第6話 名門ファインツ公爵家のお嬢様

 ――この馬車に揺られて遠くの果てに行くんだろう。


 教会を出るとき、紬はそんなことを思ったが、そんなに遠くはなかった。王都は境界から見えている街だったからだ。

 城の近くに並ぶ貴族の居住区で、一際大きな邸宅の前で馬車が止まった。


「こちらがファインツ公爵家でございます」


 紬を案内してくれた老紳士がそんなことを言う。

 大きな庭付きで、旅館ですか? というくらい大きな家だ。


(さすがは大貴族様……ていうか、わたし、ここで住むの?)


 小市民な紬は、それだけでビビっている。

 老紳士に連れられて、邸宅の主人がいる執務室へと通される。


 部屋に入ると、そこには大きな机があり、向こう側には『少し長めの金髪で、爽やかな表情がよく似合う20代前半くらいの甘いイケメン』が座っていた。着ている服も貴族にふさわしい豪奢ごうしゃなもので、完全にファンタジーな存在だった。


(ほ、ほ、ほ、ほおおおおお!)


 ひょっとするとハリウッドあたりにはいるのかも知れないが、こんなイケメンをリアルで見たことがない紬は固まってしまった。


(CG!?)


 そんなことはなく、目の前のイケメンが口を開いた。


「初めまして、聖女候補のツムギ。私の名前はクレイル。今日からこのファインズ公爵家が君の後見人となることを約束する。生活に関わる全てを保障しよう。安心してほしい」


「は、はい……あり、ありがとう、ございます!」


 落ち着け落ち着けと己に言い聞かせながら、紬が応じる。


「本来であれば、聖女候補であるあなたには当主である父がお迎えすべきなのだが、父は領地に帰っていてそれができない。無礼を許して欲しい」


「いえいえ! 私なんて、ただのハズレですから、気にしないでください! むしろ、そんな私でも拾ってくれたことに感謝しています!」


 慌てている紬の様子がおかしかったのか、クレイルが目が細める。


「そう言っていただけると助かる。自宅だと思ってのんびりと過ごして欲しい――と言いたいところだが、実はあなたにしてもらいたい仕事がある。聖女様から何か聞いているか?」


「はい、こちらの、お嬢様の世話をするよう伺っておりますが」


「そのとおり。レイチェルという末の妹がいるんだが……なかなかやんちゃな子でね。メイドたちを困らせているんだよ」


 ふぅ、とクレイルが重いため息をこぼす。


「君はとても子供の扱いが上手だと聞いている。客人なので無理にとは言わないが、一度レイチェルの世話をしてもらえないだろうか?」


 クレイルの言い方からして、断ったとしても紬を追い出したりはしないだろう。

 だが、紬に断るつもりはもちろんない。


「喜んでお受けします! 子供のお世話は大好きなので頑張ります!」


「気合がこもっていて嬉しいね」


 クレイルが薄く笑みを浮かべる。


「ただ、末の妹もなかなか扱いにくいからね……君のその信念が揺らがないことを祈るよ。何か困ったことがあればすぐに言ってくれ。あくまでも客人なのだから」


 その後、紬は与えられた個室へと向かう。


「こちらの部屋で大丈夫でしょうか。不都合がありましたら、他を用意致しますが」


 案内してくれた老紳士がそんなことを言ったが、

「いえいえいえ! いいですいいです! もう十分です!」


 前に暮らしていたワンルームの2倍はある広さで、調度品も一通り揃っている。おまけに家賃ゼロなので文句をつける部分などなかった。

 シスター服からメイド服に着替えて、紬はレイチェルの部屋へと向かう。


「レイチェルお嬢様、入ります」


 先導していた老執事がノックして部屋に入っていく。

 部屋にはメイドと、5歳くらいの女の子がいた。

 金色の髪をツインテールにした、かわいい女の子だ。ただ、表情に出ている気の強そうな感じが、かわいさを減じている。


(ベースはクレイルさんと似て整っているのに、もったいないな)


 そんなことを紬は思った。


「誰なの?」


 レイチェルが質問する。

 ぶしつけな言葉遣いだが、他人を見下しているというよりは、まだ幼いから細やかな表現ができないのだ。そんなことは紬にとっては当然の知識なので、特に不愉快に思ったりはしない。


「レイチェル様の専属として配属された新しいメイドの紬と申します。よろしくお願いいたします」


「ツムギ? 変な名前。覚えにくい」


 子供らしい直接的な表現だが、もちろん紬は気にしない。この行動も、紬の子供ならそういうものだろうの範疇に入っている。


「ゆっくり覚えてくれればいいですよ」


 挨拶がすみ、レイチェルへの奉仕が始まった。

 一週間ほどは前任のメイドが一緒に仕事をしてくれたが、とうとう今日からは一人で動くことになる。


(……正直、楽だな……)


 一人で何人もの子供たちの相手をしていた前世を思うととても楽だ。貴族の娘なので怪我をさせてはいけないから気を使うと前任のメイドは言っていたが、

(……前世でも細心の注意は一緒だしな)


 現代日本でも「子供は宝、子供は大事」の思想は変わらない。それを守る保育をしてきた自負もある。

 気になることもあったが。

 前任のメイドは最後の日にこう紬に告げた。


「今はまだおとなしいけど、レイチェルお嬢様はイタズラが好きで、大人を困らせてくるから」と。

 そして、その日はいきなり訪れた。


「ぬいぐるみで遊びたいの」


「わかりました、遊びましょうか」


 さすがに貴族の令嬢だけあって、部屋の中に大量のぬいぐるみがあった。そこで、紬は象のぬいぐるみを手にしたが――


「いや! 亀のぬいぐるみがいいの!」


「亀、ですか」


 確かにそのぬいぐるみがあったことを紬は覚えている。片付けた記憶もある。だが、部屋を見回しても、亀のぬいぐるみはなかった。


「ないですね」


「亀じゃないと遊ばない。探して!」


 レイチェルは紬の手にある象のぬいぐるみを手に取ると、遠くにポイッと投げた。

 紬はじっとレイチェルの目を見た。


「ダメですよ。物を投げるのは。やっちゃいけません」


 貴族の令嬢だとなんだろうと、紬はひるまずに言った。子供の教育に関わることで忖度するつもりはない。

 他のメイドのときにはなかった紬の注意に、レイチェルはびくりと体を震わせるが、プイッと横を向く。


「亀のぬいぐるみ!」


 もちろん、この反応もまた紬の想定内。子供とはこういうものだ。

 紬はぬいぐるみを探すが、部屋のどこにもない。触るのはレイチェルかメイドだけ。レイチェルはそこら辺に放り投げるから、必ず目に入る場所にあって、メイドなら正しい場所に置いてある。

 そこを探してもないとすれば、あとは意図的に隠した場所だけ――

 目を合わせようとしないレイチェルに紬が目を向ける。


「どこにあるんでしょうか、お嬢様?」


「知らなーい」


 そのとき、紬の頭に何かが浮かび上がってきた。


(……クローゼットに隠したぬいぐるみも見つけられないのかしら。がっかりね……)


 クローゼットのほうに目を向けると、視界の端でレイチェルの目がつられて同じ方向に動く。


(ふぅん)


 困らせて喜ぶ――前任メイドの言葉を思い出しながら、紬はクローゼットのドアを開けた。

 そこには亀のぬいぐるみがあった。


「ありましたよ、お嬢様」


「早くちょうだい」


 あいかわらず視線を逸らしているレイチェルにぬいぐるみを渡す。それからしばらくレイチェルの相手をした後、紬は自室に戻った。


 廊下を歩きながら、こう思った。

 レイチェルは大人を困らせて喜んでいるのではない、と。


 そもそも、小さな子供が大人を困らせて喜ぶはずがない。なぜなら、理由がないからだ。他人の足を引っ張ることに意味を見出すのは、社会に染まった人間にしかできない。


 だから、大人が困っているのは結果でしかなく、子供の動機は別のところにある。たとえば、自分への気を引くために大人を困らせる行為は、あくまでも『気を引く』という動機が前にある。


 レイチェルは『がっかりね』という表現を使った。

 その言葉に、困らせようという意志を紬は感じなかった。


(何かを試している?)


 レイチェルの行動を注意深く見守ろう、そう紬は考えた。

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