第2話 生死の越境

「あ、頭が……」


「何なのよも〜……」


「一体、何が……」



 順にカップルの2人、恰幅の良い大柄な男性がそのように言いながら何が起きたのかを知るべく瞼を開けていく。あの音楽が流れてから長い時間が経った訳では無いようだが何時の間にか公園らしき場所に誰とも知らぬ人物と居ることにまだ理解出来ていないようだ。


 同じように女子学生もこの場所がどんな所か確認しようとしたが不意に眩暈を覚えて地面に倒れそうになり咄嗟に地面に手をつき腕でその体を支えたものの、またバランスを崩して横に倒れそうになった。しかしその体が地面と接触する前に康平が痛みを堪えながら支えたことで砂利だらけの場所に倒れることは無かった。



「大丈夫、ですか?」


「あ、ありがとう……ございます」


「失礼。先程川に落ちたばかりで、ははっ……あ?」


「康平君、無理しちゃ!……って、この人」



 多少時間も経ったとはいえ未だ痛みの走る体を無理して動かしたので苦しげな表情を浮かび上がらせているが、支えた彼女の顔を見た途端この女子学生が誰なのかを思い出した。駆けつけた晴彦も彼女の顔を見て誰であるのかを思い出した、何せ同じ学校に顔に在籍している上にあまり勉学以外にうつつを抜かすことの無い康平でも多少は知っている程の有名人である彼女のことを知らないわけがなかった。


 彼女の名は『宮﨑みやさき 梨愛りえ』、彼ら2人と同じ学校で同学年の女子生徒であり男子生徒の人気が強くかなり注目を集めている美女に該当される人物で言い寄られることは多いものの、その尽くを足蹴にして意気消沈させているため高嶺の花という印象を抱かせている人である。その彼女がまさかこの場所に居るとは思わず、つい驚いて晴彦が彼女に訊ねた。



「み、宮﨑さん?! どうしてここに?」


「分かんない……頭の中で音が聞こえたと思ったら」


「気が付いた時には、か。それって黒板を引っ掻いたような音だったか?」


「ええ。まさか湖里君も?」


「その通り。ただその前に交通事故に逢いかけて橋から飛び降りて、あとは宮﨑さんと同じようにここに」


「事故って、大丈夫だったの?!」


「生きてるから無問題」


「さっき川に落ちて痛がってたでしょ!」


「少しは良くなったから。大丈夫大丈夫」



 どこか浮ついた様子が若干3人の間に漂うものの、康平の感じる警鐘は未だに鳴り止まず一刻も早くここから逃げなければならないと本能が告げている。ゆっくりと体を持ち上げて立ち上がり彼女に向けて手を差し伸べる、その手を取って彼女は立ち上がるがまだフラつきが見られるようで前にバランスを崩しかけたが康平が肩のあたりに手を添えて支えになることでこれ以上水浸しの服に触れないようにさせる。



「そっちこそ大丈夫なのか? ヤケにフラフラしてるし、あまり力も入ってないように感じるけど」


「大丈夫よ……別に心配する程じゃないから」


「何かあった時はすぐに言った方がいい。兎に角、今すぐここから逃げる必要がある」


「逃げるって……どこに?」



 康平の言葉に晴彦が辺りの景観を見回しながらそう問いただす。色々な状況が重なって注目する事が無かったものの多少の余裕が出てきた今では、自分たちの居る場所が異様なものであると理解に苦しむがハッキリと分かっていた。


 今いる公園という場所も2人が先程まで居た川岸から全く違う場所に移動させられていることも、夜の暗闇に覆われた景色ではなく夜になりつつある黄昏時にしては異様なほど赤い陽射しに染められた住宅街という光景に脳が理解を拒む要因となっていた。


 平静であろうとしている康平も戸惑いを隠しきれていないこの状況下の中で、同じように状況把握をしたいためにあとの3人の内の茶髪の男性が若干頭をおさえながら声を上げて呼びかけてきた。



「おーいそっちの3人! こっちに来い!」


「康平君、どうする?」


「正直さっさと逃げたい、ここで無為に話すより良いんだけどね……多分ああいうのは自分の言ってることを優先させたい人間だろうし。関わりたくないんだけど。」


「……意外ね、湖里君でも苦手な人が居るんだ」


「人間だからね、選り好みぐらいするよ。……取り敢えず大した情報は無いだろうけど、合流してみよう」



 その言葉に首肯した2人はゆったりとしたペースではあるものの、他の3人と合流する事となった。とはいえ体調的にも良いとは言い難い2人のペースに合わせて歩いていた為か、呼びかけたはずの男達の方から小走りに出向いた。やってきた茶髪の男の方はほんの少しだけ苛立ちを見せていて、発せられる言葉からも僅かに怒気が含まれていた。



「おせぇ、呼んでんだからすぐ来いよ」


「こっちにも事情があるのよ、そんな事も察せないの間抜け面」


「はっ? お前何様のつもりだ? おい」


「ちょ、宮﨑さん?!」



 康平と晴彦は彼女がみせた一面に驚愕した。何せ学校ではこのような攻撃的な表情や言葉遣いをしたという記憶はこの2人には無い。まだ驚きの表情のまま固まる晴彦とは裏腹に、康平は冷静に考えこれもまた彼女の持つ側面なのだという風と理解して普段の冷静さを取り持つと、彼女と男を宥めるために動く。また康平と同時にこの2人を宥めようとする恰幅の良い男性も間に入った。



「落ち着いて宮崎さん、事情が事情とはいえこっち側にも非があるのは確かだ」


「はぁ? ある訳無いでしょ、こっちは体調不良者が2人も居るのに」


「それはそうなんだけどね。向こうはこっちの事情を知らないんだ、ああいうのは話半分に聞いてやり過ごす方が良いよ。ま、人より自分を優位に立たせて優越感を得ているであろう人に配慮する必要が無いって思うのも事実だけど」


「んだと……?!」


「まあ君も落ち着け。いい大人が子どもに大してそんな高圧的にならなくても良いじゃないか。確かに頭には来るだろうが、こういった時こそ大人の余裕を見せる所だと思うぞ」


「あ、お前誰だよ?」


「何、ただのお節介焼きなだけさ」



 恰幅の良い男は3人の方を見やり、ずぶ濡れの状態でいる康平と晴彦を視界に映すと心配そうな表情で対応し始めた。



「君たち2人は大丈夫なのか? すぶ濡れのようだが。」


「えぇ、まあ。ついさっき川に落ちまして」


「川に? いやそれよりも、すぐに上の服だけでも脱いだ方がいい。そのままでは低体温症になってしまう」


「是非そうします。晴彦君、上だけでも脱ごう」


「う、うん」



 ひとまず水を吸収した服を脱いで上半身だけ裸の状態となり、水に濡れた服はその元柔道家の男が衣服の中の水を雑巾絞りで出して限界まで出し切った衣服を2人それぞれに渡した。



「ありがとうございます」


「なに、お安い御用さ。あぁ名前を言ってなかったね、私は『坂東ばんどう あかね』というものだ。よろしく」


「ご丁寧にどうも、湖里 康平です」



 まともな会話が出来る人物が出来たことでほっとした反面、未だに感じるこの謎の場所に対する逃走を願う思いは徐々に強まりつつある康平であったがこの状況から脱するのに協力してくれる可能性を潰すのも痛手になりそうだと思考して、まずは協力関係の構築から手をつけることを決めたのだった。



「あの、皆さんはこの場所に来る前に黒板を引っ掻いたような音を聞きましたか?」


「音? いや、私は特に聞いていないかな」


「そうですか……そちらのお二人は音を聞いたあと気付いたらこの場所に?」


「あ? あぁ、そうだ。だよな」


「ええ」



 カップルの方は聞いていたらしい。だがこの坂東茜という男は聞いていないと言っており、ここで何かしらの齟齬が発生した。それに対して疑問を募らせ始めたところで、カップルの女性が全員に向けて訊ねた。



「ねぇ、ここ一体何処なのよ? 誰かのイタズラ?」


「イタズラでは無い思いますが」


「何でそんな事が分かるのよ」



 内心康平は落胆した。これぐらいのこと思考を巡らせれば予想として思いつくことが出来るのに、なぜ考えないのだろうかと心の中で愚痴を吐くもそれを表には出さず努めて平静に答えていった。



「まずこの空。僕と彼は夜の時間帯に帰っていた途中だったのに何時の間にか夕暮れを思わせるものになっている。そもそも空の光景を一瞬で変えるようなイタズラは不可能に等しいです。次にこの公園、僕と彼は1度川に落ちて岸に這い上がったがあの音を聞いたあと此処にいた。坂東さんは音を聞いてませんが少なくともここに居る全員が元は違う場所に居たのは確実です。となるとイタズラの可能性は低くなります」


「じゃあ、一体何でこんな場所に俺たちは居るんだよ? 誰がやったのかお前分かるのかよ?」


「まだ分かりませんよ。ただ、仮に誰かの手によって集められたと仮定すると主犯は相当タチが悪いですね」


「は?」


「……人選が無作為すぎる?」



 晴彦の発言に対し康平以外は全員彼の方を見やるが、康平のみは頷いて肯定すると言葉を続けた。



「恐らくですが、この場で何かしらの関係性があるのは僕と彼と彼女のみ。しかし仮に同学校で同学年の人間を集めているというのならその条件の元に……少なくとも現在生徒である人物を集めるはず、大人は要らない。たとえ坂東さんや御二方が元生徒であったり学校関係者だったりせよ、世代もバラバラで関係に一貫性は無い。それに僕たちがあなた方の事を知らないように、あなた方は私たちのことを知っている訳では無いでしょう?」


「あ、ああ。確かに君たちのことは知らないが」


「御二方はどうです? 僕たちが八尾坂やおさか第二高校の生徒であることはご存知で?」


「そんな頭の良い奴ばっかが集まる高校の奴なんか知らねぇよ。コイツもおんなじだ」



 数回ほど小さく首を縦に振り自らの予想が当たっていたことに安堵するものの、同時に誰の手によってここに集められたのかという疑問が湧く。


 この状況を鑑みても只人が無作為に選別したにしても一瞬のことであるし、この中の誰かが我欲に従ってデスゲームを開催しているという頓痴気な事が起きているにしても、少なからず何かしらの法則性によって集められている筈なのだ。


 そしてこの現状を人間が起こしているとは考えにくいと、そう思う最大の要因が未だに警鐘のように自身に訴える直感であった。逃げねばならない、と強く訴えかけるそれを無視する事が康平には出来ないでいる。



「とにかく、すぐにでも僕たちはここを離れてどこか別の場所に」



 移動しましょう、とそう言いかけて康平の中で訴え続けた警鐘がより一層強まったことで途中で発言を止めた。彼の心と頭を支配していたのはたった一つの感情、その名前は────であった。



「ねぇ」



 どこか幼さのある声をその場に居る全員がハッキリと聞いた。砂利を踏む音、流れる風の音、木々が擦られて発せられる音などの環境音や自分たちの呼吸音などを押し退けるようにしてその声は聞こえたのだ。


 康平はその声のした方向に居る何かを見ることを恐れている、それを見てはならないと自分の全てが“この場から逃げろ”と訴えかける。しかしほかの人物は康平のそんな事情はお構い無しに、その声のした方向へと一斉に顔を向けた。


 ブランコのある場所、遊具前の鉄柵の外にいつの間にか佇んでいた少女が居た。歳はおそらく4〜5歳ほどだろうと思うほどの身長をした小さな女の子、彼女はただ集団を見ていて何を考えているのか分からない。


 ただこんな異様な空間に何時の間にか居た少女というシチュエーションが康平でなくとも不審に思ってしまうのはそう難くないのだが、ただ1人坂東だけがその少女に近寄り目線に合わせて座り込んだ。



「あ、おい」


「お嬢ちゃん、こんな所で何をしてるのかな?」



 坂東は優しい人間なのだろう。少女の目線に合わせて座り込みなるべく怖がらせないように優しげな声色で訊ねるように心掛けているのが分かるが、そんな対応を坂東している坂東とは裏腹に少女は眉をひそめて目を細めて何処か嫌な表情をした。



「おじさん」


「ん?」


「じゃま」


「え゜」



 少女がそう言い放った直後、坂東の体は潰れた。一瞬にして地面の一部を鮮血で染め上げ、残されたのは坂東茜であった肉塊と肉塊から突き出された折れた骨のみ。何かが潰れたような音を聞いて康平は咄嗟に顔を上げて、嫌でも状況を把握してしまった。


 他は突然何が起こったのか分からず呆然と立ち尽くしていたが少しばかりの時間が経つと段々と現状を理解していき、そしてこの状況に恐怖してカップルの女性と宮﨑が叫び、遅れてカップルの男が叫んだ。



「「いやぁあああああ!?」」


「うわぁあああ!?」



 カップルは我先にといわんばかりに組んでいた腕を解いてその場から離れようとした。宮﨑はその場にへたり込み、その場に嘔吐した。凄惨な光景を見てしまった事と吐瀉物の匂いで康平と晴彦も吐きそうになったが、何とか堪えきれているようで吐いたりはしなかった。ただしとてつもなく気分は悪く、すぐにでも逃げなければならないと思っていても、体が竦んで言うことを聞いてくれない状況にあった。


 この場から離れようとしたカップルは公園の出入口に差し掛かると一瞬安堵したが、見えない何かに阻まれて出られないという事象に遭う。それが自身に起きている現実だと思いたくないのだろう、坂東を一瞬にして肉塊にしてみせたことに恐怖して一刻も早くここから出たいのだろう。しかし無慈悲にも見えない何かによって閉じられている。非現実的なこの世界でただ1人、何事も無かったかのように血塗れの少女が言った。



「ねぇ、かくれんぼしましょ」



 少女の声はまたも全員に聞こえていた。何を言っているのか分からないまま全員が少女の方を見やれば、その少女は両手で目を覆い隠し数を数え始めた。声は何故だか頭に直接響いてくるような……否、そういえば最初の時からずっと頭に直接伝わってくるようなものでは無かったかと康平は思考しているが、少女が数え始めたところで起きた変化に意識が向き意識をそちらに割いた。



「そ、外に出られる!」


「待ってよおお! 置いていかないでよおお!」


「……2人とも、立って走れる?」


「ぅぁ……」



 宮﨑の方は力なく横に首を振って否定し、晴彦の方は調子は悪いものの何も言わずに首肯したため最優先にするべきことを決めた康平はまず宮﨑に背負われるように促し、ゆったりとした動きで彼女は背中に乗ると康平は立ち上がり晴彦を連れて外へと出ようとした。


 その間に少女のカウントは7にまで到達していて時間的な猶予は全くないことを知り、出来るだけ遠くに逃げようとする。ただ康平の体はまだ痛みに苛まれている状態であり思うように体が動かない、そうして逃げている最中に少女はカウントを終えて次のように言ったことを頭から直接伝えてきた。



「もーいーかーい?」



 まだ十分に逃げられていない3人であったがここで康平はあることを思いつき、一か八かの賭けでこの言葉を叫んだ。



「まーだだよー!」


「康平君!?」



 それから少しばかりの静寂が流れたかと思うと、頭の中に少女のカウントが聞こえだした。また1から数え始めており、かなりゆっくり言っているようなので時間的な猶予はこれで得られた。あとはあの少女とこの場所から逃れるためになるべく遠くに向けて走り出した。








 とある五階建ての廃ビルの中に隠れた3人は息を整えていた。康平は痛む体と宮﨑を背負って走ったことも相まってかなり疲弊している上に、晴彦も体力がある訳では無いので息が上がって暫くは満足に動けそうにないだろう。


 休まることの無い休憩時間の中で宮﨑は涙を流して泣いていた、このような非現実的な出来事を前に我慢できなくなったのだろう。大粒の涙を流して嗚咽混じりに不満を吐き出す。



「なんなのよぉ……わ゙だし、なんにも、ヒック、わるいこと、してないぃぃ! かえりたいぃぃ!」


「……せめて声を抑えて、あれに気付かれるかもしれない」



 要望はまるで通ることはなく叫ぶように泣き出し始めた宮崎に対し、仕方ないと思考して溜め息をして自身を落ちつかせていた康平は晴彦の方へと視線を向ける。彼も堪えてはいるものの同じく疲弊しており今にも泣き出しそうではあった、康平は話が通じる彼のもとへ近寄り隣に座った。



「大変なことになったね」


「……うん」



 それだけ交わして、しばし宮﨑の泣き声だけが流れる中晴彦が呟いた。



「ボクたち、これからどうなっちゃうんだろう。」



 弱音を吐いたことを責めることはなく、ただ康平は少しばかり考えたあと今後の方針を僅かながらでも決めた。



「大丈夫、必ずここから抜け出せられる。保証は出来ないけどやってみせる」


「どうやって?」


「それなんだけど、多分時間制限みたいなのはあると思う。だからそれまで隠れなきゃならないと考えてるよ」


「なんで?」


「……荒唐無稽な想像だけど、多分今あれは“かくれんぼ”で遊んでいるんだと思う。さっき僕がまーだだよって言った時、また1から数え始めていたことを踏まえるとそうとしか思えない。だから多分、時間制限みたいなものはあるのかもしれないって」


「もし、それが無かったら?」



 そこで康平は押し黙った。それもそのはず、康平の言った内容はあくまで希望的観測に過ぎず言った通り制限時間というものがあるとは限らない。延々と追いかけ続けて坂東のように殺すのではないのかと思うのは至極当然のことであった。そしてその問いに返す答えもまた思いつかない、ここからどう説得をするか考えていた康平は考えるために辺りを見回し、階段を上っていく何かを偶然目にした。


 正体は分からないが、少なくとも先程の少女では無いと自身でも分からない確信のようなものがあった。何の根拠もなくどうすれば分からないこの状況で、しかし何かしらの糸口になるのではと考えたところで別のものに気付いた。


 それは目玉。目玉が何か糸のようなものを付けて宙に浮かびながら動いていた、そんな光景に対して思考が停止していた康平であったがその目と合った途端に晴彦を引っ張って連れ出し、宮﨑を引っ張り上げて階段の方へと走り出した。



「ちょっ、康平君!?」


「何すんのよいきなり!」


「目玉が追ってきてる! 良いから走れ!」



 その発言により晴彦と宮﨑もその目玉に気付いて、2人は叫びながら康平と共に階段を昇って行く。しかし体力が無い状態では昇っていく途中で疲れて足を止めてしまい、流石に背負うための猶予が無い中で康平は2人を引っ張って階段を昇るように促した。


 そうして3人とも疲弊したもののどうにか屋上まで辿り着き扉を閉めて壁を背にして座り込んだ。もう息も絶え絶えで走る気力さえ残されていないが、代わりに目玉は追ってくる気配は無い。一安心したのも束の間、地上を見ていた宮﨑が怯えながら後ずさった。



「どうした?」


「あ、あれ。あれ……!」



 指さす方を見てみれば、そこに居たのは異形のバケモノであった。遠目では全体像は分かりにくいが何かを引きずっている位の遅い速度で移動していることが判明し、また顔の大部分を占めている大きな目玉も確認できた。そして体長はおよそ人よりも大きく両手足の長さがバケモノの体長と比例したものとなっており、あれが理外のものと察するのに時間は掛からなかった。


 驚くのも束の間、バケモノの体から何かがゆっくりとこちらに向かって伸びてきた。そうしてやって来たのはあの時見た紐状の何かがついた目玉であり、3人を見つけたと同時にバケモノがこの廃ビルに近付いて壁に手をかけると、あろうことかよじのぼり始めた。



「ッ、不味い!」



 急いでその場から離れ反対側の柵まで到達したのは良かったが、下を見れば衝撃を殺すようなものは無く飛び降りるにしても重症は免れないだろう。下手をすれば死に繋がるような高さであり、もう手の尽くしようが無いと考えていたその時、康平の頭の中にあの少女とは違う誰かの声が聞こえた。



(ソ……ラ、チ■…………イナラ……)



 その内容の意味を考え理解し、微かな望みに賭けて康平は2人に対して柵を越えるように指示をした。



「こんな時に何考えてるのよ!?」


「良いから早く! モタモタしてるとあれが来る!」


「でも康平君! この高さから飛び降りたらみんな死んじゃう!」


「最悪2人が生き残れるように守ってみせる! だから早く!」


「そんなの呑めるわけ──!」


「良いから早くしろ! 助かるにはそれしかないんだ!」



 怒気が若干混じったその声に何かを言うことが出来ずに、晴彦と宮﨑は指示通り柵を越えてビル壁の端に立った。康平も柵を越えてビル壁の端に立つと2人の腰に腕を回して自分の方に引き寄せると、カウントを始めた。



「3!」



 徐々に迫り来るバケモノの存在が、死が迫っていると3人の中で警鐘が鳴り続ける。



「2!」



 ドンドンと近付いてくるそれは、まるで死神の鎌が首を引き裂こうとしているようにも思えた。



「1!」



 バケモノが先程まで3人の居た近くの壁端に手を掛けた。



「■マ゙■■■ア゙■!」


「今!」



 その直後、3人は一斉に飛び降りた。康平は地面の追突から2人を守るように自分の身を盾にし抱き寄せて被害をなるべく少なくするようにして目を瞑った。もはやここからは神頼みの領分であり人ではどうしようもなく、生きるか死ぬかの2択でしかない。だが康平はふと死んだら父親の元へと行けるだろうかと考えて、ふっと微笑んだ。しかし康平の受けた衝撃は硬い地面のものではなく、それよりも若干の柔らかさを感じるものであった。とはいえそれでも痛いものは痛いらしく、それらとぶつかった痛みで体が思うように動かなくなってしまった。



「痛ってぇ……!」


「こ、康平君だいじょう……って、あれ? ここってゴミ置き場?」



 晴彦が今の状況に気付いたことで、もしやと思い自身の携帯を見ると電波やネットが繋がっていることを知り元の場所に戻ってきたのだと喜んだ。だがその喜びも康平が苦悶の声をあげ続けている状況であることを思い出し、慌てて119にかけたことで消え去った。駆けつけた救急隊員によって康平は搬送されていき、奇妙で恐ろしい1日は終わりを迎えたのであった。

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