第4話 麻婆豆腐
午後六時の部屋にチャイムが鳴る。コンビニの弁当をレンジへ入れた途端だ。
「お気に入りのフライパンを持って来たわ」
「麻婆豆腐なら間に合ってるけど」
三角巾とエプロンをつけた彼女が立っている。その恰好で歩いて来たのだろうか。恥ずかしくなかったのだろうか。
「大丈夫。タクシーで来たから」
コスパの悪い麻婆豆腐だ。
「本当に作るの?」
「ええ。ウソをつくのは二回に一回くらいなの」
多い。
「もうコンビニの弁当温めるとこだったんだけど」
「ダメよ。野菜も食べなきゃ」
麻婆豆腐に野菜成分はそんなにあったろうか。
「二人分だから豆腐一丁使えるわ。でもほんの一センチだけ端を残しておいて、お味噌汁に入れるの。テレビを見て待ってて」
選択肢のない命令は無視するとして、まな板の上ではそれっぽく包丁の音が聞こえ始めた。
「お弁当があるならご飯は炊かなくていいわね」
ソファーに座ってスマホを眺め、SNSで羽白に繋いだ。
――今いい?
――おう どうした
――今 田村さんが来て麻婆豆腐作ってる どうしよう
――よかったじゃないか 仲よくな
肉親を亡くして間もない人間に、世間は軽口も冷やかしの言葉もかけてくれない。皆そうだ。まだ十日も経っていないのだから。
僕にとってもその長さはいつもの取材旅行と同じくらいの期間で、現実味はない。棺の中、頭のあちこちを包帯で巻かれて顔の一部しか見えなかった彼女の顔は彼女の偽物のようだった。
「竜崎君。麻婆豆腐に特別な思い入れやトリビア的な知識を持っていたりするかしら」
意図の組めない質問。
「少し辛い豆腐とひき肉の中華料理」
「そう。私は辛いの苦手だからあんまり辛くないけど。見た目はそれっぽいから安心して」
それがもう麻婆豆腐じゃないことだけは分かった。
フライパンに火の入った音が響き始める。覚悟していた時間よりは手際がよさそうだ。キッチンに背を向けてその音だけを聞いていると、母が帰ってきた気がする。それは今の僕を切なくさせるというのに。
「もうすぐ出来るわ。このテーブルで食べるの? ああそう。都合のいいお皿を用意してちょうだい。立ってる者は親でも使うわ」
生憎ソファーだ。
「待たせたわね。特製よ。まだあるから」
やけに赤い麻婆豆腐が現れた。香りからして中華ではない。ただ、食べなければ許してもらえないことも分かっている。田村敦子だから。
「じゃあ、いただきます」
「いただきます……」
コンビニ弁当があってよかった、というのが隠さぬ本心だ。それはもう麻婆豆腐以前のものだった。
「
本人は半分残している。
「でも初日はこんなものよね。明日は豚の生姜焼きだから。期待してて」
キッチンにこもった油の香りがひどく僕を苛々させた。母がいた頃の錯覚に陥ってしまうのだ。
「田村さんさ、もう来ないでくれる?」
彼女は唇を赤くして、
「それがいいならそうするわ。冷蔵庫の中、持って帰るわね。そして洗い物をお願い。フライパンと私の食べ残し、流しに捨てちゃっていいから」
言うと冷蔵庫を開け、ひとつひとつ丁寧に食材を取り出し、袋へ詰め始めた。
「パジャマ、いらなかったわね。じゃあお風呂にゆっくり浸かって、歯みがきして寝なさい。髪はしっかり乾かすのよ」
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