エピローグ

第102話 戻ってきた日常

 魔王城が崩壊して、亜土が姿を消して、一か月が経った。

 季節は初秋しょしゅう。秋が近づいているが、まだまだ夏の暑さが身に染みる。


 よく晴れた日の初等部の廊下で、海衣かいは、教科書を抱えながら歩いていた。

 次は移動教室。苦手な魔導数理の授業だった。


(はああ……もう通常授業に戻っちゃったし。学園に閉じこめられていたときは、毎日訓練していても誰も文句を言わなかったのになあ)


 海衣は、ちらりと廊下の窓を見つめた。

 威圧するようにそびえ立っていた、あの魔王城は消えている。崩壊直後に、紫色の煙となって消えてしまっていた。


 そのあとはもう、学園全体をひっくり返すような騒動だった。


 魔王城が崩壊してすぐに、学園全体を包んでいた次元結界がとける。

 結界の外で待機していた、軍や冒険者が救助にやってきて、大捜査がはじまった。ミシュエールが事前に『魔王の祝福』についての情報を教えていたおかげで、すんなりと学園側の状況は伝えることができた。


 魔王城に支配され、一カ月以上もモンスターがはびこる学園で戦いつづけた生徒たち。

 死傷者もいないという奇跡的な状況だったが、生徒たちの創意あふれる(というかご禁制品)アイテムの数々に、その奇跡を彼らは信じた。


 それから一週間は、学園のどこにいても武装した兵士や冒険者がいた。


 調査が一通りすんだあとでも、人の流れが落ち着くことはなく、マスコミが殺到するわ、生徒の親御さんが大勢でつめよるわ、よくわからない活動団体までやってくるわで、海衣も顔もしらない人に何度も事情を聞かれたぐらいだ。


(新たな次元に繋がる可能性があったわけだから……ま、仕方ないわな)


 魔王を倒しても、それでオシマイとはいかないらしい。

 軍の警戒は解かれたが、向こう一年はまだまだ学園は騒がしそうだ。


 ただ、そのあたりは大人たちががんばって対応中。

 生徒は学生の本分をと、いち早く通常授業に戻れるように手を回してくれていた。


(……一か月そこらじゃ授業の遅れなんてないだろうに)


 元々、大魔堂学園に夏休みはない。

 魔導を極めんとする者が集まる学園だから、学習に対する意欲は、先生も生徒も半端がない。

 今回の件は、ちょっとした夏休みだと考えた教師陣が、大量の宿題を出してきたぐらいだ。


(だからって宿題の量が多すぎるって! 限度ってもんがあるじゃんさあ。はああああー……アタシはどっちかーってと身体を動かす方が専門なんだけどなー……)


 これならばまだ魔王城があったときのほうがマシだったと、海衣は心の中でぶーたれた。


 と、外が騒がしい。

 廊下の窓から校庭を見れば、高等部の男子が教師に連行されていた。


「は、離せ~~~~‼ 横暴だぞ~~~~~‼?」

「なにが横暴だバカもん! モンスター素材をつかった錬金を許可なくするんじゃない!」

「魔王城があったときは好き放題創らせてくれたのに!」

「もう状況が変わっただろう!」

「くそおおおお~~~~! たとえ魔王が滅びようとも、人の心に闇があるかぎり、第二第三の魔王があらわれるんだぞ~~~~!」

「生徒のお前が言う台詞か! 来い! 説教だ!」


 そうやって男子は、教師に引きずられていった。


 大魔堂学園には、魔導を極めんとする者が集まってくる。

 なので、お国の許可とか、ご禁制品とか、なーーんの制限もなく、好き放題に創れる状況は生徒にとって最高の環境すぎた。特に、技術系の人間は。


 夢のような時間が忘れられない人間は、アンダーグラウンドな部を創って、こっそり今も好き放題作っているとか、なんとか。


「……バイタリティあふれるのも考えものだな」


 自分は地に足をつけて、ちゃんと宿題をがんばろう。海衣はそう思った。


 魔王がのこした爪痕はもう塞がったようで、けれどしっかり残っていたりする。


 海衣は、今年の全国大会に出られなかった。


 もちろん海衣だけじゃない。他に誰にでも言えることだ。

 青春を犠牲にして、試合に賭けていた者だっている。


 原因となった魔王はもういない。復讐もできない。ふりあげた拳の先がみつからず、今しがた連行された男子もホントのところは発散場所を探しているのかもしれない。


 海衣がぼんやりと歩いていると、胸とお尻を触られる。


「「海衣お姉さま」」

「きゃん❤」


 巾木はばき姉妹だ。

 海衣が顔を真っ赤にしながら睨みつけても、ミィもファもあいかわらず無表情でいる。


「「ああ、本日もお可愛い声ですね」」

「む、胸と尻を触ってくるんじゃねーと何度言えばわかるんだ!」

「「少し元気がなさそうだったので、つい」」

「ついで、まず胸と尻を触ろうとするんじゃねーよ⁉」

「「それでは次からは耳元で甘ーくささやかせていただきますね」」

「普通でいいんだ! ふつーで! このセクラハ双子!」


 海衣が歯を剥きだしにうなってやると、ミィとファは微笑んだ。付き合いの長い海衣だけがわかる程度にだが。


「はあ……別に落ちこんでなんかねーよ。ただちょっと、な」

「「ちょっと、ですか?」」


 巾木姉妹がずずいと顔を近づける。

 ミィもファも、ちょっと自分が不安そうにすると、こうやってすぐに心配してくる。


 学園が閉じこめられてから、特に亜土が鬼になってからは、周囲の視線から守るように付きっきりでいてくれた。


 鬼洞の名を不安に思う者は、もうまったくいない……ってことはない。

 亜土が鬼化した件も極秘事項となっている。父親が色々動いたらしい。

 というか鬼化の件について、いずれきちんと家族会議をしなければいけない。


(ったく、どーすりゃ安心してくれるのかねー)


 試合に出られなくなったことは辛い、悲しい、腹が立つ。

 憎むなと言われるほうがムチャな話だ。

 それでも、あの一か月で得たものはかけがえのないものだとわかるから、海衣は正直に言ってやることにした。


「そうだな……試合に出られなくなったことは悲しいよ。けどな」

「「……けど?」」

「ミィとファと、また三人で一緒にがんばれることが、アタシはすげー嬉しいよ」


 海衣は素直な笑み二人に向ける。

 このあたりタラシの素質があることは本人は気づいていない。

 巾木姉妹はポポッと頬をそめて、うっとりした表情になる。


「「お姉さま……」」

「……待て。待て。なんで両手をワキワキさせて近づいてくる⁉」

「「さらに仲良くなるためのスキンシップでございます」」

「両手がイヤらしすぎるんだよ⁉ ち、近づくんじゃねーーーー!」


 巾木姉妹にさわさわ全身をまさぐられながら、海衣はようやく日常に戻ってきたと実感する。

 先日帰ってきたばかりの兄はどうだろうかと、二人を怒鳴りながら思った。

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