第6話 終わりと始まりのスタートライン
呆然と立ち尽くす怨霊のような姿から駈剛が飛び出すと、か細い声を発しながらその肉体は元の姿へ戻っていく。零れ落ちた両目と全ての歯も新しく造られていき最終的に元の康平になった途端、膝から崩れて四つん這いになり息も絶え絶えといった様子を見せた。だが不思議なことに精神的な疲弊は大きい事に反して肉体は更に力が張るといった、体験したことの無い感覚が彼の体を駆け巡っている。
そんな彼を見ても駈剛は何も言わず手を差し伸べ、康平もその手を掴んで自らの体を立ち上がらせる。若干のフラつきはあるものの動くことは可能なのようで、確認したのち辺りの様子を見回して康平は言葉を発した。
「これ、全部俺が……?」
「俺様達が、だ。お前の肉体を俺様が乗っ取り操った。今の俺様ではそうする事でしか相手に対抗出来ないからな、前にも言っただろう」
「ならこれも前にも聞いたと思うけど、領域の主になったのなら、その時点でバケモノと戦えるんじゃないの?」
「あくまで一時的だからな。一時的に権限を奪い領域を保持しながら動く場合、お前の協力が必要不可欠なのだ。俺様だけではどうしようもならん」
「聞いたけどさぁ……目玉と歯が抜け落ちるのは聞いてないんだよなぁ」
「仕方なかろう、俺様とてどんな形で変身するかやってみなければ分からん。というか前にも言ったぞこれ」
「あと、これなに?」
「何がだ?」
「滅茶苦茶動いた筈なのに、なんでまだ力が湧いてくるのかってこと」
「ああ、それか。お前の肉体に神通力が流れているからだろうな」
「……じんつうりき?」
「そう、神通力だ。お前は俺様と一時的な融合を果たしたことで肉体と結びつき、結果としてお前もまたそこらの木っ端なバケモノ程度の力を得ている」
「じんつう……ジンツウ……陣痛?」
「何か勘違いしているようだが、“神”に“通”ずる“力”と書いて神通力だからな? 出産時の激痛のほうでは無いぞ」
「あ、そういう」
「それよりも、さっさとあの2人を連れて来い。俺様は
「駈剛も一緒に行かないんだ」
「余計な混乱を招く必要も無いだろう。俺様と会えば失神しかねんぞあの女」
「あぁ……ならダメだ。うん、じゃあ頼んだよ」
「言われずとも」
康平の目の前から霞のように静かに消えていった駈剛を見届け、避難している2人のもとへと彼は向かって行く。道中あの時の暴風で吹き飛ばされたのではと考え一抹の不安を抱えながら急いだが、結論から言うと晴彦と宮崎の安否は無事であった。確かにあの暴風の余波には巻き込まれたが、直接的な被害があった訳ではなく、幸いなことに目立つような怪我もしなかったとのこと。
あのバケモノはもう居なくなり出会うことは無くなったこと。協力者との連携によってバケモノを追い詰めて退治することが出来たこと。先の暴風はその協力者が起こしたものということを伝えれば、質問責めにあうのは至極当然のことで、それらを今わかる範囲かつ若干はぐらかした説明を行った。駈剛のことは偽名を使用した霊能者であると、先の暴風はその霊能者の力による二次被害のようなものであると、今は橋のほうで出口を開けている最中であると等々。
それらを説明し終える辺りで水沙華橋のたもとに到着し、右側の歩道を見ると人間大の大きさの白い光の渦を見つけた。そちらまであと数歩といった所まで近付き、訝しみながらその渦を観察していると康平の頭の中で駈剛の急かす声が聞こえた。
(何をもたもたしている? 維持も面倒なのだから早く行け)
2人も居るため何も言わずに康平が真っ先にその渦の中へと入っていく。そんな彼に対して危ぶむ声をかけたものの、それが届く前に渦の中へと消えていってしまう。残された晴彦と宮崎はこの場に居続けることは望んでいないため、勇気を振り絞って渦の中へと飛び込んだ。その先に待っていたのは、あの異様な雰囲気に包まれていない景色と道を照らしている人工灯の光に、僅かばかりに輝く星々を映す夜空。そして陰湿ではない空気感、間違いなくここが現実であることを理解した3人は各々安堵の表情を顕にし喜びの声をあげる。
「戻ってきた……やった、やった! あのバケモノの世界から戻ってこられたのね! やった!」
「本当に戻ってこられた……本当にやったんだ、康平君!」
「もうこれで誰もバケモノの被害に遭うことは無くなった、そうだよね駈剛」
(ああ、此処はな。)
「……はっ?」
(それは明日にでも説明してやる。今日は帰って寝ろ、話はそれからだ)
駈剛の発言に嫌な予感がした康平であったが確かにもう帰らなければならない時間なので、急ぎ3人は別れて帰路につこうとした所で何かを思い出したかのように康平は宮崎を呼び止めた。彼の方へ顔を向け何事か訊ねると途端にバツの悪そうな表情に変わり、何かをはぐらかすような物言いで彼女に伝えた。
「宮崎さん、その……これから宮崎さんは多分、色々な事が起きるかもしれない。良くも悪くもね。でもそこで自分も誰かを責めるような真似は控えてほしい。……辛くなったら無料相談できる場所に連絡すれば少しは前に進めると思うから。じゃあねっ!」
「え、ちょっ!?」
「康平君?!」
歯切れの悪さを見せ特になんの説明も無いままその場を逃げ去るように離れていく康平の後ろ姿を、宮崎と晴彦の2人は見届けるしか出来なかった。2人が別れてから暫くの帰り道の道中、彼女だけは思い当たる節があったようで康平の発言を恐ろしく思いながらその歩みを速めた。
それから1週間以上の月日が経ち、近日に中間テストが始まるという学生の身分の大半は荷が重いイベントが待ち構えている頃になったものの、康平と晴彦の2人は特に慌てることなく図書館の勉強スペースに集まってテスト範囲の勉強をしていた。その月日の中で報道されたある事に対しやるせない気持ちを募らせたが、そればかりは割り切るしか無いと意識をテスト勉強へ向けているといった背景もあったりする。閑話休題。
50分の勉強と10分の休憩のサイクルを繰り返し、それを18時までやり終えたあと共に帰宅していた道中のこと、晴彦は康平にある事を訊ねた。
「ねぇ、康平君。聞いてもいいかな?」
「何を?」
「最近、宮崎さんの姿を学校で見かけないことについて。先週あたりに別れて帰ろうとした時、康平君変なこと言ってたからさ。もしかしたら何か知ってるんじゃないかって。」
「その事ね……その話なら、ちょっと腰を落ち着けられるところで話そうか。近くの公園でも良い?」
「良いよ、行こっか。」
近場の公園まで寄り道し、2人は適当なベンチに腰掛ける。康平はペットボトル緑茶を鞄から取り出し三口ほど飲んで息を吐き、両手で持っているペットボトルの容器を右手人差し指で一定のリズムを刻みながら軽く叩いて少し悩んでいる様子をみせる。そのリズムが止まって、康平の口から発せられた最初の言葉は謝罪だった。
「まずは、ごめん晴彦君」
「えっ?」
「あの時……最初にバケモノのかくれんぼに巻き込まれる前、僕は君の言ってたことを単なる噂話としてしか認識してなかった。君と真摯に向き合うことに欠けた発言だったことを謝りたい。本当にごめん」
言い終わる直前、ベンチから立ち上がり綺麗に腰を直角に曲げて謝罪の意を示した。それに対し今は気にしていない旨を晴彦は伝える。
「あ、謝らなくていいよ! 確かに考えてみれば普通は信じられるものじゃなかったし、それにボクも正直半信半疑だったし……だから康平君が謝ることは無いよ。寧ろあのバケモノから救ってくれて本当に感謝しているんだ、お礼を幾ら言っても足りないぐらいなんだ。本当にありがとう、康平君」
晴彦も同じようにベンチから立って、康平に向けて腰を直角90度曲げて感謝の意を示し互い顔を見合わせると、両者とも顔を綻ばせ笑顔を見せると姿勢を戻した所で康平から口を開いた。
「お互い、変な所で似てるね」
「そうだね」
「うん……うん。なら君の感謝を受け取らせてもらうよ、ありがとう晴彦君」
「こちらこそ、ありがとう」
「それで──そう、本題の方に入ろうか。宮崎さんのことについてだったね」
2人ともベンチに腰掛け、ペットボトルの緑茶を一口飲んだあと康平は発言を開始する。
「あくまで予想の範囲だけなら話せられるけど、良い?」
「うん、聞かせて」
「分かった……多分宮崎さんは今、妊娠がバレてドタバタしている真っ最中かもしれない」
「……えっ?」
発言の内容に呆気に取られた晴彦を他所に、康平は自身の予想を話し続けていく。
「確証が無いわけじゃないけど、あくまで予想だからね。どう捉えるかは晴彦君次第だよ」
「あ、うん……いやちょっと待って、なんで彼女が妊娠してるって思ったの?」
「個人的な確証が持てたのは、あのバケモノの断末魔を聞いた時だったけどね。あの時バケモノは最後にママと叫んでいたんだ、そして2回目は意思関係なくやって来た宮崎さん……関係ないとは言い切れないと僕は考えた」
「それだけで?」
「勿論それ以外にも最初に巻き込まれた時に見た普段とは違う好戦的な彼女の姿とか、運んでいた時に寒がっている様子を見かけたこともこの予想の信ぴょう性を高めている。でも確信したのはさっき言ったバケモノの断末魔の内容からだ」
「……じゃあ、2回目に集まったボクと康平以外の全員が女性だったのは」
「母親、正確には母体となる人間を求めていた。そういう見解を協力者から得られたよ。母体の中へ入ってまた産まれることで、より強い力を得る為に……元になった明里詩音の意思とは関係無くね。宮崎さんは目をつけられたんだ、ちょうどいい器がお腹の中に居たから」
「なら他の女性も妊娠していたの?」
「いや、多分宮崎さんだけ。1番取り憑きやすかったのが彼女だっただけで他は女性の中で無作為に選んだと思う、生き残ったら自分を産む役目を与えるために」
そこまで言ったところで康平は緑茶を飲む。訊ね聞いていた晴彦はあのバケモノの目的を聞いて絶句しており二の句が告げないでいるが、矢継ぎ早に康平に駈剛から聞き及んだ最悪の事実を言った。
「それと、まだ他にもバケモノは居るらしいんだ。石禾町以外にも」
「なっ……?! 」
「僕は今後、協力者とのバケモノ退治を続けていくよ。これ以上、あんなバケモノどもの被害を増やしちゃならない。だから倒しに行く」
もうとっくに覚悟を決めているようで、康平は右手で拳を作り握る力を強めた。跡ができるぐらいには強く握られた拳の力を緩め、康平は目の前の晴彦に問いかけた。
「晴彦君、君はどうしたい?」
「どう……って?」
「僕と協力してバケモノを退治するのか、今後僕と関わらずに元の平穏な生活に戻るのか。そのどちらかを聞きたい」
もはや止めようのない所まで進んでいた友達を前に、晴彦はどう答えればいいのか分からずにいた。
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バケモノを倒した翌日のこと、自室で駈剛と康平は向かい合い駈剛から様々なことが伝えられた。石禾町以外にもバケモノの存在があり、それらの殆どを倒し力を得なければ平穏が戻ることは無いと。それらを聞いた時点で康平の意思は既に決まっていて、駈剛とともにバケモノ退治を続ける決心を告げた。
そのあと、康平は聞きそびれていたことを駈剛に訊ねる。力を取り戻し復活した時、駈剛は一体何をするのか。あくまで力を取り戻し復活するだけとなれば康平と協力する理由としては弱いためと補足すると、駈剛はその理由を全て答えた。
(まずお前と協力する理由だが、正確にはお前としか協力できないのだ)
「誰でもいいわけじゃないの?」
(お前以外に俺様が取り憑けば、一瞬で体の内側から力が溢れ出して爆発する。そうなっては俺様の力の残量的にも、時間的にも勿体ないのでな)
「……どうやって僕を見つけたのさ?」
(お前を見つけたのはかなり前からだ。見つけた当時は俺様の力に耐えられる器では無かったからな、ずっとつけていた)
「鬼にストーカーされてたの僕? 全然そんな感じしなかったのに」
(ハッ! お前如きにバレるほど力は消えてないわ、まぁ運が良かっただけだったがな。あの怪物に見逃されたというのがデカい)
「見逃された?」
(ああ)
駈剛の表情が険しくなり、一度瞼を閉じて嘗ての記憶を呼び覚ます。駈剛の真の目的、それを成すために康平と手を組まざるをえなかった。
(5年前のある日、俺様はその怪物と相対し負けた。そこで力と領域のほぼ全てを奪われ追い出され、今ではこのザマだ。そいつ自体は昔、9年前に突如現れたが当時は雑魚であったからな。手を出すことも無く野良のバケモノに食われて終わるかと思えば、異常な速度で強くなり結果5年前に俺様は負けた)
「9年前……」
9年前、という単語を聞き呼び起こされるあの時の忌まわしき記憶。康平は無意識に力が入っていたが、駈剛の咳払いで直ぐに意識がそちらへ向いた事で力みは消えていた。
(今では奴はバケモノどもの親玉を気取り、様々な場所で暴れさせている。このままでは残された領域も力も消えゆくのみ、お前達はバケモノどもの危険に晒され続ける。故にお前と手を組む必要があったのだ。俺様の力に耐えられる器であるお前とな)
「……成程ね」
(と、ここまでが俺様の目的だ。力を取り戻しあの怪物を倒す、お前はこの現実を守るために力を得て倒す。そのために互いの協力が必要不可欠なのだ。分かったな?)
「理解したよ。それで、そいつの名前はなんて言うの?」
(名は無い)
「無い? 名無しの権兵衛ってこと?」
(奴が自分の事を名無しとほざいたからな。それ以上は知らない。で、お前は俺様と協力してくれるんだろうな?)
一度瞼を閉じて少しばかり考えを巡らせ、改めて考えが纏まるとその瞼を開いて駈剛に答えた。
「くどいよ、その覚悟はもう出来てる」
(なら良い。これで1つ懸念事項は無くなったが、まだ幾つか解決せねばならない問題もある)
「何?」
(お前1人で動けば負担が大きすぎるからな、協力者の存在が要る。俺様達の活動の支えとなる協力者がな)
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交通課の部署に在籍しているが、その惨たらしい出来事についてはニュースで取り上げられていた為ある程度知っており、35年の生涯の中でも他に類を見ない猟奇的殺人を知るなど、初めてのことであった。石禾町にある公園で2つ、同町の路地裏にて1つ死体があった。その3つ全ての死体は女性で、ただの肉塊になったものもあれば苦痛に顔を歪ませ絶望した表情で死んでいたのも居たという。緊急対策会議も開かれ早急な事件解決を進める方針を取ったと、自分の後輩からも聞き及んでいる。
とはいえ死に方の惨たらしさは、どう考えても人間の手でやるにはあまりにも突発的すぎるため、まだ時間はそこまで経っていないものの、捜査が難航される予測が立てられたのも当然というべきだろう。まだ人間がやったというより、バケモノがやったと言った方が遥かに納得するぐらいの有り様であったのだから。
それと時を同じくして、この男と同僚の沢木俊成が事情聴取をしていた事故被害者の1人『
遺体はまるで悲痛に満ちたような表情で、白目を剥いて顔中から体液という体液が垂れ流されていた。外に出た痕跡はなくベッドの上でもがき苦しみながら死んでいったというのは、担当医から知らされたここだけの事実。遺体は遺族の意向を汲んで司法解剖はせず葬儀を執り行うことになり、真相は未だ闇の中といった具合であった。
ただ1つ、この男には気になった事があった。生前、事情聴取をするために病院に訪れた際に奇妙なことを口走っていたのを思い出す。彼女は
──うた……うたが……!うたがきこえるぅゔゔゔゔ! イヤあああ"あ"! おねがい゙! おねがい゙だがら゙ぁ゙あ゙!
それが内田の見た彼女の最後の生前の姿であった。煙草を再び咥え、少しして離して紫煙を吐く。平静状態から取り乱した姿を見るのは慣れているが、ああも絶望に染まりきったものは見た事がなかった。結局何が起きたのかに関しては不明瞭すぎるあまり闇の中、一歩も前に進んではいない。やるせない気持ちを紛らわすようにまた煙草を吸った。
歌が聞こえる。幼子が何かを歌っているようだ。小さな女の子の声で歌っているのは、今日日聞かなくなった童謡。だがその少女の声はどこか不安を煽るようなもので、決して微笑ましいとは言えないものであった。動く度に鳴る鈴の音と、学校の中と思しき場所もあいまって更に異質な雰囲気を漂わせている。
少女は1度歌いきると、また最初から歌い始めた。やはりその声はどこか恐怖を煽っていて、その歌詞もまた恐怖を助長させている。耳を凝らさずともその世界で歌は平等に届き、その歌に引き寄せられたであろう
かーごめ、かーごーめ、
かーごのなーかのとぉりぃはー
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