第14話 縁日の達人
「おはよう。まさかとは思うけれど今まで寝てたの? 時差七時間のイスラエルの方?」
午後三時に田村敦子が現れた。結局、眠りにつけたのは朝の五時だった。
「どうして今日なの。別に、違う日だったらいいとかじゃないんだけど」
「何をおっしゃるウナギさん。コーヒーを飲みに来たの。そう言っていたじゃない」
「分かったから、ちょっと座ってテレビでも見てて」
「テレビしかないわ。見るけれど」
成り行きが分からないまま、お湯を沸かしながらさっさと着替えた。最近は自分の部屋に入るのは着替えの時だけだ。
「洗濯とか、自分でやってるのね」
「それくらいは出来るよ。乾燥まで全自動なんだから」
「しかしアイロンはかけている。いつも制服きっちりしていたわ」
「ありがと。それとまだ、どうして今日なのか聞いてないんだけど」
ヤカンの火を止めて言うと、
「花火大会なの」
そんな話は聞いていない。
「ウソよ。でも縁日は出るわ。それに連れて行ってほしいだけ」
「僕が連れて行かれる感じになってるんだけど」
「違うわ。お祭りは男子がエスコートするものよ」
いつか母さんもそう言っていた。人混みでは迷わないように手を繋いでね、と。
コーヒーを淹れながら、渋々訊ねる。選択権はないような気がするので。
「何時に行けばいいの」
「そうね。七時半くらいかしら。あちこち回ってお祭りを満喫したらちょうど花火の時間になるわ」
ソーサーをテーブルへ持ってゆく。
「ウソじゃなかったの」
「ええ、そっちの方がガセネタ。本当はあるの。町内の小さな花火だから五十発上がればいい方よ。それでも見たいの」
「分かったから。コーヒー淹れたよ」
「ありがとう。でも本当は私コーヒー苦手なの」
温厚な方だと自分でも思っていたが腹が立った。
「誤解しないでね。それは『カフェー竜崎』で飲む前の話。ここで飲むコーヒーは甘くて美味しい。だから正しくは、元々は苦手だった、ね。訂正するわ」
そう言うと彼女は満足そうにコーヒーを飲んだ。
「そう言えばおかしなことをしていたものね」
「何が? 電話のこと?」
「よく分かったわね。人の心が読めるのね。その通り、なんでまたあんな時間に初子さんの電話の電源を入れたのかしらって」
彼女の番号を調べようとしていたとは言えない。
「私の番号ならすぐに教えてあげるのに」
心を読み返された。数段上のレベルで。
「母さんのことを少しでも知ってる人となら番号を交換してもいいと思っただけで」
「分かるわ。ツンデレね」
「違うよ。真面目に聞いてくれないならいいよ」
「気に障ったわね、ゴメンなさい。でも私も竜崎君の番号を知りたかったのよ。本当よ。誰かに誓ってもいいわ。神に誓いたいところだけれど、消極的無神論者だから」
早く縁日に行きたかった――。
「やっぱり浴衣で来ればよかったかしら。男の人はあれを脱がすのが好きなんでしょ」
「脱がさないから」
彼女の家の近辺で、聞いた通り小さな町のお祭りだった。思ったほどの人混みではなかったので迷子にもなり得ない。と思ったらもういない。赤いフードを探す。三分探すとカブトムシの飼育箱の前にいた。
「田村さん、声もかけずにヒョイヒョイ動き回らないで」
「次からはホイホイ動くわ」
「それもダメだって」
「スイスイ」
「泳ぐとこないよ。どうせ買わないカブトムシとか見てるより、何かないの。食べたいとか遊びたいっていう屋台が」
訊ねると、僕が三次方程式の因数分解にぶち当たった時の顔で、
「もう色つきヒヨコは存在しない、都市伝説級の幻の屋台なのかしら――」
「昭和でしょ。なんか、動物愛護団体がいろいろ言ったらしいよ」
「私、金魚は三日で殺せるけれど、ヒヨコなら大きく育てる自信があるの。それはそうと綿あめとリンゴ飴はどちらを先に買った方がいいかしら」
「綿あめは買った時は大きいけどだんだん小さくなるし、リンゴ飴はバランス悪くて握ってるうちに落とすこともあるから、どっちも最後でいいんじゃない。買ってすぐ食べるタコ焼きとか焼きそばを先にして」
「すごいわ。縁日のプロね」
今まで他に褒めるところはなかったのだろうか。ここぞとばかりに見直された気がする。
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