四月:いつもお兄ちゃんと呼ぶこと その2

「萌夏、おはよう」

「…………」


「萌夏、忘れ物は無い?」

「…………」


「萌夏、今日の夕飯はハンバーグだってさ」

「…………」


「萌夏、部活どうするか決めた?」

「…………」


「冷蔵庫の中のプリンって萌夏の?」

「…………」


 萌夏、萌夏、萌夏、萌夏、萌夏、萌夏、萌夏、萌夏。


「ああもう、うっさい! 話しかけんな! うざい!」


 ひたすら話しかけたらツンデレちゃった。

 そうなるとは思ったけれど理由があるんだよ。


「でも萌夏からは話しかけにくいでしょ」

「う゛……」


 いつもお兄ちゃんと呼ぶこと。


 この課題を達成するためには、そもそも僕らが会話をしなければならない。

 でも萌夏から僕に話しかけるのは恥ずかしくて出来ないと思うんだ。

 だからこうして僕から会話のきっかけを作ってあげて『お兄ちゃん』と呼ぶことだけを頑張ってもらおうと思った。


「お小遣い欲しくないの?」

「…………欲しい」

「じゃあ頑張ろう」


 実は妹が課題をクリア出来ないと僕もお小遣いを貰えない。

 僕のお小遣いをこっそり萌夏に渡そうと思っていたのに封じられちゃった。

 流石母さん、僕の考えなんかお見通しだった。


「意識しちゃうと言いにくいと思うんだ。だから会話の中で自然にさらっと言ってみたらどうかな」


 そもそも何の脈絡もなく『お兄ちゃん』って呼ぶなんて不自然だ。


『お兄ちゃん』

『なんだい?』

『ふふ、呼んでみただけ』


 っていうのは妹がもっと素直になってからやることだからね。

 ああ、その日が来るのが楽しみだ。


「…………分かった」


 よし、それじゃあもう一回最初から続けるぞ。

 頑張ろー!


「萌夏、おはよう」

「おに…………う」


「萌夏、忘れ物は無い?」

「あるわけないじゃない!子ども扱いしないでよね! お………ん」


「萌夏、今日の夕飯はカレーだってさ」

「カレーだから何? おにい…………」


「萌夏、部活どうするか決めた?」

「別に私が何の部活に入るかなんて関係ないでしょ。おにいち……」


 惜しい!


「冷蔵庫の中のプリン食べちゃった」

「ちょっとお兄ちゃん! 何してんの!?」

「おお、言えた」

「何勝手に食べてるのよ!」

「いやいや萌夏、ちゃんと呼べたよ」

「そんなのどうでも良いの! プリン返せー!」


 ははは、プリン食べられて怒って言えちゃうとか萌夏もまだまだ子供だな。

 でもそんなところも可愛いんだよね。


 プリンは本当は食べてないけれど、ご褒美に少しリッチなプリンを買ってあげた。


 そしてどうやら一度言えたことで大分気が楽になったらしい。

 これ以降も萌夏は『お兄ちゃん』と呼んでくれるようになった。


「話しかけんな! オニイチャン」

「私の勝手でしょ! オニイチャン」

「うざい! オニイチャン」


 超爆速で何を言ってるか全く聞き取れないけれど。


 母さん認めてくれるかなぁ。


――――――――


 可能な限りご飯を一緒に食べる事。

 それが我が家のルールだ。


 今日も四人で一緒に夕飯を食べている。


 ふむふむ、萌夏は次に大根おろしに醤油をかける流れだ。

 タイミングを見計らってテーブル上の醤油をとってあげる。


 これまでずっと萌夏が食べる姿を見て来たんだ。

 食べる順くらい把握しているさ。

 当然でしょ?


「はい萌夏」

「べ、別に要らないし。何余計なことしてんのよ。おに……オニイチャン」


 危なかったけどセーフ!

 果たして母さんのジャッジは!?


「萌夏、それじゃあダメよ」


 ぐっ、合格は貰えなかったか。

 と思ったら全く別の話だった。


「お兄ちゃんありがとう。お礼に私をた・べ・て。って誘惑するところでしょう」


 なるほど、確かに!

 美味しく食べちゃいたい!


「な、な、何馬鹿なこと言ってるのよ! なんで私がオニイチャンなんかに」


 う~ん超早口。

 『お兄ちゃん』のところだけマッハで言葉になってない。


「全くこの子ったら素直じゃないんだから」

「まぁまぁ母さん。頑張ったんだから誉めてあげようよ」

「父さんは甘やかしすぎなのよ」

「俺が甘えたいのはお前だけだよ」

「まぁ……もう、あなたったら」


 子供の前でイチャイチャするの止めて貰えませんかね。

 そしてお前らもやれって感じでこっちチラチラ見るのも止めて貰えませんかね。


 僕はやりたいけれど、妹にはまだ早いよ。


『はわわ、私もいつかお兄ちゃんとあんな風にイチャイチャしたいよぅ』


 なんて内心では思ってるだろうけどね。


「あ~もう! とにかくオニイチャンって言えるようになったんだから課題クリアで良いよね!」


 僕とのイチャイチャ妄想で恥ずかしくなってしまったのか、萌夏が爆発しちゃった。

 相変わらず『お兄ちゃん』のところが爆速なのがやっぱり可愛い。


 でもそれで慣れないでね。

 やっぱり普通のスピードで『お兄ちゃん』って言われたいから。


 ああ、そうそう。

 もう一つ大事なことがあった。


 萌夏は勘違いしてることがある。


「何言ってるの。まだクリアしてないでしょ」

「え?」


 ほらね、やっぱり母さんはあそこまで考えてたんだ。


「いつもって書いてあったでしょ。ちゃんと学校でも言うのよ」

「ええええええええ!?」


 母さんはママさんネットワークをフル活用して僕達の学校生活をほぼ全て把握している。


 何で怒られたとか、何で褒められたとか、給食の何を残したとか、テストで何点を取ったとか、クラスの誰とケンカしたとか、ロリコン教師が萌夏に一瞬だけ色目使ったとか、僕らが報告しなくても全て知っている。


 だからきっと今回の話も嘘をついたら必ずバレてしまうだろう。


 ちなみに最後のクソ教師は父さんと母さんが何かをしたのか何処かに消え去った。

 萌夏に手を出す奴は全員死ね!


「そんなの無理いいいいいい!」


 衆人環視の中で僕の事をお兄ちゃんと呼ぶ。

 それは妹にとってあまりにも高いハードルだった。


 ワクワク。

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