第98話 鬼洞VS亜土②
鬼の身体は刃をとおさぬ鋼の皮膚だと、鬼洞家の伝記にのこされている。
それは比喩表現の類でただ頑強なだけと亜土は思っていたが、実際は刃どころか火も針も酸もとおさない身体で、鋼なんて記述はずいぶんソフト表現だなと亜土は憤った。
鬼に金棒、ということわざが脳裏によぎる。
なんてこともないことわざが、今はどんな怪談よりも恐ろしく思えた。
「
鬼の両拳に光が凝縮する。
想像の力は異形であっても等しく存在するようで、禍々しい黒の手甲が形となった。
「……手甲のデザインをずいぶんと弄ったようで。無駄に物々しいんだよ」
「まだ軽口を叩くのは褒めてやる」
鬼が手甲をかまえ、そして突進してきた。
亜土はタクティカルベストのポケットに指を入れて、切り札の一つをそうそうに使う。
「
亜土の正面に、幾何学模様の青白い光が展開する。
符で、
符で展開する防護術は、基本ドーム状だ。符では精密な魔力操作ができない分、ドーム状に展開するしかなく、もし部分展開すればうすぺらい盾にしかならない。
しかしこれは、資源を惜しみなく投入した防護符。
「十六層の
試用テストでも、氷華の大魔法を防ぎきった超改良型だった。
「盾? わら半紙の間違いだろう」
しかし鬼は、あっさりと光の盾を粉砕した。
幾何学模様の光が砕け散る。魔力の逆流現象が起きて、ポケットの防護符が発火した。
「ちっ……!」
亜土は発火した符を捨てようとする。
鬼との視線は外していなかったが、わずか遅れを突かれて、接敵を許してしまう。
「まずは一発めだ」
ボッと鬼の手甲が空気を裂き、亜土は咄嗟に腕でガードした。
燃えている符で再度
(っ⁉⁉⁉ オレの腕は……⁉ ついてる……!)
腕が消し飛んだと錯覚するダメージに、亜土は血の気が引いた。
身体強化の薬。新開発の防護術。
それら合わせてもなんとか防げるていどで、しかも左前腕の骨がべきりと折れていた。
「ほら次だ。耐えてみろよ」
迫りくる暴力に、亜土は後ろに跳ねた。
鬼の攻撃を後ろに流そうとしたのだが、顔面を掴まれて、そのまま壁に投げ飛ばされる。
「がっっっっ⁉」
ボールになった亜土は壁をつき破って、廊下までふっ飛ばされる。
廊下にゴロゴロと転がりながら、治療符で左腕を緊急治療して、勢いをそのままに跳ね起きた。
(……? 1のC? 中等部の校舎に雰囲気が似ているな)
ふき飛ばされた廊下には、中等部で見かけたことのあるポスターがあった。
ただ廊下に窓はなくて、灯りは魔導ランプだけでうす暗い。やはり魔王城内部に創られた校舎のようだ。
「はっ! なにボサッとつっ立ってやがる!」
鬼は血が猛ってきたのか、口元を歪めながら襲いかかってくる。
「
亜土は簡易魔法符で、鬼の足元に粘着した液体をぶちまけた。
真っ向からじゃ太刀打ちできないのなら搦め手だ。
鬼はねばねばした液体に足元をとられ、歯を剥きだしにする。
「くだらねえ真似をっ!」
「効果があるならくだらなくはないだろっ!」
亜土は跳ねた。
床を、壁を、天井を、ダン、ダン、ダダンッと連続で跳ねる。
(鬼洞流! 見返り断ち!)
背後から強襲して、鬼の
「かああっ!」
鬼が吠えて、拳を床に叩きつける。
ただそれだけで床の粘膜がすべてふっ飛び、大きなクレーターができた。鬼の起こした風圧によって、亜土は空中にふわりと浮かんでしまい絶好の的になる。
鬼が拳をコキリと鳴らす。
「
亜土は急いで簡易魔法符を使い、風を巻き起こして自分をふき飛ばした。
廊下をバウンドしながらふき飛んでいく亜土を、鬼が追いかける。矢のような速度であっというまに追いついて、鬼はふっ飛んでいる最中の亜土の頭を潰そうとした。
「頭が潰れてもまだあがけるのか試してやるよ!」
「くっ……! 人を昆虫みたいに!」
亜土は、さらに切り札をつかう。
「
タクティカルベストからペンシルをとりだし、先端を鬼に向ける。
バシュンと、特別製のネットが吐き出された。
ネットはあっというまに鬼にからみつき、円錐状のポインターが廊下に突き刺さる。あとはネットがじわじわと肌に食いこみ、肉を裂き、骨を砕いて細切れにする。本来ならご禁制品なのだが、魔導ドローン部がさらに極悪改良していた。
「捕まえた……! っ……くっ……!」
亜土は廊下を転がりながら立ちあがり、外れた肩をはめなおし、鬼がこの程度で捕まるはずがないと身構える。
事実、鬼は涼しい顔でいた。
「おい。……パーティーのクラッカーか、こりゃ?」
「お前を少しでも祝う気があると思っているのか? おめでたい頭だな」
鬼はネットが食いこんでも、つまらなそうな表情でいるだけだ。
(符でつかった術は、硬、爆、針、酸、堅、粘、風……! 堅の符は燃え尽きたけど、6工程だ! いける!)
亜土は鬼に手をかざして、大魔法を起動する。
「
教室から、廊下から、紫色の鎖がいっせいに伸びてくる。
その数、六本。六本の鎖は、鬼の首や胴体や関節部に巻きつき、動きを封じにかかる。
「……はっ、そういえば
「無駄じゃない! 6工程の大魔法だ! 逃げられると思うなよ!」
「6工程……?」
鬼は片眉をあげながら身体をぐいぐいと引っぱってみたが、鎖は千切れなかった。
「……なるほど、お前が使った符が一工程代わりになるのか。安心院先輩の
「先輩や親友の名を呼ぶんじゃない。お前にその権利はない」
亜土が冷たく言いきると、鬼は自嘲するような笑みを浮かべた。
「……アイツの特製品ならそう簡単には千切れないか。どうやらこの鎖、オレの魔力を吸ってやがる。符の欠点は魔力維持だからな、オレで賄えばいいわけだ」
「イキがった猛獣をしばるには十分な鎖だろう?」
「ああ、そうだな――っとぅ」
鬼が口から血の塊を吐きだし、
「
そして爆ぜさせた。
「⁉ 堅っ!」
血の雨が、全方位に弾丸のように放たれる。
チュチュンッと光の盾が血に削られた。かなりの威力のようで鬼自身も傷ついている。
鬼はそれでも全方位に無数の血を飛ばしつづけ、マグレあたりで
「ふうう……一工程が場に残るってことは、符がそのまま残っているってーことだ。ならそいつを破壊すりゃいい。対モンスター戦を想定しすぎだ。楽に抜け出せたぞ」
乱暴な手段で鎖から抜けだしてきた鬼は、身軽そうに腕を回していた。
(オ、オレの血属性魔法のデメリットがまったくないとかさあっ……!)
亜土は魔力を失う前は、レアな血属性魔法の持ち主だった。
しかしレアだからといって便利というわけではない。
自傷ダメージが多い。失血する。コントロールがはちゃめちゃに難しいと、使い手がそういない。
どうやら鬼となったことで、初めて血属性魔法をものにしたようだ。
「ったく、次から次に色々繰りだすな
「
「へえ? そいつは楽しみだな」
鬼はうすく笑っている。
亜土の言動が本当であってもなくても、子細ないという余裕の笑みだ。
(魔法符の数は限られている……。はなから実力差があるのはわかっていたことだ)
ここで逃げる選択肢は選ぶなら、そもそも最初から奇襲をかけていない。
亜土はさらなる死線にもぐる覚悟を決めた。
「……いつまでも余裕ぶって笑えると思うなよ!」
そうして、亜土は、鬼に立ち向かっていく。
――結論を言えば、亜土はよくやっていた。
実力差はわかりきっていた。切り札は色々準備したが、むしろ足らないと彼は思っていた。
マトモに戦える時間はごくわずか。
それも鬼が調子を合わせてくれた場合による。
少しずつ、少しずつ、亜土は疲労していった。
一時間か、数時間か、はては一日は経ったか。何度も死に目をみた亜土の体感時間は極めて濃いものとなり、わずか十分足らずの時間をそう感じていた。
鬼は血だらけの手甲をぶるんとふって、ぬぐう。
「無様に立っている昔のオレを見るのは……まあ、笑えないものがあるな」
「ぜー……ぜー……」
荒い息で返すしかなかった亜土に、鬼は呆れた表情だ。
戦闘でめちゃくちゃに荒らされた教室には、血が飛び散っている。すべて亜土の血だ。
亜土の全身から、血がポタポタと垂れていく。何度も折られては治療した骨がうずき、傷つけられ臓器が焼けるように熱かった。
「治療魔法や鬼洞の技で痛みを鈍化させても、痛みがなくなるわけじゃないだろう。むしろ、ダメージが限界を越えると、反動がまとめてくるぞ?」
「…………」
「ははっ、おかげでもうしゃべれないってか」
簡易魔法符もアイテムも、残りもうわずか。
満身創痍の亜土は、それでも、鬼を見据えていた。
(全身で痛くないところはない……。それなのに、思考がクリアだ……。ああ……これが、リリカナの言っていたことか……)
こと武術においては、リリカナが先達者だ。
黒桐流の秘奥にたどり着いたリリカナに、以前どうやったらその境地にたどり着けるのか聞いたことがある。
『人によってそれぞれだと思うけれどー、亜土せんせーが新しい境地にたどり着くには、余計なことを考えないほうがいいかもー? せんせー、雑念がめっちゃ動きにでるタイプだし』
なるほどなと、亜土は思った。
全身ボロボロだが、余計なことを考える余裕がなくなって、思考も身体もどんどんキレが増している。
これならばいけると、亜土は、マキドとの対話を思い出した。
〇
『やはり、亜土さんのユニークスキルは妙ですね』
魔王城に奇襲する前のことだ。
亜土の自室で、マキドはテーブルのまえでぺたんと座っている。ずっとミシュエールの見解レポートを読んでいた少女はそう言った。
『そんなに妙なの……?』
『強化系のスキルではなさそうなんですよね』
『? オレ、ずっと三人に
亜土は首をかしげ、マキドも釈然としない表情でいる。
『単純に強化系のスキルなら、相手の記憶を覗きみするなんて工程は普通いりません。なにかしらのスキル効果のために、必要な工程なのだと思います。だからママは、亜土さんのユニークスキルは儀式契約の一種だと考えたみたいですね』
『えーっと、つまり、オレたちは相互扶助の関係であるってこと?』
『はい。私たちとのあいだで契約が行われた……。亜土さんは強化や技術を与える代わりに、私たちからなにかを得ています』
リリカナとみもりが、元気よく手をあげた。
『はーい、リリカナちゃんはえっちなご奉仕してあげてまーす❤』
『わ、わたしも、亜土先生にいっぱい愛を与えています!』
『リリカナ。みもり。私はそんな話をしていませんから……』
マキドはぴしゃりと言ってから、亜土を見つめた。
『私はずっと、亜土さんは私たちの記憶を得ているだけと思ったんですが……』
『今は違うと?』
『……少し前にも、亜土さんのユニークスキルを調べたんです。症例は極めて少ないですが、
『あ、ああ……。あ、危ない人だったみたいで、捕まったみたいだけど……』
『いいえ、捕まっていません』
『へ?』
亜土はちょっと間抜けな顔をした。
『なにぶん古い情報なので正確性に欠けますが、人魔大戦時、魔王討伐隊のサポートメンバーに、同じスキルを持った人がいたようです。その人は……ユニークスキルを使いすぎて重症になったとか』
『オレが聞いた話と全然ちがうな……』
『おそらく、【使い手が重症になった、危ないユニークスキル】だけが、後世に歪曲して伝わったのではないかと』
『な、なるほど……ん? 待ってくれ。オレ、重症なんかになったことないぞ?』
マキドは言いだすのを躊躇っていた。
この情報を黙っていたのは、自分が無茶しないよう想ってのことだと思う。
亜土が静かに見つめている、マキドは観念したようにため息を吐いて、それから信頼の眼差しを向けてきた。
『亜土さんの
〇
全身はボロボロ。アイテムも残りわずか。
そんな窮地の状況だからこそ、亜土の身体が生き延びようとフルに活動をはじめていた。
亜土の肥大化したファンタジー臓器が、スキルの使い方を直感で教えてくる。
目の前の鬼に抗え、とも。
「――せめてもの情けだ。楽に――殺す――怨むなら――」
鬼は手向けの言葉を送っているが、もう亜土には届いていなかった。
(集中しろ。集中しろ。集中しろ)
魔法は想像力。
想像するは絶対不可侵の光。
魔導の道に進むと決めて、この学園に来てからの思い出が走馬灯のように駆けめぐる。
みもり、リリカナ、マキド、三人の少女と出会ってからの記憶は特に鮮明に浮かび、少女たちとの心の交流がありありと思い出すことができた。
以前とは異なる、新たな光を――亜土はたしかに掴みとる。
「
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