XIV 節制

 いつの間にか眠っていたらしい。時刻は午前八時過ぎ。目覚めると、電気が復活している。そのため室内は明るくなっていた。また、暖房が効いており、居心地が良くなっている。

 辺りの様子を窺うも、未だに私たち以外の訪問客は居ない。警備員の姿さえなかった。どこに行ったのか、ニオとセトの二人の姿もない。傍に居たキセに訊ねると、

「お二人は接続点を探してくれていますよ」とのこと。

 手洗所に入り、顔を洗ってから、ふと疑問に思う。

「接続点についての情報を探しているわけだよね」隣に立つキセの様子を窺いながら、「どうしてここにそれが置いてあるの……」

「さあ。ここが記録所だからでしょうかね。一周目──つまり、最初の夢──において相談した結果、成り行きでそう決まったんですよねえ」

 ふうん、と相槌を打ち、

「それで、接続点がどこなのか、それが書いてある書物を探すわけでしょう」

「書物とは限りませんよ。もしかしたらディスクかもしれません」

 どちらだって良いが、「検索してすぐに見つからないの?」

「それなら、ええ、やってみました。でも駄目ですね。キーワードを変えて検索しても何も引っ掛かりませんでした」

 しかしキセたち黒子には、昔の記憶が残っているはずだ。覚えてないの、と訊くも、首を振る。

「残念ながら。私たちはその時の記憶を物質化して、図書館のどこかに預けてしまったみたいなんです。だから何も覚えていません」

「どうしてそんな、記憶を手放すようなことをするの?」

「黒子から脅威を取り除きたかったのかもしれません」キセは見上げて、顎に手をやった。「それとも、この世界から離れたくなかったのかも」

 なんてね、と戯けて笑うキセを見て、まさかこうして話せる日が来るとは思わなかった、と軽く驚く。台本だとかその他規則が私を縛り上げていただけ。しがらみさえ無ければ、こうして話し合えるのだから、感慨深い。

 接続点を探すため、それがどこにあるのか、書棚から情報を探す。映像資料室に行くと、ニオが居た。彼女はパソコンに向かい、DVDを観ている。隣には沢山のディスクが積まれていて、これを片端から調べるつもりらしい。種類は様々あって、実写映画から海外ドラマ、アニメ、ノンフィクションまで幅広く取り扱かわれていた。

 画面に滝壺や雪の降り積もった森など、大自然の映像が流れている。パッケージを確認すると、ドキュメンタリー映画だった。

「良い景色だね」と横から口を挟む。

「え?」ニオはびっくりしたように顔を上げて、「音楽ばかり聴いてたから……」

「え」と今度は私が戸惑う。「こんなに綺麗なのに?」

「綺麗? 仏像が?」

 話が噛み合わない。何を言っているのだこの娘は。パッケージを取り上げて、観ているのはこれでしょう、と訊ねる。ニオはその通りだと言った。題名は、

「ネイチャー」と私、

「仏像の歴史3」とはニオの言葉。

「え?」

 二人の声が重なって、二秒ほど不気味な沈黙が生まれた。私はまた、パッケージに目を向ける。どこからどう見ても、題名は同じ。世界の大自然を映し出したもので、背面にもそう説明されている。しかしニオが冗談を言っているわけでもないのも事実。彼女は額に脂汗を滲ませ、事の重大さに思い当たったようだ。

 思えば、と私は言う。

 プラットホームに祖父が現れ、飛び降りた時。皆、彼のことをお婆さんと言っていた。私だけが、異なった見方をしている。

 それから、前にピザを頼んだ時のこと。偶然見たワイドショーで、私のことが報道されていた。それなのに、ニオにはそれがまるで見えていないかの如く。他人事のように振る舞っていた。

 あの時と同じ。

 またすれ違っている。

 もしかすると、ニオが別のフロアへ行こうとしていたのもそうなのだろうか。私たちの間で、認識がすれ違っている。

「これも異変の一つなの」

 キセに訊いたけれど、分からないと言う。ただ彼女にもすれ違いは認知出来たらしい。

「奇妙なことになりましたね」

「どうなってるのかな」ニオが焦燥に駆られた顔で、「私の声も、ちゃんと聞こえてるよね」と確認する。

「聞こえてるよ」

 でも、何かがおかしい。それは確かだ。そしてすぐに理由が分かった。パソコンから音が出ていない。彼女は音を楽しんでいたと言っているが、ヘッドフォンを繋げているわけでもないのに、無音だった。

 私がおかしいのか、それとも、ニオの方がずれているのか。判別がつかない。

 と、そこへ足音がした。振り返って見ると、セトが一人、黒子を置いて現れた。

「お嬢さん方、何か見つかったかい」と眠そうに言う。

「いや、何も……」

 ニオが私を一瞥したので、頷いて応じる。彼女も小さく頷き、今あったことを簡単に説明した。セトは壁にもたれて耳を傾けていたが、話が終わると同時に、机に置かれたパッケージを手に取る。彼はそれに目を落とすなり、

「真っ黒で何も書いてないぞ」彼は顔を上げて、「少なくとも、俺にはそう見える」

 言うや否や、積まれたDVDから私たちが挙げた題名のものを見つけ出し、これのことだろう、と見せつけた。確かに合っている。では、私たちが見たものは何だったのか。再度パッケージを見てみると、セトの言う通り、真っ黒に見える。

「何が起きてるの」ニオが虚空に向かって独り言。

「分からない」私の顔が引き攣るのが分かって、「どう言うことなの、キセ」

「すみません」と、黒子は首を横に振った。

 どうやらセトだけは正しく物事を認識出来ているらしい。問題なのは私たちの方にあって、どういうわけか、幻惑されている。まさか、認識に何かされているのだろうか。例えば、知らず知らずのうちに完全幸福マニュアルが復旧していて、認識に影響を与えている、とか。

 ニオと認識が違うのは、彼女には別の台本が与えられているからだろう。それならば説明がつく。だから同じものを見ていながら、まったく別のものが見えてしまっていたのだと。

 けれども、台本は無意識に働きかけるものではない。知らずにコントロールされるわけではなかったはず。誰からでもなく、あくまでも自らの意思で自律するためのもの。だから演じているという自覚があったはずだ。ならばこれは完全幸福マニュアルの仕業ではない。それに、たとえ台本が影響していたのだとしても、気になることがある。

 どうして、わざわざ異なる認識を与えるのか。統一した方が良いだろう。見え方を分裂させる理由が思いつかない。

 居た堪れなくなったのか、

「ごめん、ちょっと」とお手洗いにニオが席を立った。しばらく待っていたが、帰ってこない。セトと顔を見合わせると、彼も接続点を探すから、と後を追うように部屋を出ていく。

 気持ちの悪さと共に置いていかれたように感じ、私は天を仰いだ。

 これもやはり、外側で何かが起きていて、その影響を受けているのだろうか。例えば冷凍睡眠装置に眠っている私の、脳機能に何らかの問題が生じている、といったような。このために記憶だったり認知に問題があるとしたらどうだろう。生きていながら発狂しているようなものだ。

 怖くなったが、それならば余計に、自分の手でどうにかしなければいけない。消極的に僥倖を待つよりも、能動的に未来を掴み取りに行った方が納得出来るはずだ。それが期待外れの結末を迎えたとしても。

 そう考えて、私は接続点探しを始めた。と言っても、ニオが積んだディスクを、ひたすらに早回しして観ていくだけ。作業としては非常につまらなく、もう何度も雑念が脳を右往左往する。この間に本体の私が死んだらどうしようとか、この部屋に情報が置かれていなかったら時間の無駄ではないか、とか。そんなことばかり考えてしまう。

 そうして何時間経っただろう。

 ニオが帰って来ないので、心配になった。もしかするとセトと行動を共にしている可能性もあるが、万が一ということもあり、手洗所へ見に行くことに決める。

 扉を開けて、映像資料室から一歩外へ。出向いてすぐに、私は混乱した。内部の構造が変わっている。まるで迷宮リミナルスペースと化したかのように、部屋の位置や階段のある場所が、入れ替わっていたのだ。

 荒れそうになる心拍を深呼吸で整えると、まずは案内図を確認する。手洗所の位置を覚えてから、来た時とは異なる経路を向かい、やがて辿り着いた。ふと目の前には、手洗所へと入室するニオの姿が。

「ニオ」と声をかける。

 返事が返って来ない。彼女はそのまま扉を潜り抜ける。焦って、追い掛けるも、誰も居ない。思わずキセを見た。彼女は目を合わせたまま、何も言わない。

「ニオ」私はまた声をあげた。

「リセ?」奥からそう声がして、僅かに安堵する。

「ごめんね、心配だったから」

 そう言って足を踏み入れるも、どこにもニオの姿はなかった。個室はすべて開け放たれていて、誰も居ないことは明白。ならば私は、誰と会話していたのだろう。念入りに探してみるけれど、どこにも居そうにない。隠れられるスペースも無かった。ニオは、どこへ消えたのだろう。壁に設置された小窓からでは、顔を出すのが精一杯。

 試しに覗いてみたけれど、下に地面はなく、落ちてしまえばひとたまりもない。諦めて、窓から降りると、私はまた声をかけた。どこからともなくニオの声が反響したけれど、それがどこからなのか、まったく掴めそうになかった。

「おーい」とセトの声がする。手洗所から出ると、「そこに居たのか、探したぞ」

「ニオが居ないの」私は単刀直入に言った。

「ニオが? どこか別のフロアで探してるんじゃないか?」

 いやと首を振って、「確かにここに入っていったのを見たんだけど」

「ここに?」セトは手洗所を見やり、眉を顰める。「だったら中に居るんだろう」

「それが居ないんだって」

「まさか」

 二人で入ってみてから、セトの黒子が消えていることに気が付いた。どうしたのと訊ねるも、彼は知らなかった様子で、一緒になって驚く。呆れながらも、ニオと彼の黒子が消えてしまったことに、焦りを感じてもいた。

「くそ」と、セトが舌打ちして、「せっかく接続点がどこなのか分かったのに」私に顔を向ける。「接続点は、二十歳の誕生日を迎えた時に眠っていた場所だとさ」

 突然のことに頭が一瞬だけ、理解を止めた。我に帰ってから、彼の言葉を噛み砕く。となれば、私の場合は自宅ということだ。厳密には、リビングに置かれたベッドであろう。

 曰く、現実はその日、その場所から始まったのだとか。だからそこを接続点と言う。いわば現実と外側との境界線。情報によると、そこで眠りにつくことで、現実から出ていけるらしい。これで向かうべき先が決まった。後はニオを探すだけ。しかし当の本人がどこに消えたのか、これが問題だった。

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