IX 隠者

 ニオとセトも含め、私達はキセの説明に釘付けになって聞いていた。顔を露わにした彼女に、二人は驚く間も無く、ただただ静かに耳を傾けている。キセは自らを、影武者だと表現した。

 曰く、

「物語において、人と人との交流は非常に大事です。ですからもし、演者の身に何かあってしまったら、どうでしょうか。台本上では会話することになっているのに、不測の事態によって──例えば病に罹ったり、事故に遭ったりして──相手の役者が居ない、なんてことになったとしたら……?」

 徐々に話が見えてきて、私はぞっとした。

 そうだ、私はキャラクターでしか無いのである。ならば誰が私を演じても、全く同じ。特に黒子は、ずっとずっと昔から傍にいて、片時も離れたことが無かった。そんな人ならば、きっと、可能なのだろう。

「ですからそんな場合のために、私たち黒子が、演者の代わりを務めるのです」

 予想していた通りの答えを彼女は言った。皆の顔が青白く染まっていくように見えて、多分私も同じような顔色なのだろうな、と想像する。

「だからか」と、いち早くショックから立ち直ったセトが、「黒子の顔を見るな、反応するな、話しかけるなって規則があるのは」

「そう、我々の正体が判明しないように、ですね。でもまあ、そこまで秘密にする必要は無いんですよ。私としては、バレたって別に問題では無いかと。そう思っています。あ、イオも同じですか。ええ、ええ。やっぱりそうですよね。と言うのも、バレたところで、普段のようにきちんと運命を履行してくだされば、それで良いんですよ。リセは台本に従順でしたし、私としても暇なのでちょっかいをかけていましたがね。あくまでも不履行とならなければ、それで良い、と。そう言うことですね」

「じゃあ、全員顔が同じなの?」ニオの目が見開かれた。

 黒子全員が頭巾を取ると、鏡写しのように同じ顔貌が現れる。セトが思わず息を呑んだ。

「どうです。全く同じでしょう。普通、人は自分の運命など知りません。確かに指定された未来を演じる義務はありますが、果たしてきちんと履行されますかどうか、保証はありません。ニオさんみたいに自由な方も居ますからねえ」とキセは苦笑する。

 私を含める皆の視線を集めて、ニオはきょとんとした表情を浮かべていた。それから彼女にも心当たりがあったのか、小さく舌を出す。

「だから、それを補佐するってこと?」レウはそう結論付けたらしい。「現実が台本から逸脱しないように」

「それが黒子の役割でした。この点は学校でも習いましたね? 滞りなく、円滑に運命が進められるように、黒子は配備されるのです」

 ある時は補佐として。

 またある時は代役として。

 必ず台本の中の物語が現実となるように履行する。しかしどうしてこうまでも執着的に履行されるのだろうか。多少の変化くらい許されても良いと思うのだけど。

 私の問いに、キセは確かにと頷きながらも、

「それには明確な理由があります。さて皆さんは、永劫回帰という言葉をご存知ですか」

 私は知らない。レウとニオ、セトを見る。レウもニオも知らない様子で、それぞれ首を横に振った。だがセトの方は、わけ知り顔で私を見つめ返す。

「ニーチェの思想だな。時間に始まりも終わりもなく、世の中は同じ事象が永遠に繰り返しているという考えだ」

 キセはその通りです、と頷く。

「その考えによると──人が生まれ、育ち、老いて、死にゆく人生は、その流れが予め定まっていて、何度も何回も、何周も繰り返されるのですね」

「それがどう関係するの?」レウが恐々といったふうに質問した。

 つまり、とキセは人差し指を立てながら、

「この社会が完全幸福マニュアルの元に、人生が同じサイクルで繰り返され続けているのです」キセは赤い唇を三日月みたいに持ち上げて、全員と目を合わせる。「台本によって、親・子・孫の三世代間という、実に狭い範囲で同じ運命を繰り返しているのですね……。何故三世代なのか、という質問はまだご遠慮ください。それは後で説明します。論理には順序というものがありますからねぇ」

 誰も何も言わなかった。キセは強靭な精神のためか、気にした様子でもなく、それでですね、と説明を続けようとする。

「永劫回帰というシステムの良いところは、あらゆる行為が運命という言葉によって責任は剥奪される上、保証されることにあります。例えば──」と、そこで一度区切り、息を吸う。「思いがけずコップを溢してしまったり、仕事で失敗してしまったことも運命なら、血の滲むような努力をして得た成功すらも、約束された勝利、栄光であったということです。分かりますね?」

 訊かれて、私はどのように解釈したものか、考える。

 例えば遺伝子が人の特性を決めるように、完全幸福マニュアルは、人の行動を制限するのだ。それはいわば、文化的遺伝子に近しいでしょう、とキセは言う。

 自我という形で刷り込まれたそれは、私の形を指定し、物語を与えるのだとか。何歳に何が起こり、どんな感情特性が強まり、行動にはどんな癖が現れるのか、デザインされる。

 趣味も、特技も、もしかしたら才能も。すべて、自分を演じる過程で培われ、私らしさという名の枠組みにキャラクターを嵌めていく。過去を設定され、役割を与えられ、使命を強いられて。

「それこそが、平等と安心への近道だったのです。エンターテイメントって、大体はオチが確定していますよね? 具体的に言うなら、最初から勝利が確定しています。争い事なら善役は悪役に勝ち、恋愛なら二人は両思い……」

「それが良いのは分かるけど、自分の人生まで決められちゃうのって、そんなの嫌じゃん」と、ニオが口を開く。「だって、自分の意思に関係なく成功したり失敗したりするんでしょう?」

「それに、その口振りだと、運命は変わらないし悪い未来も避けられそうに無さそうだな」セトが追随した。

「ええ、その通りです。しかしだからこそ、逆説的にこうも言えるんですよ。そこには誰のどんな意思も介在しません。誰かの思惑によって人生が捻じ曲げられることも無ければ、それでいて、自分の意思で行われたすべてが、無条件に受け入れられるのです」

 運命的に保証されるということは、誰からの影響も受けずに生きられるということ。同時にそれは、誰にも影響を与えることはないということでもあるのではないだろうか。

 私の考えをしかし、キセは否定する。

「いいえ、意思が行為に反映されないのであって、行動による影響がないわけではありませんよ。例えばニオさんが良い例です。彼女は台本にはない、アドリブを行いますね。その結果、皆が困惑する」

 私は、ニオの苦い顔を見つめた後、

「だったら……誰かの思惑で人生が捻じ曲げられることはない、って貴方の言葉は嘘になる」と、指摘する。

「だからこそ、ですよ」キセは満面の笑みを浮かべて、「そこにどんな意思があったにせよ、周囲に影響を与えるのは行動です。人は他者を理解する時、先に行動を知覚してから、その原因を意思に求めますね。一体どんな意味があっての行動なのだろう? と。だからこそその意思を台本から指定することで、無化するのです。そうすれば、誰かのわがままで身を滅ぼしたりしない」

「だから、自我を捧げると?」セトが訊ね、

「そう」と、キセは認める。「厳密には捧げるのは自我ではなく、過去に未来、人生のすべて、即ち運命を自力で動かす自由──これを捧げることで、皆さんは他者の影響から自由になったのですよ」


 自由リバティを失い、自由フリーダムを得る。だからこそ私たちは、

「生まれた時から運命は定められている、というわけです」


 キセの言葉に感情は無い。どこまでも冷たく、他人事のようだった。

「そもそも人を規定するものは環境です。環境もまた、人によって規定され得ます。この相互に支配し合うサイクルそのものをコントロールしようとしたのが、完全幸福マニュアルというシステムでした」

 意識を変えれば人は変わる。人が変われば世界が変わる。世界が変われば、そこに生きている人々は変わっていく。

 何故と言って、人はどうしようもなく生物であるから。生物は皆、生存するため環境に適応する。適応し、生き延びた個体が、環境へ影響を与え、より都合の良い世界へと整えていく。

 その顕著な仕組みが、社会という概念だと、キセは言った。そこに自然は存在せず、すべては人工的にデザインされている。木々も整えられ、川も工事によって後から造られた人工物。残された自然はと言えば空くらい。

「物語や運命は、環境に影響されますからね。環境そのものを整えるために、まずは人をコントロールするのです」

「じゃああんたは、そもそも悪い未来が無くせるかもしれない可能性に賭けて、俺達は台本に従っているのだ、と言いたいのか?」

「そうです」彼女は簡単に頷き、「私達はこの社会に天国を築こうとしているのです。そして、先程ニオが言いましたように、努力に関係無く成功や失敗するかもしれないという指摘も、既に克服出来ています」

「え?」ニオは目を瞬かせる。

「演者たちの運命に合わせて、必要な努力を強いるのです。成功ならそれに見合う対価を。不可避の失敗なら、それはそれで対応するなど、きちんと個々人に合わせて当て書きされるんですよ」


 だから自我そのものをデザインするのです。

 自我を上書きすることで──


 ぼんやりとしていたシステムの理念が、少しずつ理解出来始めている。だからもう一つの自我を、与えられたのかと納得していた。

 幼少期には確かにあった、もう一つの自我への違和感も、大人になるにつれ、無くなってしまう。いつしか自分というものの主体が入れ替わり、自発的な意思が消え去るのだ。演じることが普通になれば、窮屈感は感じられない。それどころか、演者としての距離感が苦痛への耐性を高めてもくれるわけだ。更に人によっては──私のように──倒錯した解釈によって、与えられた自我に依存するようになる。

「自我に自らの魂を見出してしまうですね」キセは取り澄ましたふうに言った。

 私は恐ろしくなって、息を呑む。私はどこまでも私らしさの奴隷で、誰よりも自我が強まっていた。この驚きも、悲しみも。恐怖さえも、台本によって与えられた物語でしかなかったというのに。私は教育され、制御されたシステムの一キャラクターとなってしまっているのだ。

 キセは続けて、

「これは皆様が、舞台上で物語を、キャラクターを演じていると自覚しているからこそ、自分自身を俯瞰することが出来たのでしょう。客観しているからこそ、台本そのものを疑えるのです。ですが、台本は演者の気分を害するものではありません。むしろ運命を以って寄り添うのです。これで分かりましたか?」

「いや分からないよ」レウは尚も不思議そうに、「どうしてこんなことを教えてくれるの」

「ああ、それはですね」黒子は変わらぬ調子で、「もうすぐ皆さんの目覚めが訪れるからです」

「目覚め?」

「そうですよ。この現実から外側に行かれるかもしれませんからね」

「話が見えない」セトの言葉に、

「見えませんか?」キセが首を傾げて応じる。「では身も蓋も無い言い方ですみませんが、ここは仮想世界なんです。皆様はそろそろ、現実の外側へ移動することになるかもしれません」

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