解消された婚約の先は

山吹弓美

解消された婚約の先は

「すまない」


 私の前で頭を下げるのは、第二王子殿下。侯爵家次女である私の婚約者である……あった。つい先程まで。


「お顔をお上げくださいませ、殿下」


 このままでは私が困るので、ひとまずそう申し上げる。顔を上げてくださった殿下の表情は、なんというか無表情。感情を出さぬようしつけられて……そう育ってはいないはずなのだけれど。


「うむ。この俺であっても、陛下の意向には逆らえん。もちろん、それはお前にも分かっていることだろう」


 声も冷たく落ち着いていて、普段の殿下とはどうも雰囲気が違う。おそらくは、『推測通り』なのであろう。

 私と殿下の婚約は二年前、殿下の兄君である王太子殿下の、公爵家ご令嬢とのご婚約が発表されて程なく王家側から打診された。

 ……実質的には打診というより、ほぼ命令か。少なくとも、長きに渡り王家に仕えている家の当主たる私の父にとっては、断る理由などなかったに違いない。

 それでも、私たちはそれなりに『仲良く』してきた。少なくとも私はそうするつもりで王子妃にふさわしい教育を受け、殿下と共に時間を過ごした。


「殿下のお立場では、それも仕方ないことかと」


 もっとも殿下からしてみれば私は、国王陛下からいきなり押し付けられた婚約者である。王太子殿下の妃となられる方が公爵家の令嬢であり、私が侯爵次女であることから殿下はしっかりと、私を下に見た。


「理解してもらえて、ありがたい」


 それが、ここへ来て唐突に隣国である帝国、その第一皇女殿下から婿取りの打診があったそうな。何でも、半年ほど前にこちらにおいでになったときに一目惚れしたとか何とか。

 我が国よりも大きく、豊かで、そして強い帝国。長が王ではなく皇帝と呼ばれるのは、その象徴とも言えよう。

 その第一皇女殿下は、帝国において次期皇帝となられるお方。その配偶者として、第二王子殿下が選ばれたのだ。

 重要な話がある、と王宮に呼ばれた私の前に現れた殿下は、今までとは異なる侍従を連れている。おそらく、皇女殿下側から送られた者なのだろう。そうでなければ、殿下が私に対し頭を下げるなどあり得ないから。

 今更取り繕ったところで、殿下の性格がどうなるものでもないのだけれど……ま、婿入り先がかの皇女殿下であればどうにかなるだろう。皇女殿下に丸投げする、とも言う。


「ところで、君の今後なのだが」


「はい」


 わざわざ私をご自身の執務室に呼び出した理由は、婚約の撤回だけではなかった。これでも王子妃となるための教育を受けた身、その時間と費用を王家が無駄にするとは思えない。


「……正直に言えば。弟の婚約者に、と父上は望んでいる」


「……やはり、ですか」


 そうであろう。

 第二王子殿下を国の外に出す以上、王太子殿下の補佐をするために第三王子殿下にある程度身を固めてもらわねばならない。万が一のときの後釜、とも言うが。

 王子妃としての教育は、婚姻相手がいずれの王子であるにしろ無駄にはならない。

 ならない、のだが。


「まあ、そのような顔になるのも分からんでもない。アレには、なあ」


「ええ」


 第二王子殿下が、弟殿下をアレなどと呼ぶ理由。それは、貴族の間で広まっている一つの噂。

 現在学生である第三王子殿下には既に恋仲の女性がおり、学園内では常に彼女を側に置いているという話なのだ。

 その女性は男爵家の娘だと、この話を私に教えてくれた第二王子殿下は苦々しい表情でおっしゃっておられたわね。

 恋人がいる方との政略結婚、というのはつまり、私はお飾りの正妃となるということだ。


「ですが、おそらく父は受け入れると思います」


 父上は、私が王家に嫁ぐなら相手はどの殿下でも良い、のだと思う。侯爵家の娘が王家と縁を結ぶ、それが狙いなのだから。


「王家との縁を持ちたいのなら、受け入れないという選択肢はなしか」


「それに、王命とあらばわたくしどもに拒否権はございません」


 そして、私は王家に仕える貴族、その父の娘。国王陛下のご命令に対する拒否権はない。故に、そのことを殿下にお伝えした。


「わかった。そのように、父上には伝えておく」


「ありがとうございます。どうぞ、お幸せに」


「うん、ありがとう」


 私の答えに、ほっとしたように殿下はお笑いになった。




「え、彼女が恋人? ないない、みんな知ってるよ」


 正式に婚約相手となり、顔合わせをした第三王子殿下。……その後に顔をこわばらせて控えているのが噂の、男爵家のご令嬢らしいのだけれど。

 彼女の隣には、ひどく緊張した顔の殿方がおられた。王子殿下やご令嬢と同じくらいのお年の方。


「この二人が婚約者同士でね。こちらは子爵家の長男なんだが、事務処理や交渉事に強いんだよ」


「は、はあ」


「それで、学院での仕事を手伝ってもらうようになったんだけど、そうしたら自分の婚約者が計算得意だって言うからさ」


「そういうことでしたか」


 今、私がいるのは第三王子殿下の執務室。学生の身分であるけれど、少しずつ王族としてのお仕事をこなしておられるそうだ。第二王子殿下が国外に出られるのだから、その分のお仕事も入ってくるのだろう。

 そこにこの二人が控えているということは、だ。


「つまり殿下は、このお二人を側仕えとしてお認めになっているのですね」


「うん。……ごめんね、二の兄上がおかしなこと言ってたみたいで」


「いえ。わたしには彼がいるということを殿下がよくご存知である、それだけでわたしには心強いことです」


 私の推測を肯定して、殿下は背後の彼女を振り返る。ぐ、と拳を握って力説する彼女の反対側の手は……あら、婚約者と握り合っているわ。まあまあ羨ましい、私には縁がなかった仕草。


「まあ、そういうわけで理解してくれたらありがたいな。僕、正直に言うと年上の人が好みだし」


「え」


 にこ、と笑う殿下の言葉の意味を私が正確に理解するのには、少しだけ時間がかかった。




 第二王子殿下は無事に、皇女殿下の配偶者となられた。

 ……というと聞こえは良いのだが……盛大な結婚式典のあと、あちらの殿下は表に姿を表さなくなった、らしい。


「見目がよく、健康であれば言うことはございませんわ。このわたくしに、小国とは言え王家の良い子種をくださるのですから」


 ……などと皇女殿下がおっしゃった、という噂がこちらの国まで流れてきたのだけれど、私はその真偽を確認しようとは思わなかった。

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