第5話 聖女との再会

 3ヶ月ぶりに、紬は怜と再会した。

 ただ、服装は以前のような白衣ではなく、聖女にふさわしい白と青を基調としたローブに代わっていたが。

 怜の目が紬をとらえる。


「元気そうだね、紬」


 周りにいる付き人たちについてこないよう手で合図してから、ゆっくりとした足乗りで紬のところまでやってくる。

 怜が周りの子供たちに目を向けた。


「すごいね、君は。自分の仕事まで見つけてしまうなんて。大変じゃないのかい?」


「ううん、楽しいことだけだよ。だって、好きなことを仕事にしているんだからさ」


 嘘偽りのない気持ちを紬は語った。

 怜は、うんと頷いた後、紬が抱えている小さな新生児に目を向ける。


「ずいぶんと小さいな」


「生まれて1ヶ月だって。新しく入ってきた子だよ」


「赤ん坊を見たことはあまりないのだが、こんなにも小さいものなのか」


「こんなにも小さいものなんだよ」


 そういった後、紬は怜に抱いている子を差し出した。


「抱っこしてみる?」


「え、いや……」


「慣れてないんでしょ? 何事もやってみたら? 人間はさ、意外と頑丈なんだよ」


「ううむ……」


 唸りながら差し出した怜の両手に、紬は赤ん坊を乗せた。

 おお! とか、わあ! とか妙な声があちこちから聞こえてくる。特に、怜の付き人たちが顔をくわっとさせている。


(……あれ? ひょっとして聖女が抱っこするのって特殊な意味があったりする?)


 日本にもそういうノリはあった。うっかり勢いで渡してしまったが、勢いがよすぎたのかもしれない。


(ま、まあ……本人の怜が断ってないし……)


 その赤子にご利益を与えるはずの、ありがたい聖女様は新生児を抱きながらオロオロとしながら、

「こ、こ、これは……!? なんかすごく華奢で脆いんだが!? 重力が、重力が消失しているぞ!?」


 なんだか科学者としてどうかと思うことを口走っていた。


「赤ちゃんはそんなもんだよ。でも、すぐに大きくなるけどね。大切に扱ってあげてね?」


「さっき頑丈だって言ったじゃないか!?」


「大切にお世話するのが前提だよ?」


 うふふふと笑いながら、柚木から赤ん坊を受け取る。腕に、頼りない重みが帰ってきた。それでも確かな温かみが両手に伝わってくる。

 ほぅと息を落ち着けた後、怜が口を開く。


「少し落ち着ける場所で話そう」


 シスターに赤ちゃんを預けた後、紬は怜とともに奥の部屋へと移動した。

 テーブルに向かい合って座ってから、紬が口を開く。


「聖女としては何かしたの?」


「……いや、特には。色々としきたりや儀式に追われて何もできていないよ。あまり意味のある行為とは思えないので、実に億劫だ」


 怜の経歴からすれば、真逆の世界観なのだから、辛いのは当然だろう。


「聖女的な力とか――なんか出たりするの?」


「ふむ」


 おもむろに、怜が右手を横に向けた。


「全てを遮れ『ホーリーバリア』」


 その瞬間、怜の右手の先に黄金の壁が出現した。


「おおおおおお! すごおおおおおおい!」


 ロマン! ロマンだ! そんなふうに紬のテンションは爆上がりした。

 だが、当の本人である怜の表情は曖昧だった。


「非科学的すぎる。まあ、こちらの原理原則からすれば、科学的な理由があるのだろう。彼らは神の力と言っているが、何も信じていない私になぜ力を貸すのだろうな」


 ふう、とため息をつく。


「なぜこの私が聖女なのだろうか。人選ミスも甚だしい。ここで子供の世話をしている君の方がよっぽど聖女らしいと思うのだがね」


 何かフォローしようと思ったが、紬には思いつかなかった。

 紬が聖女らしいかどうかはともかく、確かに怜という存在は聖女やファンタジーと対極にある。

 怜がホーリーバリアを消す。


「ところで、紬には妙な力はないのかね?」


「え、私? でも、私は聖女じゃないよ?」


「その事実は、君に特殊な力が存在しないことを証明しない」


「学者っぽい言い回しだねー」


 うふふふ、と笑ってから、紬は応じた。


「うーん、変って感じじゃないんだけど……子供が思っていることがわかるときがあるんだよね」


 ここにきた日に感じた違和感。それを紬は忘れてはいなかった。そして、それは間違いないと今では確信していた。その後も紬の直感は冴え渡り、彼女の育児を大いに助けた。


「興味深いね……」


「勘違いだとは思うんだけど、勘違いにしては――」


「地球でも同じような勘は?」


「ないない! もうほんと、子供の考えていることわかんなくて大変だったもん!」


 前職でも、これくらい直感が冴え渡っていれば、と思っていたくらいだ。

 怜が口元に手を当て、少し考えてから答えた。


「ところで、ここの国の人たちは何語を話していると思う?」


「日本語でしょ?」


「いいや、違う国の言葉だ。口の動きが違うからね。どうも、我々の脳内で同時翻訳されているらしい」


「ああ」


 それはそれで紬には納得できる理屈だった。確かに、絵本には謎の言葉が書かれている。だが、それを見た瞬間に日本語として理解できる。

 怜が口を開いた。


「ちなみに、今の私は何語を喋っていると思う?」


「……日本語?」


「いいや、英語だ。少し前から英語で喋っている」


「ええええええええええ!?」


「日本語で聞こえるのだから、驚くのも無理はないな」


(いや、そうじゃなくて、英語が喋れることに驚いたんですが!?)


 凡人中の凡人である紬の尺度は、なかなか怜には届かない。


「その観点から考えると、幼児の言葉が翻訳されている可能性がある」


「ああ、そういうこと!?」


「だが、これは違うだろう」


「そうなの?」


「それなら、私にだって子供の声が聞こえるはずだからな。だけど、私には何も聞こえない」


「うーん……じゃあ、違うのかあ……」


「だから、それは君の能力なのかもしれない」


「え、そうなの!?」


「子供の感情が読み取れる能力――仮説だがね」


 それが事実なのかどうかは不明だが、少しばかり紬はわくわくした気分になった。聖女ではない自分は、ただのモブでしかないと思っていたが、どうやら神様は少しばかりの恩寵を用意してくれていたのかもしれない。


「きっと気のせいではないから、少し様子を見てほしい」


 そう言ってから、怜は話題を変えた。


「さて、本題だが……君の引き取り先が見つかった。ファインツ公爵家だ」


「え、貴族?」


「そう、その一番上の爵位だな」


「え、ええええええええええ!?」


 そんなすごいところが、紬のようなどこの馬の骨とも知れない娘を世話してくれるなんて!

 もちろん、それは自然と決まったわけではないと紬は思う。だから、


「怜さん、ありがとう!」


「ん?」


「色々頑張ってくれたんでしょ?」


「まあ、そうだな。君を預ける先だ。簡単には妥協できない」


 きっと、紬が水晶玉の判定でハズレ聖女となったときのように、一歩も引かない論陣を敷いてくれたのだろう。


「ううう……、私はすごくいい人に出会えてよかったよおおお!」


「大げさな……できることをしただけだ。気にしなくていい」


 そして、玲はこう続ける。


「それに、君がここで真面目に働いていたことも影響を及ぼしている。君の同僚であるシスターたちもいい報告をしてくれていたからな。見ている人は見ている。君の誠意が伝わったのだよ」


 そんなことがあっただなんて!

 紬は胸に熱いものを感じて、幸せな気分になった。


「そのため、実は君に頼みたい仕事があって公爵家が手を上げた」


「仕事? どんなの?」


「公爵家の5歳になる娘の世話をして欲しいとのことだ」


「おお!」


 紬は興奮する。どうやら次も仕事があるらしい。そして、それは子供の世話なのだから、文句はない。


「1週間後、公爵家の人間が迎えに来るので一緒に王都に向かって欲しい」


「うん、わかった」


 1週間後、別れを惜しむ子供たちに手を振りながら、紬は王都へと旅立っていった。

 

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