第8話
始業式からの雪憐の再会、雪憐に胡蝶蘭を任せて、クリスタとの再会した怒濤の3日間を経て、
俺はとりあえず今のところ特に何も起きずに5月の半ばを迎える事ができた。
雪憐とは会ったら話す程度の関係性を続けていて、紗恵とは安定のだらだらとしたくだらない人間関係を続けている。
クリスタに関しては俺は今のところ接触できていないが、関心を持って注視している。
昼休みになり俺は図書室に来ていた。
紗恵とはあれ以来、一緒に食べるようにしているが、男子の視線がうるさく集中できない上に、元々俺は一人でご飯で食べるのが好きなのであくまで時々である。
今日はそのボッチデーであったため、早くご飯を食べ終え図書室で癒しの経済入門本を読んでいた。
美味しい。
経済学は色々な学派があるにもかかわらず、何故経済オタクが台頭しないかは疑問である。
"俺の推しはケインズ派"とかあっても不思議ではないはずなのだが…。
そんな事を考えていると、ふと本を持った少女が横に座った。
ショートヘアの少女には見覚えがある。
「あ、先輩奇遇ですね」
お決まりの台詞を言われる。
雪憐 花乃。
始業式に再会した雪憐とも大分慣れて、関係性を掴めつつあると俺は感じていた。
「ああ、こんにちは」
俺も無難な安全な挨拶をする。
余談だが"奇遇ですね"と言えば、回数制限付きで大抵の場合許される。
ちなみに何度も"奇遇ですね"イベントをやると好感度によって、"近くに住んでるんですか?"イベントと"ストーカーを通報しました"イベントに分岐する。
雪憐は"初版 グリム童話集"を手に持っていた。
学校図書室のラベルはついていなかったため、おそらく自分のものなのだろう。
誰かが同じ本を持っていたはずだ。
確か、クリスタだ。クリスタを教室で見かけた時、彼女が読んでいた本。
雪憐とクリスタ。
普通だったら偶然なのだが、2人の関係性を鑑みると何か必然性を感じてしまう。
…いや、考えるのはやめておこう。
今考えるべき事ではない。
「そろそろ、定期テストだな」
俺は別の話題を振ることにした。
「そうですね。この学校のテストは難しいですか?」
「レベル相応って感じの内容だ。雪憐なら上位を取れると思う」
「本当ですか?でも、結果がどうであれ、テストのためにやるべき事をやるだけです」
雪憐は"頑張るぞ"と言わんばかりのノリで言ってきた。
可愛いな、それ。なんか、アニメ的な可愛さがそこにある。
本人は全く気付いていないようだが、良い。
無意識がやっている辺りがまた可愛い。
後、内容も意欲が感じられてまた良い。
多分、真面目なポンコツだから雪憐は評価されるのだろう。
雪憐の事を満足そうに俺が眺めると、雪憐は心配そうに聞いてきた。
「大丈夫ですか?先輩」
「いや、大丈夫」
嘘ではない。
別に大丈夫ではないわけではないし。
むしろ満足だし。
ただ、雪憐のこういう方面の察しの悪さは昔からの事だ。
男子だったらハーレム主人公向きの人だ。
昔か…。
4年前の事、雪憐は俺の好意に気付いていたのだろうか。
聞く訳にもいかないし、仮に雪憐が気付いていなくても、俺が責める権利は無いだろう。
言葉で伝えていないのに、正確に伝わるわけがない。
「本当ですか?顔色悪いですよ、先輩」
雪憐は俺の言葉が信じられなかったのか。
食い下がる。
確かに、昨日は遅くまで勉強をしている。
楽しかったが、朝の目覚めから調子は良くなかった。
「多分、大丈夫だ」
俺は答えた。
多分と付けないと嘘になってしまうからだ。
病気や風邪では無いと思う。
寝不足気味なだけだ。
「多分って大丈夫なんですか…。ちょっと、おでこ貸してください」
雪憐はそういうと俺に手を伸ばしてきた。
雪憐はそういうところは頑固だなと思った。
今回だけではなく、人を助ける努力をできる。
しかし、俺も男子であり、その上相手が雪憐な訳だ。
雪憐が知らなくても、初恋は俺の中で勝手に始まり、まだ終わっていない。
そう簡単におでこを貸す訳にはいかない。
「大丈夫だと思うから」
そう言って俺は軽く雪憐の手を振り払った。
雪憐は少し困った顔をした後、「あれ?」っと言って後ろを指差した。何?
幽霊でもいたのだろうか?
それともクリスタとか俺たちのとっての過去に関する事か。
でも、過去の話ならばそんな明るい顔をしないはずだ。
俺は好奇心に負けて雪憐が指差した俺の斜めを見る。
すると、ぱっとおでこの温かみのある何かが当てられた。
柔らかい手。
先ほどの脈略から雪憐の手だとすぐに分かった。
「先輩…。食べちゃうわけではないですから…」
抵抗しようとする俺を雪憐が呆れ気味に説得する。
俺もこうなると振り払う訳にもいかず、素直に雪憐の方を向いて諦めた。
トクンと心臓が高鳴り、脈動が早くなる。
このせいで寿命が縮まったのではないかと思った。
雪憐は前のめりになっているため、俺と距離が近い。
おでこに手を当てるという短い一瞬なのにすごく長く感じた。
「熱は無いみたいですね」
そう言いい、雪憐は俺のおでこから手を離そうとした、その時だった。
「あれ…夜彩?」
聞き覚えのある声がした。
俺とそのままの体制の雪憐が声の方を見ると。
そこには予想通り紗恵がいた。
紗恵は顔を赤く染めて、モテない弟が彼女と歩いているのを見て感動した姉みたいな表情をしていた。
…いや、それはブラコンだな、世間一般の姉とは違う。
と、効果音でも付けた方がいいだろというくらい高速な速度で俺達に近づいてきた。
「夜彩?夜彩?もしかして、彼女さん?」
紗恵は悪戯っぽい表情をして教科書通りの勘違いをしていた。
図書室で騒ぐのは良くないと思います。
紗恵の捲し立てるようなノリについていけずに雪憐は困惑していた。
それを見て、雪憐の紗恵に関する誤解を解いた方が良い気がした。
今後雪憐は紗恵に会う可能性があるだろうし。
「雪憐、紗恵は普段はそんな感じじゃないから」
雪憐に紗恵を見て言うと、雪憐は少し考えるようにした後、俺に聞いた。
「え、えーと、先輩、紗恵…先輩?は下の名前ですよね?」
なんで、俺に聞くんだ。
情報は情報源に聞いた方が確実だぞ。
と思ったが、紗恵のノリに若干引き気味の雪憐は俺に聞いてきた。雪憐は"よく知らない他人"とのコミュニケーションが苦手なようだ。
「ああ、芝浦 紗恵。俺と同じクラスの2年生だ」
雪憐は名前を聞くと、ぶつぶつと名前を復唱していた。
そんなに名前覚えてもテストにはでないぞ。
「芝浦 紗恵先輩…。先輩が下の名前で呼ぶなんて珍しいですね」
雪憐が意外そうに聞いてきた。
確かにそうかもしれない。
俺はコミュニケーションが好きではないし、下の名前を呼ぶ事はほとんど無い。
今は、クリスタと紗恵だけで、信頼を込めて下の名前を読んでいるのは紗恵だけだ。
と、その紗恵本人は方針転換をしたのか、落ち着いたいつもの紗恵に戻っていた。
最初から、それで行けばよかったのに…。
「はじめまして、私は芝浦 紗恵。あなたは?」
紗恵は雪憐に初対面の人に言う挨拶をした。
相手に合わせて柔軟に対応を変えられるあたり流石紗恵だと思った。
「1年の雪憐 花乃です」
最初は戸惑っていたが、紗恵が印象を変えた事もあり、シンプルに答えた。
紗恵は雪憐が答えてくれたのが嬉しかったのか喜んでいるのが分かった。
「雪憐ね…。雪ちゃんって呼んでいい?」
紗恵は女子的な流れで聞いた。
あだ名をつけるのは、女子はじめましての公式だろう。
この公式に従うとこれは雪憐が紗恵の名前に関して何か言う事だろう。
無難なのが「可愛い名前ですねー」とかだと俺は予想した。
「別に構いませんけど」
雪憐は少し居心地が悪そうにそう答える。
俺は雪憐が別に嫌がってる訳ではなく、単に適切な回答をしただけだと分かるが、女子的には部分点も貰えない綺麗な不正解だ。
と、今度は紗恵が俺に耳打ちをしてきた。
「私、何か怒らせるような事言っちゃったかな…」
そう考えるのも無理が無いだろう。
「別に悪気は無いし、それに人並みに喜んでると思うよ」
紗恵はうなずいた。
その後、ちらっと雪憐の方を見た後、より小さい声で聞いてきた。
「夜彩みたいな感じの人?」
なんで、聞かれないように聞くんだ…。
そんなに、"夜彩みたいな感じの人"は侮辱行為なのか。
それ、俺も巻き添え食らってるんだけど。
「方向性は違うが、共通している部分も多い」
今現在の俺の解析だ。
周りから見れば、同じようなものかもしれないが、根本的には違う。
「わかった」
紗恵はそう頷き、納得してもらえて良かった。
きっと俺になれた紗恵ならばちゃんと接する事ができるだろう。
そう思っていると、少し前に見た悪戯な笑みを浮かべた。
「で、どういう関係?」
紗恵はツンツンと俺の腹を突っついてくる。
そういうことをされるとくすぐったくて困ってしまう。
「昔からの知り合いで、後輩だよ」
紗恵は納得したような顔をすると、さらに話を続けた。
「へー。幼馴染ってやつ?」
紗恵の質問は正解なのだから反論のしようがなかった。別に隠すべきことでも無い。
「そうだな」
俺は気持ちを込めずに簡素に答える。
紗恵は不思議そうに俺達を眺めている雪憐を見る。
「夜彩にそんな可愛い幼馴染が居たなんて。私初耳だよ」
紗恵はウリウリと冗談めかして言う。
外見は可愛いし、性格もクセはあるが俺は気にっている。
可愛いと言うのには十分過ぎるくらいだ…恋してしまったくらいに。
「紗恵には、話してなかったしな」
4年前の事もあったし、雪憐の事を勝手に紗恵に話すのは不誠実だと思ったから。
個人的に、俺が話したくなかったのも理由の一つだ。
「ふーん」
紗恵は何かを察したのか、それ以上は聞かなかった。
これで話を終えると、紗恵は雪憐のところへ近づく。
「連絡先交換しない?」
紗恵はいつも通りのペースで話始め、雪憐は頷いて携帯を取り出した。
オタクのキーホルダーに溢れて、カバーにはカラフルなアニメキャラが描かれた紗恵の携帯と革の単色スカイブルーのカバーをつけた雪憐の携帯。
強烈な対比を感じる。
ふと、携帯を交換する時に雪憐のホーム画面を覗き見してしまった。
覗き見は決して褒められることではなかったが、実はホームが彼氏とのツーショット写真になっていたりしないかなどと馬鹿な想像をしてしまったせいだ。
いっそう、そっちの方が精神的に完膚無きまでに叩きのめされて、綺麗に諦めがついたのかもしれない。
幸いにも、雪憐のホームはツーショット写真などではなく、変わりに見覚えがあるものがそこに写っていた。
昔いつも雪憐と遊んでいた草原の上に、置かれた丁寧に作られたシロツメグサのネックレス。
雪憐が俺のために作ってくれて、そしていつかこのネックレスが無くなるのを恐れて親からカメラを借りて写真に残していたのをよく覚えている。
懐かしい光景だった。
雪憐が過去をぞんざいに扱っていない事が分かって俺は少しほっとする。
一昔前は赤外線通信の連絡先の交換が流行ったようだが、もはや"今は昔"のレベルになってしまっている。
技術発展を感じながら、俺は雪憐と紗恵の連絡先の交換を見ていた。
「雪ちゃん。送っといたよ」
紗恵が嬉しそうに言うと、雪憐は戸惑ったように紗恵からの初めてのメッセージを見る。
メッセージを見た時の雪憐は心無しかより困惑度を増していた気がした。
「届きました。芝浦先輩」
雪憐が事務報告をすると、紗恵がバッチグーとばかりに言う。
「これから、よろしくね」
安定の紗恵を見ていて、俺はいつもの紗恵を思い出す。
紗恵と俺が仲良くなったきっかけがアニメの話だし、そう考えると、雪憐にもするのだろうか。
…ん?雪憐に紗恵がアニメの話をする?
その結論にたどり着いた俺に寒気が襲った。
それはまずい。
戸惑っている雪憐に紗恵がグイグイと布教する光景が目に浮かぶ。
雪憐はそう言う類には手を出しては行けない。
紗恵のようにオタク道を駆け上がるのではなく、真っ当な道を生きてほしい…。
ここは俺が釘を刺さねば。
「紗恵、雪憐にオタクの話をするんじゃないぞ。特に、全年齢以外の話は禁止だ」
俺の突然の発言に紗恵が「えーと」と言いながら聞く。
「え、レーティング制限低すぎない?12歳以上もダメなの?というか、雪ちゃんにオタクの話するなってどういう事…?」
紗恵…やっぱり話すつもりだったんだな…。俺は雪憐を守らねばならない。
「俺は、雪憐には健全で真っ当な道を突き進んでほしいんだ。
だから、紗恵がそういう事を教えては駄目なんだ。真面目で真っ直ぐな人はそのままでいいと思わないか、紗恵?」
「いや、『思わないか、紗恵?』とか言われても…」
紗恵が戸惑っていると、雪憐もなんとかしようと思ったのか助け舟を出した。
「大丈夫ですよ。その、頑張りますから」
雪憐が必死に紗恵を弁護していた。
雪憐がなにを頑張るのは不明だったが、努力する意思と必死さが伝わり、なんかこう、良かった。
それは、紗恵にも伝わったのか、半ば目を潤ませ感動して、紗恵はガバッと雪憐に抱きついた。
「雪ちゃん、いい子!」
紗恵が女子特有のノリで抱きついた。
雪憐が完全に困り果て戸惑っていたが、振り払う事もできず、中途半端になっていた。
目の前で繰り広げられる百合百合しい光景と、俺に突き刺さる図書室の男子の視線。
男子の皆さんには本当に申し訳ないと俺は感じています。
一見すると、幸せそうだが、結局俺の"紗恵が雪憐にオタクの話をしない"という案はうやむやにされて、完全に俺の戦略的敗北だった。
さらに、学校ではこのせいで夜彩の株がストップ安になるだろう。
幸せどころか、デメリットしかない有様だ。
しかし、ふと、雪憐が図書室の入り口を見て表情が曇った。
紗恵もなにかを察したのか、抱きつくのをやめる。
視線の先には図書室に入ってきたクリスタがいた。
クリスタは紗恵を見つけると、近づいてくる。
「紗恵。先生が呼んでたよ」
クリスタは紗恵に用件を伝える。
4年前、俺が犠牲にしてしまった人物にも関わらず、俺はクリスタ本人の特徴の事をあまり覚えていない。
しかし、クリスタとはどこかで会った事があるということはすぐに俺は確信できた。
「うん。分かった」
紗恵はいつも通りの友達と話しているように明るく返事をした。
その一方で、雪憐は申し訳なさそうな顔をしてなにかを言いたげにクリスタを見ている。
「あ、その、クリス……先輩…?」
雪憐はクリスの後に不自然なほどの沈黙があった、きっと"クリスちゃん"と呼ぶべきか迷ったのだろう。
雪憐のその控えめで小さな声を聞いたクリスタは雪憐の方を向いて、
微笑んだ。会釈の代わりなのだろうか。
しかし、クリスタはそのあと何も言わずに紗恵を向く。
「紗恵。後輩に抱きつくのやめた方がいいよ。女の子が好きなわけではないでしょ」
クリスタの冗談半分の言葉。
だが、裏を返せば、半分は本気で聞いている。
「ち、違うよ。その、ごめんね。次から気をつけるよ」
紗恵の回答はクリスタの質問に答えているわけではなかった。
紗恵はきっと、半分本気で言っていたクリスタの質問に、間違った答えをすれば眠っていた地雷を踏み抜く可能性があったからだろう。
空気を読み不確定なものには首を突っ込まない紗恵らしい選択だ。
空気が悪くなったのを察知した紗恵は無理に明るめに切り出す。
「誰先生が呼んでるの?」
クリスタもそれに答えるように声色を変える。
「田中先生。私も用があるんだ」
クリスタはまるで紗恵を俺達から引き離すように歩き出すと、紗恵もクリスタに付いて歩き出した。
何気ない、2人の女子の歩く姿を見ながら、俺の中で一つの疑問が湧く。
確かに過剰かもしれないが、別に抱きついたからと言って、女の子が好きだとは限らない。
なぜクリスタはその事に過度に反応したのか、俺には分からなかった。
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