12月23日
12月23日、曇り。
今日も俺は透花さんの店に向かう。いつも通り彼女はいた、のだが…。
「…何うずくまってんの」
「あ、樹くんか。いや、目の前にこの子がいて」
彼女が指さした方を見ると、そこにはこちらに向かって歩いてくる黒いもふもふの毛玉がいた。可愛いな。
「猫ちゃんがずっと店の前でくつろいでて…!可愛い…!」
「なるほど」
「確か煮干しがあったはず。ちょっと待ってね!持ってくるから!」
その呼び掛けは猫に言ったのか俺に言ったのか分からないけど、彼女は慌ただしく店の方へ走っていった。
当の猫は我関せず、といった表情で欠伸をした。もうちょっと待ってろよ、君のご飯が貰えるから。
数分後。
「お待たせ!持ってきたよ!」
全速力で来たのだろうか、息が整っていない。彼女は走ったせいでぐしゃっとなった髪の事など気にもせず、猫の元へ近づいていった。
ほら、どうぞと言って与えられた煮干しをはぐはぐと食べた猫は満足そうに、んなーっと鳴いた。
「可愛いね、ふふっ」
満面の笑みの透花さんと猫、どっちも見てて微笑ましい。
「そうだな、可愛い」
「君も好きなんだね、猫ちゃん」
可愛いのは猫だけじゃないんだけどな。
「そうだ、写真撮るから君にも送るよ」
そう言うと彼女はスマホでぱしゃぱしゃと猫を数枚写真に収めた。
「あれ、おかしいな…?」
さっきまでにこにこしていた彼女の表情が少し曇る。
「どうしたんだ?」
「写真を送ろうと思ったんだけど、メッセージアプリが繋がらなくて」
「あー…、写真わざわざ送らなくても目の前に本物がいるから大丈夫だよ」
「そう?ならいいけど…」
ネットが繋がらないことに納得いかないのか、不思議そうにスマホの電源をつけたり設定をいじったりしている。
「故障かな?最近繋がらないことが多いんだよね」
「ほっといたらいいんじゃないか」
俺はすっかり懐いた猫を撫でながらおざなりに答えた。
「そういえば、君のこと放っといててごめんね。今日は何の花がいい?」
「おすすめで」
「んーと、じゃあこれ。リューココリーネ」
その花は全体的に淡い紫色で、中心にかけて白、黄色と色が変化している。一目見て、儚げな色を綺麗だと思った。
「綺麗でしょ。私、この花好きなんだ」
「うん、綺麗だ」
「花言葉は温かい心。それから、信じる心」
「あんたにぴったりだな」
「もう、からかわないの!」
「あははっ、ごめんごめん」
からかうなと言われてしまったけど、儚げな紫色も、花言葉も。彼女にはこの紫のリューココリーネが良く似合う。
「じゃあ今日はこの花にする」
「分かった、ありがとう!」
「ちょっと待っててね」
パチンパチンと花の苗を切り揃える音が店内に響く。よく喋る透花さんが黙っていると、店の中がいつもより静かに思える。俺は沈黙が苦ではない方だが、こうも静かだと何か話題を振るべきかと考えてしまう。たわいない話でもしようかと口を開きかけた。しかし、俺が何か言う前に彼女が尋ねてきた。
「…ねえ、樹くん。聞いてくれる?」
いつものような明るい口調ではなかったので、思わず身構えてしまった。
「どうしたんだ?」
「悩みっていうか…なんて言ったらいいんだろ。…最近、何故か泣いてることがあるんだ」
「…何かあったの?」
「それがさっぱり。分かんないや、なんで悲しいのかな」
自分のことなのにね、と軽く笑っていた。
「とりあえずゆっくり休んだ方がいいよ、疲れているのかも」
俺は当たり障りのないことしか答えられなかった。気の利いた事も言えない自分が嫌になりそうだ。
「…そうなのかな。分かった、ありがとう」
家に帰り、花瓶に今日買ったリューココリーネを挿した。そして、ぼんやりとその薄紫を眺めながら考えた。
だんだん、思い出してきてるのかな…。
彼女は自分のことについて何も知らない。
その頃、花屋にて。
透花は樹を見送った後、店の片付けを始めた。猫ちゃんを見て癒しパワーを得たからか、いつもより丁寧に、隅々まで掃除をしていた。
いつも会計をするレジカウンター。抽斗の中身を整理していた透花は、古びた本が仕舞われていたことに気づいた。
本をぱらぱらと開いてみる。表紙は色褪せ、埃を被っていた。古本だったのだろうか、全体的にセピア色だ。
日焼けしたページの中に、一際目を引く青がいた。それは、押し花でできた栞だった。花は色褪せてきてはいるけれど、美しい青が残っている。
透花は栞に使われている花について思い出そうとした。
「この花は確か…ワスレナグサ、花言葉は…」
"私を忘れないで"
その時だった。
「…っ!!」
突然、激しい頭痛が襲ってきた。鈍器で殴られ続けるような鈍い痛みに耐えられず、思わずその場に崩れ落ちてしまった。
透花の頭の中に、走馬灯のようにさまざまな映像が流れ込む。全く知らない誰かの顔がフラッシュバックしては消えていく。
浮かんでいるのは知らない誰かのはずなのに、どうしてこんなに胸が締め付けられるのか全く分からなかった。
完全に床に倒れ込んだ透花は、そのまま意識を手放した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます