夜と黄昏の果て(レルケシナタニアレ)

伊島糸雨

夜と黄昏の果て(レルケシナタニアレ)


 おお、貴き者、皇玉髄隷アレコネッロ、帝国の蒼き刃。おまえの指は地を這うために、おまえの髪は血を吸うために、おまえの皮膚は傅くためにこそ許される。なればこそ、陛下の敵を討ち滅ぼさねばなるまいよ。おお、浅ましき者、皇玉髄隷アレコネッロ、人の汚泥を雪ぐ者。生まれの罪は敵の血によって贖われ、洗礼はおまえのつるぎで為されるだろう。


──『觜翠帝国蔭史メルネロア・ニアルカレク




 古帝国「觜翠しすい」の名は、国土の東端に広がる草原地帯がまるで觜のように見えたことから、隣国の歴史家によってつけられたものだという。本来の名は、当時の言葉で「ニアルカレク」──「果ての宝玉」を意味している。

 存在を提唱された当初、觜翠帝国ニアルカレクは実在を強く疑われていた。しかし、発掘と関連すると思われる文書の解読が進むにつれて、存在証明が為されただけでなく、彼らが小国ながらも非常に高度な文明と軍事力を有していたことが明らかになった。とりわけ〝海彩ヴィニア〟と呼ばれる独特の蒼色を生起する金属加工技術は、現代における再現性が極めて低いことで知られており、「闇にやつせば影に蕩け、光当たれば燦然と澄み渡る蒼の波紋」とも評されている。

 〝海彩ヴィニア〟は発掘された装飾品に武具、いくつかの文書から、〝皇玉髄隷アレコネッロ〟と呼ばれる特別な地位・役職の人間にのみ所持が許されたものと推測されている。皇玉髄隷アレコネッロについては、帝国末期に編纂されたと思しき『觜翠帝国蔭史メルネロア・ニアルカレク』に記載された一節と、辺境で〝海彩ヴィニア〟を用いた二振りの短剣と共に発見された著者不明の散文に名称が登場するのみで、それ以上の根拠は示されていない。しかしながら、他の資料との情報統合では非常に高い確度で実在が示唆されており、近年における觜翠帝国ニアルカレク研究で大きな注目を集めている。

 定説において皇玉髄隷アレコネッロ觜翠帝国ニアルカレクにおける暗部の代表に位置付けられるのは、ひとえにその特異な由来と役割に拠っている。

 彼らは皇族の血を引きながらも表に出せない種の少年少女であり、年端もいかない頃から戦道具として育てられた。そして生涯に渡って皇帝に隷属する消費可能な駒として扱われ、暗殺や他国との戦争に駆り出されては使い潰されていく。彼らは隷属の証として下賜される〝海彩ヴィニア〟由来の武具から〝蒼き刃ヴィアレーコ〟とも呼ばれたようで、皇玉髄隷アレコネッロについて言及した文書のどちらでもその呼称は使用されている。

 レラコーとシナトリは、名前を知られるただ二人の皇玉髄隷アレコネッロである。

 二人は前述した散文に登場する人物で、記述内容から共に女性と見られている。散文は発見当初から断片的にしか残っておらず、多くのページが散逸している。そのため、読み取り可能な情報はさして多くないが、それでも、先に述べた皇玉髄隷アレコネッロの役割などいくつかの重要な事柄を伝えている。

 そこで、該当資料のうち特に重要度の高い三つの場面を以下に示す。


 *     *


 レラコーは初陣から七年、シナトリは最初の暗殺から六年生きた。時には共に戦場いくさばの蛆を舐め、蒼き刃で互いの血を呪いあった。愚鈍な兄弟姉妹から骸になった。二人は賢明であったので、名無しを憂えて「夜の藍レラコー」「黄昏の紺シナトリ」と名付け合い、死を遠ざけるぶん刃を振るった。しかしきっさきを伝う血は蒼を染めなかった。故知らぬ高貴な罪の色は、決して色褪せることなく手の中で輝き続けた。



 シナトリは花紡ぎの名手であった。戦の折々で、骸を逃れた小花を摘んでは冠をつくり、兄弟姉妹へとわけて与えた。戴冠を経た皇玉髄隷アレコネッロは少しばかり長く生きたので、願掛けとしてせがむ者もいた。しかし結局は皆が花を潰す屍となり、花の王冠は赤く染まった。シナトリは王冠が腐り落ちれば新たにつくり、虚底うろぞこに落ちた皇玉髄隷アレコネッロの愚かな首を掲げた。生き延びた者は割いたはらわたの苦悶を嗅いで、落とせぬならと身を寄せ合った。レラコーもシナトリも、殺した命の数は忘れた。海を写す蒼き刃は、血潮も知らずに夜に蕩けた。



 シナトリは花紡ぎをやめた。レラコーは決意などしなかった。

 詩人の歌が止んだ時、衰えは未だ臨めぬ海を満たした。黄昏が夜を知り、燎原の火は翠緑を呑む竜となった。干戈交われば皇玉の都はとみに輝き、今や寡兵となった皇玉髄隷アレコネッロは海の光を失っていた。

 レラコーは決断などしなかった。シナトリに憎悪はなかった。道を塞ぎ悪夢に縋る女の刃は毀れ、剣戟と過去の狭間で生まれの罪を贖った。花冠は腐り落ち、神威纏う皇帝は蒼き刃と血によって洗礼された。レラコーは憎まなかった。悲しみは決して蒼くなかった。


 *     *


 これら一連の物語は、便宜的に『夜と黄昏の果てレルケシナタニアレ』と呼ばれている。すべてが事実であると断ずるのは困難だが、部分的には現実を取り入れているものと研究者の間では目されている。なお、これが発見されたのは、觜翠帝国ニアルカレクの觜部分──その海に面した辺境地であり、近くに埋められていた二振りの蒼き刃は、片方が刃毀れしていたという。

 

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夜と黄昏の果て(レルケシナタニアレ) 伊島糸雨 @shiu_itoh

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