平民主婦の成り上がり物語

 かつて、勇者に覚醒した若い主婦が持っていた魚切り包丁は彼女が実家から嫁入り道具で持参したもので、後から調べると聖剣を鍛えたハイドワーフの名工の作だった。


 ハイドワーフ、即ちハイヒューマンのドワーフ族だ。


(話盛りすぎだろって当時も言われたらしいけど、事実なのよねえ)


 ハイドワーフはものづくりが得意な種族で、聖なる魔力を持った、聖なる武具や道具を作成して世界各地に残していることでも知られている。


 他のハイヒューマンと同様、500年前にはもうほとんど種族として絶滅しかかっていたが、たまたま多種族国家のカレイド王国に流れてきて、王都の端っこで工房を構えていたらしい。


 魚切り包丁は細身の長い包丁で、生魚を捌いて切り分けやすい形状をした包丁だ。


 ハイドワーフ産の魚切り包丁は、何と聖剣と同じ素材と製法で作られていた。

 中身の地金に金の上位金属オリハルコンを用い、この世界では鉄の上位金属ヒヒイロカネで包み込み、ダイヤモンドの上位鉱物アダマンタイトで磨き上げた逸品だったそうだ。


(なんで庶民の家の台所に聖剣レベルの魚切り包丁が? って疑問もあるけれど。一番大事なのは、聖剣級の武器を持っただけで一般人の主婦が勇者に覚醒したことよね)


 若い主婦は今のマーゴットと同じ、燃える炎そのものの赤毛だったそうだ。


 街を壊して暴れ回る怪獣を見て、彼女がぶち切れたことは間違いない。そのように彼女本人の発言が記録に残っている。


 その日は勤め先の商会の給料日で、帰りにまだ赤ん坊の息子の産衣用の新しい刺繍糸を買いに寄ろうとウキウキ楽しみにしていたそうで。

 なのに突然来襲した魚人の怪獣によって、勤め先は崩壊。王都の町も荒れ地化して、裁縫店まで潰れているときた。



『カッとなってさばいた。後悔なんてするわけがない』



 義憤に駆られた正しき心の持ち主が持つことで、ハイドワーフ作の魚切り包丁は聖剣としての機能を発揮し、若い主婦を勇者に覚醒させた。

 そして巨大な魚人の怪獣を倒させた。


(その頃には既に、人類の上位種ハイヒューマンは伝説化していて、人間は自分たちが彼らと比べて劣化した下等種だと悲観していた。守護者のカーナが訪れるカレイド王国ですら、そうだった)


 と思ったら、聖なる魚切り包丁を手にした、ごくごく普通の主婦が勇者に覚醒して、王宮より大きな怪物を倒したのだ。

 上は王族から下は庶民まで大騒ぎだ。祭だ。飲めや歌えの大騒ぎ。




 王都の復興作業が続いた半年間、ほとんど毎日がお祭り状態で、ようやく落ち着いた頃に怪獣を倒した若い主婦が叙爵じょしゃく、つまり国王から爵位を授けられた。


 位は伯爵。

 当時のカレイド王国では庶民が家名を持つ例は少なく、彼女も名前と出身地しか名乗れるものを持っていなかった。


『聖剣の女勇者よ。何か希望する家名はあるか?』


 と国王に問われて、勇者となった若い主婦は、亡き夫が好きだったプディングがいいと答えた。

 自分が勇気を出して戦えたのは、愛する夫が胸に、そして彼との間にもうけた忘れ形見の息子を背負っていたからだと言って。


 そして以降、女勇者はプディング女伯爵となった。


 ついでにいえば、このときの女勇者の言葉に感動、もとい胸キュンした年下の国王がその場で彼女に求婚したというおまけ付き。

 女伯爵となった女勇者は、自分が子持ちの寡婦であることを理由に断ったが、勇者誕生に沸く国民を味方にした国王に押し切られて王妃となった。


 このような歴史上の出来事があるため、カレイド王国は王政国家の中では例外的に身分差別が少ない。

 王妃となった元平民の女勇者は年下の国王との間にたくさんの子供を産んで、その子供たちや孫たちは、王族、貴族、平民と様々な相手と結婚して子孫を作っていったためだ。




 女勇者の成り上がりは、現国王の王妃が平民でも王妃になれた理由の一つである。


 ただし、彼女メイ王妃の場合は他国の出身者だったことがネックだった。


 それに、かつての女勇者ですら己が平民の寡婦であることを理由に当時の国王からの求婚を何度も断っているのに、遠慮もせずにダイアン国王とそのまま婚姻を結んだことには庶民からも評判が悪かった。


(様式美ってやつよ。形だけでも一、二度断ってたら良かった。プディング女伯爵のようにね)


 女勇者の先例がありながら活かせなかったメイ王妃には、結婚当時も周囲からの失望が大きかったと聞く。


 何にせよ一ヶ月の短期留学の期間中は、国での煩わしいことを忘れよう。



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