第12話 避暑地にて
それから2ヶ月が経ったある日――
紬はクレイルの執務室に呼び出された。
「忙しいところ悪いね、ツムギ。ところで、もう夏だね。暑いと思わないかい? 実はレイチェルを連れて避暑地に行くことにしたんだよ」
のどかでいいなと紬は思ったが、下っ端の使用人である自分は留守番だと受け取った。
「それは素晴らしいですね。私はどうしたらいいのでしょうか?」
紬の問いに対して、クレイルは首を傾げて、君は何を言っているんだい? という様子で続けた。
「うん? 当然君も来るんだよ?」
「……はい?」
「レイチェルは、君がいないと嫌だと言ってきかないからね。それに、貴族の旅行に使用人はついてくるものだ。だから、遠慮はしないでいい」
そんなわけで、紬は王都から少し離れた場所にある避暑地にやってきた。
クレイル、レイチェルの他、公爵家の係累が何名か。そして、彼らに随行する大勢の使用人たち――
(クレイル様、確かに使用人は多いと言いましたけど!)
明らかに、付き従っている使用人たちは公爵家に長く仕える選りすぐりばかりだった。新参は紬のみ。
偉大なる先輩たちに囲まれて、紬は緊張しっぱなしの馬車旅行だった。
「ここが泊まる場所だ」
先導するクレイルに従って別荘に入る。
さすがに公爵家の所有物だけあって、別荘のくせにかなり大きい。庶民の家とは比べもにならない。
使用人たちにも部屋が割り当てられているが、紬は後衛にもレイチェルのご指名で同部屋となった。
レイチェルとともに部屋へと入る。
部屋自体はしばらくは使っていなかったが、埃っぽさは一切なかった。住み込みの使用人が定期的に掃除しているためだ。
「わーい」
レイチェルがボスンとベッドに飛び込む。
その隣にあるベッドが紬のものだ。ぱっと見ただけで、さすがは貴族用と思わせる豪勢なベッドだった。
(役得と言うか、恐れ多いというか……)
根が貧乏性なので、紬はついつい恐縮してしまう。
紬が持ってきた荷物を整理していると、レイチェルが口を開いた。
「今年はね、すごく楽しみだったの!」
「そうなんですか?」
「だって、ツムギがいるんだもん! 絶対に楽しいに決まってるもん!」
レイチェルがキラキラした目で紬を見つめてくる。そんな100%の信頼をぶつけられてしまうと、紬は幸せを感じてしまう。
(はわ、はわわわわわ! 過分でございます。お嬢様!)
子供の世話は大変だが、こんな瞬間があるため、全て忘れてしまう。子供の笑顔には、それだけの力があるのだ。
荷物を片付けた後、紬はレイチェルとともに別荘の外に出た。
どこまでもずーっと緑が広がっているのどかな場所だ。ただ、それは無造作に生えているのではなく、明らかに人の手によって維持された、人工的な美しさが確かにあった。
遠くを眺めると、ぽつりぽつりと、公爵家の別荘によく似た感じの建物が点在していた。
背後から声がした。
「ここは王国の貴族たちが利用している避暑地でね、彼らの別荘が多いんだよ。ここは貴族の社交場でもあるんだ」
振り返ると、クレイルが立っている。
紬は口を開く。
「位の高い人が多いとなると、警備は大丈夫なんでしょうか?」
公爵家からも幾人かの護衛を連れてきているが、多勢が攻めてきた場合は明らかに戦力不足に紬には思えた。
クレイルは紬の不安を振り払うように、にこりとほほ笑んだ。
「そこは大丈夫だよ。騎士団が駐在しているからね。ここに手を出した野党は全滅あるのみだ」
ふふふとクレイルが笑う。
「加えて、今は一番安全な時期かもしれない」
「どうしてですか?」
「君のお友達である聖女様も祭儀のためにこちらに来ているんだ。護衛として教会お抱えの聖騎士団もいるから、有事でも安心だね」
そんな大人の会話をしていると、足元から小さなレディが抗議の声を上げた。
「ねえ、クレ兄! レイチェルにもわかる話をしてよ!」
「あはは、すまないね、レイチェル。お詫びに、今度、一緒に聖なる森のまで散歩するか」
「え、お散歩!? 楽しそう!」
「もちろん紬も一緒だよ」
クレイルがレイチェルの見えないところでウインクを飛ばしてきた。話を合わせて欲しい、という合図だろう。
「もちろんです。一緒に行きましょう、レイチェル様」
「わーい! 今すぐ行こう!」
「今すぐはだめだよ、みんな疲れているからね」
翌日は、クレイルが言うところの『今度』ではなかった。なぜなら、お昼に貴族たちとの野外パーティーがあったからだ。
――ここは貴族の社交場でもあるんだ。
そんなクレイルの言葉通り、避暑地に来ていた貴族たちがやってきた。
随行している使用人たちは少ないため、みんな忙しそうに立ち回っている。てっきり紬もお手伝いをするものだと思っていたら、にこやかなクレイルからこう言い渡された。
「君はレイチェル専任だ。寂しがり屋のお嬢様のために頑張ってくれ。執事長もその認識だ」
そんなわけでレイチェルと一緒に過ごすことになった。
3歳くらいの貴族の子供たちにも『社交』はある。
「ごきげんよう、クラリスちゃま」
「ごきげんよう、フランソワーズちゃま」
着飾った小さなレディたちが、スカートの裾をつまみ上げて、丁寧――とは言い難いが、それなりに頑張った仕草で挨拶している。
(……尊い……)
あまりのかわいさに、紬はそんなことを思った。子供は何をしてもかわいいのだ。
貴族の子供たち――と言っても、幼児レベルだと貴族モード時間はまだまだ短い。原始的な本能に基づき、あっという間に『子供』に戻ってしまう。
そうなると、走り回ったり、キャーキャー騒いだりと――
(ああ、前世の保育園と変わらない……)
貴族の子供たちといえども、違いはなかった。
子供たちの遊びを注視するのも大切な仕事だ。彼らはいともたやすく怪我をするから。とはいえ、忙しく働いているわけではないので、食事会で慌ただしい同僚たちには少し申し訳ない気持ちもある。
だが、平穏な時間は短くなかった。
「ツムギ! あそぼ!」
「へ?」
レイチェルに誘われて、紬の強制参加が決まってしまう。
「ツムギはねー、いろいろな遊びを知ってるんだよ!」
ハードルまで上げられてしまう。貴族の子供たちが期待のこもった瞳を向けてくる。
(レイチェルお嬢様に恥をかかせるわけにはいかない! 保育士としての引き出しを見せるとき!)
紬は一緒に遊んで、一緒に踊った。
子供たちは大喜びで楽しい時間を過ごし、あっという間にお開きの時間になった。
「ちゅむぎー、おもちろかったー!」
3歳の貴族幼女が近づいてきて、紬の足に抱きつく。さらに、4歳くらいの男の子もやってきて、
「もっと遊ぼうよー」
と裾を引っ張る。他の子供たちも口々に楽しいよー、もっと遊びたいよーと言いつつ、紬との別れを惜しんだ。
「あははは……また、遊びましょうね」
自分を慕う子供たちに囲まれた幸せ感を感じつつ、紬はそう言った。
囲みに入り損ねたレイチェルが頬を膨らませて叫んだ。
「もう! 紬はレイチェルのなの!」
今日の紬の武勇伝は子供たちや、監督していたメイドたちの口から貴族社会へと流れていき、
――ファインツ公爵家にはとても子供扱いに慣れた敏腕のメイドがいる。
という噂が広まっていく。
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