X 運命の輪
この現実は、すべて仮想世界である。
しかしそう言われても、私にはピンと来なかった。何をもって仮想とするのだろう。この体も、街並みも、服も、空気も。本物では無いのだろうか。
偽物の自我を借りて、私は考える。
そう、私はキャラクター。
ならばここは、ある意味ゲームの世界なのだと言っても良いのかもしれない。台本の通りに演じなければならないというルールで動く、社会という名のゲームだ。思い出すまでも無く、人工物と思想とで隅々までデザインされた街は、虚構で出来ている。
ならば私が仮想現実に生きていてもおかしくは無い。そう思いはするけれど、まさか、この空も──唯一の自然すら偽物だとは思わなかった。と、受け入れ始めている自分を自覚する。まるで台本を読み込むのと同じように。
「まさか」とセトは一笑に付す。「なら異変も地震もシミュレーションだってのか? でも何のために。そもそもここが仮想世界なら、空腹になるとか走ったら疲れるとか、余計な要素ばかりじゃねえか」
「確かに」ニオが同意した。
「おやおや、質問責めですね」キセは顔を傾け、「地震や余計な要素とやらは、仕様です。すべて外側の環境を模倣しています。というのは、皆様は記憶を持って眠りにつき、この世界を夢見ているからです」
「記憶を持って……」私は繰り返す。
「そうですよ」キセは当たり前のように頷いて、「例えば、リセ。貴方は大学生の時分に眠られています。丁度、今の年齢と同じですね」
どこか懐かしむような声色で、キセはそう説明した。私はといえば狼狽えている。覚えていない過去を話されて、どこか他人事のような感覚にあったのだ。
つまり私のこれまでの思い出は、すべて電子上で再現されたこと。そういうことになるのだろうか。キセはまるで、私の独白を聞いているかのように首肯して、
「過去については、きっと皆様が考えた通り。まあ史実とは多少の違いもありますが、記憶を基に台本は作られています。なので概ね同じような過去を追体験しているでしょうね。自然災害の一部は例外として、必要の無い要素が反映されてしまったのは、目覚めた時のためでもあります。ここが仮想世界であるとはいえ、元の感覚を忘れてしまってはいけませんからね。それで良いのでしょう。目覚めに備えて、外の環境に慣れて欲しかった、と」
「自然災害の一部に例外があるのか?」セトの質問に、
「それは後でお答えしましょう」キセは回答を保留する。
「さっきから目覚めと言っているけど、僕達は眠っているの?」レウが訊いた。
「そう……皆様は、冷凍睡眠装置について眠っているところです。今は、レム睡眠時なのでしょう。非常に僅かではありますが、立ち上る意識から、束の間の現実を──この夢を見ているわけです」
キセは淡々と説明する。
私たちは各自理由があって、冷凍睡眠装置に掛けられたらしい。理由として考えられるのは、
例えば:世界自体、生きていくのに適さない環境になってしまったから、一時的に避難するため。
例えば:難病を患っていて、治せる時代が来るまで眠ることにした。
……等だろうと彼女は答えた。
外側では何が起こっているのか、何一つとして分からない。ただ話を聞いて、外は危険な状況にあるのだろうと察せられた。だからこそ、睡眠という形を取って時間を早送りすることにしたのだろう。
遠い未来へ至るために。
冷凍保存装置とはいわば、方舟なのだ。
いずれにせよ、私たち自らの意思でここに居るということ。そんな記憶は無いけれど、と言うと、
「ええ。それはもう、何度もここで人生を繰り返しているからでしょうね」
「三世代間の永劫回帰って奴か?」セトが顎を僅かに上げて、「ずっと気になってたんだ。どうしてそんなことを?」
「単純な話でしてね。そもそも眠りについたのが、その年齢幅の人たち──つまり三世代間の人々だったからですよ」
現実とは、全員の見ている夢に過ぎない。
冷凍睡眠装置は他の装置とも常時繋がっていて、信号を送り合っている。こうしてお互いの状態を情報交換しながら、外側が目覚めるに適した状態であるかを確認する。それは周期的に、十数年に一度、一斉に起動するのだとか。これが原因で、中で眠りにつく人々は同時に夢を見ることになる。
それがこの社会。
唐突に現れた空虚の世界。
ニオが自身の黒子を見つめる。イオは軽く頷いて、
「最初は皆、戸惑っていらっしゃいました」と、頭巾を触りながら言った。「この空間には、意識以外には何も無かったからです。しかし自分達の境遇を思い出すにつれ、この場所は魂の避難地ではないか、と考えられるようになりました」
ここはつまり、
光あれ、と。
世界を構築し、外側を再現したのだ。次に自分らの体を造り、やがて社会を築いていく。
虚構の文明はこうして一から作り直されては修正されていった。装置が起動し、三世代における生と死が擬似的に演じられ、装置の眠りと共に次の目覚めを待つ日々。
その内に世界は洗練され、規則が作り替えられ、模索は続く。三世代に跨がる人々は、こうして今の社会を作り上げた。
素晴らしい運命が約束された理想郷を。
自分から二つの要素に分離させることで。
キセは説明する。
「自分一人から記憶と自意識の二つに分け、それぞれを黒子と演者として役割を与えたのです。いわば多重人格みたいなものとお思いください。記憶を我々黒子に預け、自分達は台本に従って安心と安全とを享受する。台本とは即ち、前世での人生を記録したものです。これを皆様は模倣し、私たちはその履行を観測し続けて来ました」
「待って待って、理解が追いつかない」ニオはこめかみに手を当てながら、「えーと、つまり私たちが一からこの世界を作ったのね。それで社会を運営するに当たって、何回も修正してきた。それも、装置が起動する度に。そこまでは分かる。でも、どうして記憶と自意識を分けるようなことをしたの。わざわざそんなことをしなくても、良かったんじゃないの」
「簡単なことです」と黒子。「製作者は演者になりたかったんですよ。世界を変えられる機能を知っていて、記憶をコントロールする術も知っていて」
「そんなことが?」セトの驚きに、
「出来ますよ」キセは鷹揚に頷く。「だから前世のことを憶えていませんでしょう?」
私達は目を見張って黒子を見た。それから互いの視線がぶつかって、しばらく絶句する。すべて私たちの意思で行われていた。
「もしかするとここでなら、本当の天国が創れるかもしれない。そんな幻想が多くの人を魅了したのですね。だから良い社会を目指し、創造した。けれど創造出来るということは、破壊も出来るということ。だから我々は、我々に、安全装置を導入したのです。自意識からは記憶を奪い取り、選択肢を失くさせる。記憶からは自意識を奪い取り、選択する意欲を失くさせる。どうです、完璧でしょう?」
全員が双子だったのは、それが理由だった。誰かしら暴走してしまいかねないため、権限を分散し、運営と使用者に分かれた。だから本当の意味で、私とキセは同一人物ということ。私は運命というサービスを享受して生き、黒子は道具に徹して自分から動くことはないと言う。
でも……本当に?
キセにはまるで、自我があるように思える。主体的に行動し、輪を乱してでも私に話しかけて来たのは、何だったのだろうか。気になったけれど、訊くことは出来ない。怯えが邪魔をして、言葉にならなかった。
それと知ってか知らずか、キセと目が合う。
「大体のことは、何と無くだけど、分かったよ。でもまだ、僕達に話していないことがあるよね?」と、レウは追及した。「地震は起こるべくして起こった運命で、多分、父さんと母さんの死も運命的なんだと思う」
「ええ」もう一人のレウが厳かに頷く。
レウは辛そうに彼を見つめた後、キセに向き直り、
「じゃあ、異変は仕様じゃないの? キセはさっき、そうだとは言わなかったよね。これはどういうことなの」
キセがレウの黒子に目をやった。
彼はもう、頭巾を被っている。小さく頷いて、
「どうしようも無いことだったんだよ」レウの黒子が語りかけるように話した。「僕達は今、ここで夢を見ている。だから現実の外側で何か起きても、何も出来ないんだ。異変は仕様じゃない。運命の外で起きたことだから──」
世界は記憶を元に再現される。ならば
だからこそ、この仮想世界の中では無力。
例えば外側で地震が発生し、装置が破壊されてしまったなら。使用者が生きていようと死んでいようと、接続が断たれてしまう。すると輪廻から脱け出てしまったその人をどのように扱うか?
「目覚めた」と、装置は解釈する。「その人は、運命から除名されます。それが物語の途中であったとしても、同じです。この場合、黒子が代わりを務め果たすことで、大事にならないようになっていました」
「大事にならないなんてことないと思うけど」ニオの指摘に、
「いいえ。そこは台本がありますから。とは言え、貴方を含めた、皆様の目は誤魔化せないでしょうけれど」と、キセは柔らかく微笑した。「実は目覚め自体は、明るみにならなかっただけで、これまでにも何度か起きています。ただ今回が例外なのです」
彼女はイオに目配せする。イオは一度頷くと、
「最近になってから、特に目覚めが多くなっています。原因は分かりません。外側が騒がしくなっているのは、過去よりも良い未来が訪れていて、現地人が起こしてくれているのかもしれません。或いは真逆に、もっと悪い何かが起きていて、不幸な目覚めを多発させているのかもしれません」
不幸な目覚めとは即ち、死そのものを指している。死者の記録がこの世界に残されているなら、ここという現実で生き延びることは出来ないのだろうか。私は疑問に思ったけれど、答えは明白だった。記録であり記憶でもある黒子に意識はない。存在はしていても、自由が無いのだ。ならば生きていても無意味だろう。
どちらにせよ、死んでしまえば後がない。
「外側で何が起こっているのか、貴方は知らないの」レウは訊いた。
「申し訳ありません」
「だったら、確かめる術はないのか」と、セト。
「丁度、それをお教えするところでした」キセはにっこりと笑って、「各地に外側の様子が分かる、観測点がございます。ここからですと、国立図書館が一番近いでしょう」
「また東京に戻るのか」セトはげんなりとして呟く。「で、国立図書館から外を確認して、どうする?」
「何も無ければそのまま──これまで通りとはいかないでしょうが──ここで生きて貰うことになると思います。必要なら記憶を編集することも可能です。その際は言ってください。そして、もしも問題がある場合には、接続点がどこなのか、情報を探す必要があります」
「接続点?」
「現実と外側とを繋ぐ場所のことです。或いは夢の始まったところと言いましょうか。その地点であれば、現実からもう一つの現実へ向かうことが出来るでしょう」
しかしそれが意味するのは、
「危険な場所に目覚めるってこと……」
私の言葉に、誰かの息を呑む音が聞こえた。
「その通りですよ、リセ」キセは私の手を取り、「危険を対処するにも、問題から逃げ延びるにも、ここからでは何も出来ませんからね」
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