VIII 正義

 ドアの向こうには日常が残されていた。変わらぬ町並み、佇む街灯や自動販売機たちが、何食わぬ顔で私を出迎える。けれど、端末からの情報では、日本各地で荒廃した状況にあるという報告がなされていた。

 北海道では道路の至るところに穴が穿たれ、地盤沈下が影響で建物は脆く崩されている。関西圏では噴火が起き、灰で満ち満ちているのだとか。この家の外では、悲劇が発生しているらしい。SNSも使えなくなり、やがて皆、沈黙し始めている。

 情報が錯綜していて、らしいに次ぐらしいの嵐。憶測が憶測を呼び、何が起きているのか、何も分からない。ここではただ単に停電が起きただけで済み、すぐにでも日常へと回帰出来そうな予感で包まれていた。でもそれも、錯覚か願望でしかないのだろう。

 報道では、また地震が来るかもしれないため気を付けるように、とのメッセージが掲載された。私は端末を掴んだまま、両肩を抱きしめる。息を吐くと、すぐに離した。横では、黒子たちが相談し合っている。内容までは聞こえて来なかった。

「俺の家族は無事だってさ」セトは端末から目を離さずに言う。「ニオは?」

「どうだって良い」彼女は珍しく刺々しい物言いで、そっぽを向いた。

「どうだって良いってことは無いだろう。なあ、一樹。そっちの家族は大丈夫か?」

 言われてから、確認を忘れていたと自覚する。端末を確認し直すと、電波が繋がらなくなっていた。

「駄目。繋がらない」

 と、独白をそのまま発言した。どうも頭が回らない。邪念が無くなって、思考回路は透き通るように明瞭となっているはずなのに。むしろ自分の声というものに、嫌悪感がある。それと、この台詞で正しかったのだろうか、という不安もあった。

 手探るように続く言葉を探していると、

「本当だ」ニオが驚いたように言い、後を継ぐ。「これじゃあ、どうしようもないね」一拍置いてから、「言うまでも無いけどさ」

「最悪だ。電波が繋がらなけりゃ、こんなのただの板だぞ」セトは吐き捨てるように言った。

「そうね」

 とは言ってみたものの、どこか心が浮いている。私でない誰かが、代わりに答えてくれているみたいだ。

 揺れが収まってから、既に数十分が経過している。段々と人々の姿が見え始め、外の様子を窺っていた。家の中に居ても、ネットが通じないからだろう。情報を求めての行動だと思われた。

「さて、これからどうしようか」

 セトの目が私達に向けられた後、そのまま黒子にも進む。同じ台本主義者だと思っていたのに、どうして話しかけられるのか。不思議に思っていると、相手にも困惑が伝わったらしい。彼は眉を顰めて、どうしたのかと訊いた。

「何か変なこと言ったか?」

「いや」と否定してみたは良いものの、どうわけを話すものかまとまらない。素直に想いを吐き出してしまえば良いのだろうに、それは言葉にならなかった。

 二秒ほどの沈黙。

 その後、静寂を破ったのは、キセだった。

「彼女、黒子と会話が出来ないんですよ。悲しいですね」と他人事に微笑し、「それに比べて、貴方は黒子にアレルギーが無いのですか。私の見立てでは、リセと同じくらい、優等生だと思っていたのですが」

「優等生?」意味が通じず、セトは片方の眉を吊り上げてみせる。

「ほら、黒子には話しかけてはならない、という掟がありましたでしょう?」

「その割にあんた、べらべらと良く喋ってたけどな」

「恐れ入ります」

 セトは鼻で笑うと、「ニオが不良だったからかもな。近くに掟破りな奴が二人も居れば、嫌でも耐性が付く」

「私、不良じゃないけど」とニオ。

「おや。リセは例外ですか」

「だろうな」セトは私を一瞥し、「俺は台本主義ではあるかもしれんが、依存はしてない。一樹は……何かあったのか?」

 全員の視線が一挙に降り注ぎ、思わず私は、明後日の方向へと顔を向けた。セトはまあ良いさと言って、

「深くは立ち入らんよ。人には人の、知られたく無い苦しみもあるだろう。それで、話を戻すが、俺たちはこれからどうすれば良いと思う?」

 黒子は頷き、

「今は取り敢えず、この場で待機していてくださいな。避難の必要はありませんよ」キセが口を開く。

「どうして?」と訊いたのはニオ。「ここだって危ないかもしれないでしょう?」

「ええ、しかし、下手に出歩くよりも、この場に留まった方が安全であると判断します」

 ニオの黒子がそう答える。セトは僅かに首を傾げたものの、異論は無いようだった。

「でもさ、イオ。もしも、ということもあるでしょう?」ニオは尚も食い下がる。

「はい。もしもの可能性も否定しきれません。ですが──これは調べれば分かることですが──避難経路は、いわゆる亡霊によって塞がれていまして、立ち入ることが出来ないのです」イオと呼ばれた黒子は、続けて、「また、大勢の避難によって二次災害が──」

「ああ、もう。分かった分かった。ここに居れば良いのね?」

 むくれた顔でニオが話を終わらせた。気が立っているのか、と思っていたが、どうも違う。心配そうに私を見つめる目から、私の代わりに怒ってくれているのだ、と理解した。もしかすると、これは自分勝手な解釈かもしれない。

 だが、これまで彼女に情け無い姿を晒してしまった身としては、そう感じてしまうところがあった。出来るだけ自我を押し隠して、「私なら大丈夫だから」と告げる。気丈に振る舞う術を身に付けなければ、と反省した。

「ただ──そうだね。弟がどうなってるかは、気になるかな」

 実家には、十四歳になる弟のレウが両親と共に住んでいる。無事だろうとは思うのだが、些か心配だった。

「ああ」とニオは相槌を打って、「そう言われると、私も兄貴が無事か、気になるような、どうせ大丈夫なよーな……」

 私たちのやり取りに、「なら、見に行きますか?」キセが私の目を見て訊ねる。

 返事しようと意識したものの、習慣は体に身に付いているらしい。声にならず、無言で首を縦に振るだけになった。しかし初めてコミュニケーションが取れたことに喜びでも抱いたのか、

「それなら、セトに運転をお願いしましょうか」という声には明るさが帯びている。

「は?」セトは愕然として、キセを睨んだ。

「完全幸福マニュアルが戻るのはまだまだ先になりそうですし、多分、もうこれ以上地震は起きません」

「おいおい……適当なこと言うなって」

「それを言うなら、不適当でしょう。大丈夫ですって」彼女は軽い調子で、「それよりもですねえ。問題なのは、その車って六人乗れるかどうかなんですよねえ」

「それなら問題無い。ただそれ以上の問題ってのがあるだろ。さっきそこの黒子が言ってたじゃないか」彼はイオを指さして、「亡霊が塞いでるんだろ?」

「お住まいはどちらですか?」イオは彼を無視するように訊く。地名を答えると、彼女は簡単に頷き、「なら、問題は無いと思います。通れるはずですよ」

「じゃあ行こう」言うが早いか、ニオは歩き出した。

「ちょっと」

 私は驚いて、セトと顔を見合わせる。彼は苦い顔で応対したけれど、すぐに大きな溜息を吐くと、仕方ないと呟いた。これは、仕方ないで済ませられる問題では無い。歩いて行くつもりだった。これ以上迷惑をかけたく無い。まだまだ危険な状態なはずだ。

 けれど私の意に介さず、皆は散っていく。

 ふと、私以外の全員には台本が流れているのでは。と、そんなパラノイアめいた考えが頭をよぎり、囚われそうになる。先刻のニュースで、人身事故現場から私達が報道されていた件でも、ニオはまるで、見えていないように振る舞っていた。もしかすると、それは演技なのかもしれない。でなければ、自分事にも関わらず、無視する理由が見当たらなかった。

 つまるところ、私だけが知らない台本が皆には与えられているのでは?

 セトに質問してみるも、

「大丈夫か?」と心配されるだけで済まされてしまう。

 疑惑は余計に深まるばかりで、解消はされなかった。

 彼が用意した車に、私達は乗り込む。向かう先は、私の実家。必要のない冒険だ。こんな時に移動させるだなんて。そう思うと、申し訳なくなった。

 揺られること一時間。

 窓の外の景色はどこまでも普通そのもので。次第に大地震の存在が、演出に過ぎないのかも、と思うようになっていた。セトが見たという亡霊の姿は、どこにも見当たらない。どうやら死者の行列は、こちらとは反対方向にあるようだ。道中も渋滞せず、スムーズに進んでいく。

 車内は静かだった。

 話題が無いからか、誰も何も言わず、環境音だけが耳に入る。車のエンジン音や、風の吹き荒ぶ音が絶え間なくこだまして、心中穏やかでは居られなかった。

 それからまた、微睡むような一時間が経過して。ようやく懐かしい風景が、目に入るようになった。しかしどの家も崩れている。一軒家である実家もまた、倒壊していていた。喉の奥が詰まり、言葉が出ない。正面口に車を停めると、私は飛び降りて、中の様子を確認しようとした。

 玄関の前には、一人の少年が体育座りしている。華奢な体と長い睫毛のために、一見すると少女のようだ。呼び掛けると、彼はゆったりと顔を出す。その呆けたように遠くを見つめる姿は、確かにレウその人だった。恐らく視界の端に私を捉えたのだろう。目の焦点が合うと、

「リセ」と囁くような声で呼んだ。

 どう声を掛けるのが正解だろう。少なくとも、「大丈夫……」という言葉だけは、間違いだったかもしれない。

「大丈夫だと思う?」彼は虚ろな表情で笑った。それから気を取り直したように、無感情になると、「父さんと母さんは、下敷きになった」と、俯いてしまう。

 私はかつて家だったものに視線を向けた。壊れてしまえばただの瓦礫でしかないそこに、両親が同じように居るのだと思うと、確かに胸からごっそりと、何かが抜け落ちてしまったような気がしてならない。

 見渡してみれば、誰も彼もが慌ただしく動き、どこからか怒号が聞こえる。

 姉としての威厳なのか、それとも、もうこれ以上恥ずかしいところを見せたく無いとするプライドのためか。自分には判別が付かないけれど、泣かないように目を瞑って、

「そっか」と呟く。

 目を開ければ、影のような少年が、レウの傍らで控えていた。彼の黒子にもきっと、名前があるのだろうな、なんて考えながら、私は隣に座る。

「リセはどうしてたの」彼は地面を見据えたまま。

「ずっと友達のところに居たよ。地震があったけど、大丈夫だった」

「そう」

「レウが無事で良かった」

「塾があったから。そこは大丈夫だった。でも──」

「うん」

「ああ……」彼は何故だろう。苦笑して、「こんな時に言うのもおかしいけどさ。黒子って、僕と同じ顔してるんだね」

 心臓が強く波打って、胸が痛くなった。聞き返すと、いや、とレウは取り繕う。

「顔を見たんだ。というか、見えたんだ、偶然ね。そうしたら、全く同じでさ。まるで双子みたいなんだ」

「そう。黒子は皆、演者達と同じ顔をしていますよ」

 キセは自ら頭巾を取り払い、彼に微笑んでみせた。レウは不気味なものを見たように凍りつき、すぐに目線を地面へ落とす。でも、忌避感よりも好奇心が勝ったらしい。もう一度、目を合わせた。

「どういうことなの」とレウは質問する。

「どういうこと、とは?」

「どうして、僕と黒子は同じ顔なの」

「それは貴方の黒子に聞いてみてください。それとも」キセは私に笑いかけ、「貴方も知りたいですか?」

「私は──」

 と、咄嗟に声に出してから、後悔した。知るべきでは無いかもしれない。知ることは、恐ろしいことでもあるからだ。真実がいつだって良いこととは限らない。彼女に訊けば、教えてくれると言った。


「貴方は何者なの」と。


 そう訊くだけで良かった。

 でも、私には出来そうにない。

 知らないのは恐ろしいことだろう。でも、知ってしまうのはもっと恐ろしい。

 キセは酷く落胆した様子で、

「リセ。私は貴方をずっと見守り続けていたのですよ。もう少し、信頼してくれませんか?」

 そう言われたけれど、まだ、話せる気にはなれなかった。だって、今の自分に私なんてものは存在しない。意識はあっても意思のない木偶の坊。

 もし、自我が戻ったなら、その時にはきっと。彼女と友人のように対等に、話せるようになるかもしれない。

「前の貴方は、もっと勇敢でした」キセは残念そうに、「何が貴方をそうさせたのでしょう」

「前の……?」引っ掛かりを覚えた様子のレウが、キセを見つめて繰り返した。「前って、どう言うこと」

 キセは口だけで笑ってみせながら、

「永劫回帰という言葉はご存知ですか」私たちは揃って首を振る。「人の運命は決まっていて、死後にも、同じ人生が繰り返される、という考えのことを指します」

 魂は循環し、同じ世界に同じ人間が、これまた同じ生き方を歩むこと。過去の記憶を引き継ぐことはなく、何も知らぬまま、過去の軌跡をなぞるのだ。

 それがどうしたのだろう。レウと私は、何か恐ろしいものの片鱗を予感しながら、それでいてまだ理解出来ていない、よせば良いのに、知らずにはいられなかった。

「それがどうしたの」とレウが訊く。

「貴方たちのことを言っているんですよ」

 前の私。

 今の私。

 まさか……?

 思わず笑いそうになる。

 自ら発想しておきながら、それはあり得ないと突っぱねた。私たちは同じ人生を繰り返している? 仮にそうならば、何故、黒子はそれを知っているのか。

「貴方は──」と、一度声に出してしまってから、後悔する。けれどもう、引き返せない。二人の目が、私に次の言葉を継ぐよう期待していて。言わずにはいられない雰囲気に飲まれてしまった。だから問う。皆の期待に応えて。「何者なの?」と。

 キセは心の底から嬉しそうに、

「私は貴方の影武者バックアップですよ、リセ」と微笑んだ。

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