…しませんよ。


「メアリーもお茶をしましょ。今日は外でね。」


「リンデンの木の下ですか?良いですね。」


三人で屋敷内の廊下を進んで行く。

突き当りを曲がり、そのまま外へと進むと庭がある。

私はこの庭が大好きで、よく、ヴェル姉さんに連れて行ってとお願いしていた。


リンデンに木の下には机と椅子が並べられていて、心なしか微笑んでいる侍女たちが用意を終わらせて待っていた。

ふと気付くと、そこにはこの半年見なかった女性が紅茶を飲みながら先に座っていた。

儀礼用の衣装を纏う黒く長い長髪の女性。

こちらに気が付くと嬉しそうに微笑んでいる。


「アーリィ、おかえりなさい。」


ヴェル姉さんが優しく声変える。

嬉しそうな声色なのが、耳に残る。


「ああ、ただいま。皆、元気そうで何よりだ。」


「おかえり。アーリィも元気そうで良かった。」


「ただいま、リズ。…少し、成長したか?」


声を失った。

なんで分かるの?

太ったって言わないのがアーリィらしい。


「ほら、分かるでしょ。」


嬉しそうにはにかむヴェル姉さん。


「え?リズ姉さま、太ったの?」


「せ、成長だから…。」


せ、精一杯声を振り絞る。

メアリーさんやい。

ストレートは止めてください。


「メアリー。貴女は今日から剣を置きなさい。しばらく、エルメリア夫人に再教育をお願いするわ。」


「え!?」


「ああ、その方が良い。今晩にでもバールク伯とは話し合おうと思っていたからな。」


「え!?」


「あら、何か相談事?」


「ああ。学園の件も含めてな。それに…、いや、後で良いだろう。」


身体が浮遊感を覚える。

アーリィに抱えられると気付くのには時間もかからなかった。


「軽いな、リズ。もう少し食べるべきだ。」


「…。」


アーリィからも頬にキスをされる。

頬擦りもされる。

心地いいお香の香りが微かに匂う。


「今晩に戻らなくてはならんのだ。それまでは、暫しの休息を楽しみたい。」


「あ、アーリィ、抜け出したの?こ、皇太后陛下はお許しになったの?」


「許可は貰っている。それに、アマリアからバルーク伯に伝言があったからな。」


「あら、それはおかしいわね。こちらには及ばない?」


「いや、不明瞭…と言ったところだな。」


アーリィの綺麗な顔には少し影がある。

面倒事、それもかなりの規模であると言わずと知れる。

ヴェル姉さんも察したようで、それ以上は聞かなかった。

メアリーは…エルメリア夫人にって事で震えている。

苦手だもんね。


「家族水入らずの所悪いが、私達も混ぜてくれないかね?」


屋敷側からバルーク伯とエルメリア夫人が連れ添ってやってきた。

バルーク伯は重い視線をアーリィからヴェル姉さんに移す。


「ええ、喜んで。」


ヴェル姉さんは淑女の礼を取り、二人を出迎える。

私とアーリィは軽く頭を下げ、二人に答える。

メアリーを横目で見やると、ガチガチに震えた身体で何故か紳士の礼を取っていた。

エルメリア夫人を窺うと、こわーい笑顔が張り付いていた。

メアリー…軽く頭を下げるだけでも良かったんだよ?


私は車椅子のまま同席し、皆それぞれの席へ座る。


「さて、すまないが今後を見据えて話し合おう。」


楽しいはずの休憩は……随分と重苦しい休憩になってしまった。

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