第3話 あれ、子供の気持ちがわかっちゃう?

「ほらここよ」


 老シスターによって連れてこられた場所は、集落の一角にある大きな建物だった。


「ここは孤児院なの」


 玄関を通り抜けた先の広間には、赤ん坊から6歳くらいまでの子供たちが暮らしている。

 人数はとても多い100人くらいはいそうだ。

 そこにシスター服を着た10人くらいの女性が動き回り、彼らの世話を忙しそうにしていた。

 見慣れた風景にイツキの胸は高鳴った。ひょっとすると、戦場を前にした兵隊のような気持ちなのかもしれない。


「ここは、どういう……?」


「教会が作った建物で、訳ありの――親が面倒を見られなくなった子供を預かって育てているの。大切な命だもの。守ってあげなくちゃいけないでしょ?」


「はい! そう思います!」


 子供は絶対に幸せじゃないといけない!

 それが信条の紬はものすごい勢いでシスターの言葉に同意した。

 老シスターが続ける。


「ただ、予算には限りがあるので、なかなか人手も少なくて。そんなとき、シスターの一人が田舎に帰ることになったの。ご両親が体調を崩されたらしくて。もう限界だということで、あなたに来てもらったの」


「それは頑張らなきゃですね!」


 紬はやる気100%で腕まくりをした。

 勘違いですよ、で済ませるつもりはない。保育士としての意地とプライドをここで炸裂させてやろうと燃えていた。

 そんな会話をしていると、足元に身長80cmくらいの、2歳児の女の子が近づいてきた。おむつだけを履いていて、上半身は裸。ぷにぷにと肉付きがよくて、とても元気そうで可愛い。

 幼女が、紬たちを見上げてこう言った。


「うんち、でた」


 懐かしの風景、懐かしのセリフ。

 その瞬間、紬のお仕事モードはオンになった。心が臨戦態勢に入る。


「わかった、おむつ変えようね!」


 さっと膝をついて、幼女の目線に立って紬が言う。

 そんな紬を見て老シスターがほほ笑みを浮かべた。


「あら、頼もしいわね。おむつ替えに使うものはあそこの棚にあるから好きに使って。わからなければ誰かに聞けば教えてくれるわ」


 そう言うと、老シスターは忙しそうな様子で他の場所へと移動した。

 いきなりの放置。

 だが、何も問題ない。鍛え抜かれた保育士である紬には、次に何をすればいいのか、全て分かっているのだから。


「こっちにおいで!」


 女の子を誘導して、教えてもらった棚へと誘導する。

 新しいおむつに手を向けて、紬は固まった。


(布おむつ!?)


 日本では紙おむつが主流。だが、どうやらこの時代では布おむつのようだ。布なので、使い捨てにはではない。

 つまり今、幼女が履いている、排泄物のついたおむつにも同じことが言える。


 だが、そんなことで紬はひるまない。

 洗えばいいだけではないか!


 おむつから排泄物が漏れることなど普通にある。そんなものは保育園の日常なので、それで焦ったり驚いたりはしない。

 幼女のお尻を綺麗にした後、新しいおむつを履かせる。

 肌触りが気持ちいいのんだろう、ニコニコと幼女は微笑むと、


「うんち、きれいなった」


 嬉しそうに言い、走ってどこかに行った。


「えへへ〜よかったね〜」


 嬉しそうな様子を見て、ついつい紬の表情は緩む。一仕事終えた充実感に浸りながら。


(いや、まあ、まだ終わってないんだけど)


 彼女が『いたした』布おむつにはまだ、どっかりと『それ』がのっかっている。

 こいつを処分して、おむつを綺麗にしなければならない。


(水洗トイレがあるのは本当に助かった)


 こちらの異世界にきて一番ホッとしたのは、トイレ事情だ。

 こちらの世界は、どうやら科学ではなく魔法が発達しているらしく、魔法の力で現代社会に近いレベルの快適さが維持されていた。


 そのひとつがトイレだ。

 トイレについては日本と遜色がない。


 紬はおむつから『それ』をトイレに落として、水を流す。それはあっという間に下水道の向こう側へと消えていった。

 性能も充分。下の悩みがないことはいいことだと紬はしみじみと感じた。


「ふぅ」


 ため息が口から漏れるが、まだ終わりはない。布おむつを水道で軽く洗った後、つけおき用のたらいに入れて、再び戦場へと舞い戻る。

 紬に疲れはなかった。

 ただただ、充実感だけがあった。

 心持ちは狩人のようだった。誰だ! 次に私にお世話されたいのは! そんな気持ちだ。

 探す必要などなかった。これだけ大量に子供がいるのだから、トラブルはどこにでも起こっている。


「あの、ごめんなさい!」


 シスターが近づいてくる。彼女の胸元からは、びえんびえんと大泣きする赤ん坊の鳴き声が聞こえてきた。

 1歳前後ぐらいの、実に小さな赤ちゃんだ。


「この子、お腹が空いてるみたいで! ミルクを用意してもらえませんか!?」


「任せてください!」


 威勢のいい返事とともに、紬は台所へと向かう。

 ここもそんなに現代日本と変わることはなく、普通に水道の蛇口と火を起こす。コンロのようなものがある。


「おお、粉ミルクまであるのね!」


 粉ミルクの缶をみつけて、紬は感心してしまった。まさに魔法の力万歳である。


(住み慣れたら、なんとかやっていけるかもね?)


 粉ミルクからミルクを作って持っていくと、困り顔のシスターが明るい表情を作った。


「ありがとう。待っていたわ!」


 その間も、間断なく赤ん坊は鳴き続けている。粉ミルクからミルク作るの

は時間がかかるので、なかなか辛い時間だっただろう。

 哺乳瓶を受け取って、赤ちゃんに飲ませようとするが、しかし、


「あれ?」


 赤ちゃんは全然、飲もうとしない。ギャーギャーと泣きながら、小さな両手両足をバタバタさせている。


「……あれ、飲んでくれない? お腹が空いているんじゃないの?」



(むぅ、違うか……)


 赤ちゃんあるある、腹が減ったと思ったら、実は違う理由だったパターン。そこが赤ちゃんの扱いの難しさだった。大人のように不満を言葉にできないので、イエスかノーしかわからない。


(うーん、ミルクじゃないとしたら、なんだろう……)


 じっと赤ちゃんを眺めながら考えていると――

 ふと、紬の頭に閃くものがあった。


(うん? 寝たいけど、寝れない? 横抱きは気持ち悪いから、縦抱きにしてほしい?)


 突然、そんな言葉が湧き出てきた。

 自分の中で思いついたのだろうか? と紬は思ったが、それとは違う感じだった。頭の中に浮かび上がったアイディアというよりは、どこか外から流し込まれてきたというか。

 そこには、何かしらの意志があった。


(え、どういうこと……?)


 紬は首を振った。


(いやいやいやいや! 今は考えている場合じゃない!)


「あの、赤ちゃんのを縦抱きにしてみてはどうでしょうか?」


「え?」


 今まで赤ちゃんを横抱きにしていたシスターは半信半疑の表情を浮かべつつも、言われた通りにした。すると、この世の終わりのように泣いていた赤ちゃんの声がだんだんと小さくなっていく。

 やがて、すうすうと穏やかな寝息を立てて眠ってしまった。

 シスターが、はあ、と大きく息を吐く。


「……助かったわ」


 その顔には苦労の色が濃かった。おそらく、赤ちゃんの鳴き声にずっと苦しめられていたのだろう。

 抱き方ひとつで赤ちゃんは不機嫌になって泣くのだ。大人にしてみればどちらでもいいじゃん! という違いで。

 だからこそ、正解に辿り着くのは難しい。

 紬はニコリとほほ笑んだ。


「よかったです」


 達成感を覚えつつ、紬は内心で首を傾げた。


(……なんだか、赤ちゃんの考えていることがわかった気がするんだけど、思い過ごしかな?)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る