第9話 地固まる
翌日、紬は転生直後にお世話になっていた孤児院に来ていた。
孤児院の子供たちも懐いていたので、週に一度はこちらに来ることを許可してもらっていたのだ。それほど遠くはなく、王都の周囲は治安もいいので、女性が1人で歩いても問題はない。
仲のいい子供たちと接することは、紬にとって労働ではなく充電なのだ。
そんな感じで作っていた、自分のもうひとつの居場所が役に立った。
紬は、昨日の『やっちまったこと』を老シスターにぼやく。
「……え、お貴族様のお嬢様を怒らせてしまったって? 大丈夫なのかい?」
老シスターが心配そうな声を出す。
「ギロチンにかけられそうだったらいいなよ。かくまってあげるから!」
「さすがに大丈夫だと思いますけどねえ……」
公爵家の当主代行であるクレイルの性格からして、いきなりそこまで話が進むこともないだろう。
(でも、そうなったらそうなったで、聖女の怜さんがなんとかしてくれる気もする……)
できれば、手を煩わせたくはないものだが。
孤児院の子供たちの相手をして気分をリフレッシュしてから、紬は公爵家の屋敷に戻った。
翌日、
(さて、今日はどうしたらいいんだろう?)
と部屋で考えていると、執事長がやってきて、くれいる様の顔を呼びだから行くようにと言われた。
執務室に入ると、にこやかな様子でクレイルが紬を迎えた。
「急に呼び立ててすまないね。最近レイチェルはどうかな? と聞いてみたくて呼んだんだ」
「執事長から報告がありましたか?」
「うん? 執事長? いや、何も聞いていないが。今日のこれは、私から声をかけただけだ」
一昨日の出来事があったので、てっきり執事長の報告を受けて呼び出されたものだと思っていたが、どうやら違うようだ。
もちろん、紬には隠すつもりはなかったので、ありのままを伝えることにした。
基本的に、レイチェルとはいい関係が築けているということを伝えた後、
「ただ、2日前から少し問題がありまして――」
そして、ことの顛末をクレイルに伝えた。
「どうやら、その絵本はレイチェル様にとって大切なものだったようで、私に触られたことが気に入らなかったようでして。出入り禁止を申し渡されたので、執事長に相談して他のメイドをアサインしてもらっています」
「……どんな絵本なんだい?」
「表紙にフクロウとネズミが描かれた絵本です。最後のページにお母様のサインが入っておりました」
「……ああ、あれか」
昔を懐かしむ様子で、クレイルがつぶやく。
「ご存知なんですか?」
「私たち家族揃っての、最後の家族パーティーでレイチェルが母からもらったものだ」
「……最後?」
「少し前に、母が亡くなったからね」
「!?」
「レイチェルを産んですぐ、母は大病を患ってしまってね。己の死期を悟った母がレイチェルに贈った本なんだよ」
「…………」
だから、わざわざ本にサインを残した――
あまりにも悲しい理由に、紬は胸に痛みを覚えた。
「だから、他の誰にも触られたくなかったんだろうね……」
「……悪いことをしてしまいましたね」
「知らなかったのだから、仕方がない」
そのときだった。
執務室の向こう側が急に騒がしくなった。子供の泣き声が聞こえてくる。
その声には聞き覚えがあった。
(レイチェル様?)
ドアをノックする音が響き、執事長の声が続く。
「失礼いたします、レイチェル様が紬に会いたいと希望されておりますが」
(え、私?)
紬と目を合わせた後、クレイルは言った。
「構わない。入れ」
すぐにドアが開き、執事長と、彼に抱きかえられたレイチェルがいた。レイチェルの顔は涙で濡れていて、大声でわんわんと鳴いている。
紬の姿を視界にとらえた瞬間、レイチェルが口を開いた。
「なんでいないの! どこにいってたの!」
どこかに行けと言ったのは本人なので、実に理不尽な言葉だった。
だが、これは貴族だから高飛車なことを言っているのではなく、単純に、子供だからだ。
そして、紬は気がついている。
紬の能力は、彼女の言葉の裏にある『寂しさ』をとらえていた。
「クレイル様とお話しておりました。何か御用でしょうか?」
「用なんてない! 私のメイドでしょ!」
ふん、とレイチェルが鼻を鳴らす。
執事長が口を開く。
「……昨日から、レイチェル様は、不満そうだった。誰、とは言わないが、誰かを待っているようなそぶりだった」
「……そうなんですか?」
「今朝。別のメイドが向かったら、このような状態になった。紬を出しなさい、紬はどこ! と」
「いわないでいいの!」
レイチェルが執事長をたしなめるが、執事長はすまし顔のままだった。
伝える必要がある、と思ったので、言ったのだろう。
(……私の名前を覚えていてくれたんだ……)
今まで、レイチェルは紬を名前で読んだことはなかったのに。
紬は執事長からレイチェルを受け取った。レイチェルは頬をぷーと膨らませて、紬を見ない。
「寂しい思いをさせて申し訳ありません」
「さみしくなんかないの!」
とはいえ、心から聞こえる感情は「むっちゃ寂しかったー」なので、紬は笑いそうになるのをこらえた。タイミングが悪すぎる。
紬がいないことは普通にあるのだが、今まで爆発することはなかった。きっと「出ていって!」と自分が言ってしまったことに気づき、過剰な反応をしてしまったのだろう。
子供とはそういうものだ。
後先考えずに行動して、後悔しても謝ることができない。
こちらが歩み寄ることが大事なのだ。
だから、寂しい、というレイチェルの感情に対して紬は返事をした。
「大丈夫ですよ、どこにも行きませんから」
「……ほんとに?」
「はい」
そういうことなのか、と紬は内心で納得した。
どうしてレイチェルがメイドたちを困らせるようなことをしていたのか。
それはきっと、甘えられる――甘えても大丈夫そうな、自分を裏切らない人を探していたのだろう。
なぜなら、レイチェルにはもう母親がいないから。
比較対象は亡くなった母親。試験が厳しいのは当然だ。母親と同じくらい、自分と付き合ってくれる人を探していたのだ。
そして、紬はいつの間にか合格していたのだろう。
そうやって頼りにし始めていた紬に、うっかり「出ていけ!」と言ってしまって、本当に姿を見せなくなったので慌ててしまったのだろう。
(あってるかどうかはわからないけど、それでいいか)
うん、と紬は納得した。自分の中で筋が通っていればいいのだ。誰かに言うわけでもなく、レイチェルに確認するわけでもないのだから。
「では、部屋に戻りましょう。今日はうんと遊びましょうね」
「うん!」
紬は振り返った
「現状としては、こんな状況です。報告は十分ですか?」
「お疲れ様」
クレイルが肩を揺すって笑う。
「心配はいらないようで、何よりだ」
紬は執務室を出た。レイチェルを抱き抱えながら廊下を歩いていく。
(……母親には勝てないだろうけど……できる限りのことはしなくちゃね)
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