第9話 七箇所目 今熊野観音寺(泉涌寺塔頭)  1999.11.22

 戒光寺から泉涌寺せんにゅうじの方へ少し歩き、分かれ道を鳥居橋の方へ。

 五色楓を始め楓の木が多いとガイドブックの‘歩く地図’に書いてあったので紅葉を期待していたら、すでにこの鳥居橋付近から紅葉がすばらしい。人も通らないので思う存分写真を撮る。

 今熊野観音寺は隠れた紅葉の名所といえそうだ。刈り込みの上に落ちて朝露に光る楓を拾って大事にしまう。アルバムに写真整理をするとき一緒に収めよう。

 ここは病気封じの信仰で有名らしく、後白河法皇が頭痛を封じられる様子の霊験記の額刺繍が奉納されていた。ボケ封じの観音様も。言われてみれば、なんだか霊験ありそうな磁場を感じるなぁと思った。その時だった。すれ違った小柄なご老人が、「秘密の水を飲みましたぞ」とつぶやいたので、‘歩く地図’に独鈷水とっこすいのことを書いてあったのを思い出した。ご老人が歩いて来た方には小さなお堂があり、その下に扉があるのを見つけた。横には湯呑茶碗が置いてあるので、これに間違いないよ、と私が言うとかんちゃんが扉の中にかがみこんで、手探りで水を汲んでくれた。かんちゃん、えらい!…で、独鈷水って何?


 …そんなボケで終わっている23年前の旅日記。疑問のままで終わってしまってはだめじゃないかと、今回調べてみた。ちなみに、当時よく参考にしていたガイドブックが‘歩く地図’(については改めて記したい)なのだが、今なお大事に持っているのでそちらをめくってみる。独鈷水というのは、弘法大使が独鈷という法具で岩を穿つと水があふれ出たのでその名がついたそうだ。場所は来迎院の門をくぐったところになっている。今熊野観音寺からは歩いてすぐの場所にあるから日記にあんな風に書いていたのか。ちなみに、今熊野観音寺には五智の井、五智水というのがある。弘法大使が錫杖で岩を穿つと水が出てその名がついたという。使われた法具や名前が違うのもおもしろい。独鈷水と混乱なきように。

それにしてもなぜ、この辺りに弘法大師空海が出没…じゃない、現れていたのか?と疑問は次から次へ。調べると次のようなことだった。


 弘法大師が唐で修行を積んで帰国し、東寺にてさらに修行に励んでいたとき、この地に光明がさし瑞雲がたなびいているのをご覧になった。不思議に思って訪ねて行かれると一人の老人が現れて小さな十一面観音菩薩像を大師に与え、「ここにお堂を建てて観音様をまつり衆生を救済せよ」と言われた。大師がどなたですかと尋ねると、「われは熊野権現で、永くこの地の守護神になるであろう」と告げ姿を消した。大師は熊野権現のお告げに従い一堂を建て自ら十一面観音像をつくり、授けられた小さな十一面観音像を胎内仏として納められた。


 それがこの今熊野観音寺の始まりだそう。

 日記に書いていた、なんだか霊験ありそうな磁場を感じる…って、私にも超能力があったのか!?? 

だとしても、23年後に気づくなんてねぇ。あれ?じゃあ、独鈷水を教えてくれた小柄な老人って、熊野権現………?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る