第3話 二箇所目 祇王寺 1982.8
前話の、京都は暑いという第一印象を一掃してくれたのは嵯峨野だった。
修学旅行の二日目は三、四人のグループで朝から夕方までの自由散策ということで、二年生一学期の終わりには女子全員が体育館に集合し、計画の時間が与えられた。
私は小学生の頃からの幼馴染みのT子ちゃんと、中学生の頃から仲の良かったY子ちゃんとの三人で散策することになった。T子ちゃんの歴史好きのいとこのお姉ちゃんが、最近嵯峨野へ行ってすごく良かったと教えてくれたコース通りで計画を立てた。
高校生で嵯峨野めぐりなんてこれまた渋いかもしれないがT子ちゃんはその後、国立大の史学部へ進んだほど歴史に興味があったし、私は私で歴史の時間には教科書や図録に載っている仏像を眺めてうっとりしている変わり者だったのだ。その後教師になったY子ちゃんも楽しみにしていたのだが、当日朝方から発熱して宿で休むことになってしまったのはとても残念だった。
さて二日目の朝、私とT子ちゃんはバスに乗り嵯峨野へ。万緑の木々に囲まれた嵯峨野は、一日目に大原を歩いた時よりもずっと涼しく感じられた。化野念仏寺、あだしのまゆ村を見て祇王寺に着いた。なんと風情のあることよ! 私は清少納言の『枕草子』口語訳調で思った。
こじんまりとした境内の庭は美しい苔の絨毯と楓の青葉の覆い天井のようだ(また数年後に訪れた秋には苔の上の散もみじと紅葉で、空気が朱色に見えるほどの美しさだった)。その奥にかやぶき屋根の草庵がひっそりとした佇まいを見せる。
私たちは草庵へ上がり、仏間に正座した。音声ガイドが流れて来た。この庵にまつわる平家物語の一節が紹介される。
白拍子の祇王は平清盛の寵愛を一身に受け、妹の祇女や母親とともに優雅な生活を送っていた。そこへ野心を持って清盛の前に現れた別の白拍子、仏御前。清盛が追い返そうとしたのを祇王が‘会わずに帰してしまうのは哀れ’ととりなせば、清盛はより若い仏御前に心変わりし、祇王を屋敷から追い出してしまう。やがて仏御前は祇王の書き残した歌、
もえいづるも枯るるもおなじ野辺の草 いづれか秋にあはではつべき
を見ていずれは自分も祇王と同じ憂き目にあうと悟り、祇王、祇女姉妹と母親が尼となって暮らす嵯峨の山里をたずね、ともに仏に仕えた。
祇王は二十一、祇女は十九、仏御前は十七歳だったという。
境内には祇王の詠んだ歌の歌碑もあり、仏間には祇王姉妹と母、仏御前の四人の木像と本尊の大日如来像、平清盛像が安置されている。ここに浮気男の像、要らなくない? っていうか、居づらくない?
ゴーン(鐘)
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