第5話
王都は緩やかな丘に沿うようにして造られているようだ。頂点の王宮から見て南に、そこに出仕する貴族の住まい、商人たちの居住区、職人街や市場、庶民たちの住まいと、山麓にかけて順に広がっている。
それぞれの区画を仕切るように、城下の各所には緑が残っている。高所には展望台も設けられ、そこからの眺めは先ほど散々楽しんだ。王宮からは望めない街の様子を見渡せて、なんとなく胸がスカッとしたものだ。
「夜に雨が降ってたみたいだから出掛けられるか心配だったけど、晴れてよかったわ」
テヘナは思い切り背筋を伸ばし、晴れ晴れとした気分で城下町を歩いた。付き添いのファリュンとともに道を下り、現在は工房が軒を連ねる職人街に訪れていた。
仕立て屋、鍛冶屋、石工など、あらゆる職人たちが集っているようだ。彼らが作り上げた諸々は土産物屋に並んだり、貿易の品として外国に運ばれたりするのだろう。
「あ、これ見てファリュン。これと似たのが確かお父さまのお部屋にあった!」
「
とある工房の軒先に飾られていた品物を眺めるテヘナに、その様子が気になったのか、中にいた職人の男がのっそりと顔を見せる。
「坊ちゃん、そんなにこれが気になるかい」
「ああ、とても!」
勢いよく頷いたテヘナの格好は、どこからどう見ても「ちょっと裕福な商人の息子」風だった。
昨日シウバの執務室に入り込んだ際に男装したわけだが、その時に男物の服の動きやすさに感動したのだ。祖国では「女はスカート」という固定概念に縛られ、それに何ら疑問も抱かなかった。だが、いざ男装をしてみたら、スカートよりも遥かにパンツの方が動きやすくて楽だったのだ。
とはいえ王妃たるもの毎日パンツ姿というわけにはいかない。それならばお忍びで町を巡る時くらいは、と今日はこうして衣装を整えたわけだ。調達してくれたのは留守番を務めているベレニである。
短い髪と高身長、平たい胸と低めの声のおかげで、テヘナは少年になりきれている。職人も気付いた様子はない。
「色々あるんだなあ。お皿とかナイフのほかに、アクセサリーまであるし」
「こっちのブローチも素敵ですわよ」と目を輝かせるファリュンは、普段の侍女の衣装と大して変わらない格好だ。服の生地がいつもと違うとかなんとか言っていたが、テヘナには区別がつかない。
「星が描かれているのでしょうか。素晴らしいですわ」
「そういえば他の品物にも星がよく描かれているな」
「そりゃそうだろ。エストレージャで星の模様は定番だからな。国旗にも描かれてるだろ?」
「へえ、知らなかった。今度ちゃんと見てみよう」
せっかくだから何か買っていこうとしたテヘナに、職人は「ここでは販売していない」と首を振った。購入するには別の通りにある販売店まで行く必要があるそうだ。
黒い石が敷き詰められた通りを歩き、教えられた市場を目指す。ふと足元を見ると、石の色がくっきりと白くなる場所があった。
「石の色で通りを区別しているようですわね」
「そういえばさっきのおじさまも『白い道に出て右に曲がったところで売ってる』って言ってたわよね。白い道ってここのことかしら」
黒い道から白い道に出ると、一気に喧騒が増した。荷物を積んだ馬車が慌ただしく通り過ぎたかと思えば、人を運ぶ馬車がかぽかぽと優雅に進んでいく。人々はそれらを避けるように道の両脇を歩き、思い思いに店に足を運んでいた。先ほどまでいた職人街に比べると、建物もそれほど高くないぶん陽が当たりやすく、明るい印象がある。
「今気付いたけど、王宮といい城下町といい、建物の壁が白ばかりなのね」
「景観を大事にしているのかも知れませんわ。統一感がある方が見栄えが良いのでしょう」
「でも全部同じ色だし、お店も家もほとんど四角だし、慣れてないと自分の家がどこか分からなくなりそう。私みたいな外国人ならなおさらよ。観光とかで来る人なら宿だって取ってるでしょうけど、ここまで似たような見た目がいくつも並んでると混乱しちゃいそうだわ」
「確かに……」
看板はあるのだが、見た目の美しさを重視しているからか大きくないものがほとんどで、近くまで行ってみないとそこが何の店なのか、それとも宿なのか分からない。おかげで先ほど職人に教えてもらった象嵌細工の店を探すのも苦労した。
販売店では先の工房だけでなく、様々な工房の象嵌細工を扱っているようだ。よく見ると職人や工房の名前がさり気なく彫られていたり、扱うモチーフも異なっていたり、美術品を見ているようで面白い。店内は広いぶん、客もそれなりに多かった。
「ネックレスでも買おうかな。木の実と鳥が描かれてて可愛いから」
「せっかくですし、陛下にもなにか買われてはいかがです?」
「うーん、でも陛下の趣味が分からないし……」
知ろうにも、まともな会話なんてほぼ皆無だ。昨日は多少話しやすかったけれど、今日もそうとは限らない。シウバはテヘナと親しくするつもりなど無さそうだ。
宰相の計らいで、彼は後ほど合流してくるようだが、本当に来てくれるのかも怪しい。
――ヴェロニカって人のことを忘れられないのかも。
現在は宰相の妻であり、魔術師だというその女性に思いを巡らせそうになって、テヘナは首を振った。
「……あっ」
不意に視界に飛び込んできたそれに、テヘナは駆け足で近づいた。壁際の棚には柄の部分に細工が施された小刀がずらりと並んでいる。そのうちの一つを手に取り、はー、と思わず吐息をこぼした。
「ファリュン、これすごく素敵だと思わない? 星の周りに花がたくさん!」
「まあ! 確かに素晴らしい逸品ですわ」
鞘を抜き取ってみると、磨き抜かれた銀の刃がテヘナの顔を映した。工芸品として飾るだけでなく、武器としてもじゅうぶん使えそうだ。
小刀を前に興奮する二人に店の主人が寄ってきて、星の周りに描かれているのはバラの花だと説明してくれる。テヘナの国では愛や美の象徴と謳われることの多いバラだが、それはエストレージャでも同じらしい。
輝かしい国を表す星と、愛の象徴である花が描かれた小刀は、家の繁栄と永遠の愛、そして家族の守護を表す代物として、若い夫婦に人気があるという。
それを聞いたテヘナが小刀を購入したのは、言うまでもない。
時刻は昼を過ぎ、太陽がわずかに南から西にそれ始めている。テヘナは飲食店の店先に置かれた椅子に腰を下ろし、ファリュンとともに少し遅めの昼食を摂っていた。腰には購入したばかりの小刀を提げ、黙々と食事を口に運んでいく。
塩気のきいたハムが乗ったパンと、酸味と甘味が絶妙な酢で数種類の野菜を和えたもの、豆を煮込んだスープなど、庶民の定番の料理だというそれらを次々に平らげた。最後に卵の味が濃厚なぷるぷるとしたデザートを食したところで、テヘナは椅子にもたれながら膨れた腹を撫でた。その表情は土産物屋を見回っていた時に比べて暗い。
「陛下が全然来ない……」
「お仕事が忙しいのでしょうか」
「宰相さんは『陛下も同時刻に町に繰り出すよう調整する』って言ってたけど、上手くいってないのかも」
シウバが「行きたくない」とごねている可能性もなくはない。そんな子供っぽい理由で拒否するでしょうか、とファリュンは訝しげだ。
テヘナとしては昼食前に合流して、色々な話を聞きながらこの地域伝統の料理を食べるつもりだったのだ。その中でシウバと少しでも親しくなれたらと思っていたのだが、目論見は儚く崩れ去った。
はあ、とため息をつきながら机に突っ伏し、腰に提げていた小刀に手を伸ばす。
家の繁栄と永遠の愛、そして家族の守護。テヘナとシウバの未来が良いものになるようにと思って購入したが、幸先が良いとは言えない気がする。
「陛下が来ないなら、もう王宮に戻ろうかしら……それで執務室に乗り込んで、文句を言ってやる。なんで約束を守らなかったんですかって」
「別に私はあなたと約束したつもりはないのだが」
「でも宰相さんは調整するって言ってくれたし、陛下にも伝わって……?」
明らかにファリュンではない声がテヘナの呟きに答えた。はっとして顔を上げると、
「へっ……」
陛下、と言いかけたテヘナの口を、シウバが素早く塞いだ。
いつからいたのか、机のかたわらにはシウバが立っていた。ファリュンも気がつかなかったようだが、無理もない。普段の身なりと打って変わり、腰丈の麻のチュニックに紺色のパンツ、粗末なブーツと、見た目は庶民のそれだからだ。髪はいつも通り首の横で括られている。
陛下、どうしてここに、ともごもご訴えるテヘナに、シウバは「ここで陛下と呼ぶな」と面倒くさそうに眉間にしわを寄せた。
「頷くまで手は放さないぞ」
慌てて首を何度も縦に振ると、シウバはようやく口を解放してくれた。ファリュンが椅子から立ち上がると彼は空いたそこに腰かけ、気だるげに机に肘をついた。
「こんな町中で陛下なんて呼んでみろ。瞬く間に騒ぎになる。普通に名前で呼べ」
「えっと、じゃあ、シウバさま……」
初めて名前で呼んだなあ、と感慨に浸っている場合ではない。
「どうしてここに?」
「宰相に無理やり送り出された」
なんでも「王の不在くらい誤魔化せずして一流の宰相とは言えません。ここ最近働きづめで疲れておられるでしょう」と半ば強制的にここへ送り出されたそうだ。さすがに国王一人で出歩かせるわけにはいかないからと、付近には護衛もちゃんと潜んでいるという。
「まったく、捜すのにどれだけ時間がかかったと思っている。なんで男の格好をしてるんだ」
「もしかして来るのが遅れたのって、ずっと私を捜し回っていたからですか」
「いつものドレスじゃないにしても、スカートなりワンピースなりで出歩いてると思っていた。なのに全く見つからないし、『赤毛で色黒の男の子なら見かけた』という言葉にまさかと思って来てみれば……おかげで疲れた」
途中で逃亡するという手もあっただろうに、彼は根気強くテヘナを捜しだし、合流してくれた。面倒だという雰囲気は全く隠れていないが、それでも嬉しいものは嬉しい。えへへ、と頬を緩めるテヘナに、シウバは奇妙なものを見たとでも言いたげに片眉をぴくりと上げていた。
腹が減ったと訴えるシウバに、では何か食べるものをとファリュンが席を外す。テヘナもついでに飲み物を頼み、微笑みを浮かべたままシウバに視線を移した。
「シウバさまも、私のことを名前で呼んでくださっていいんですよ」
「……別に〝あなた〟で通じるだろう」
「それじゃあ私のことなのかファリュンのことなのか分からないでしょう?」
テヘナの言うことは尤もだと感じたのか、シウバが渋々頷いた。
「シウバさまが来られるまでに、色々なところを見て回ったんです。でもまだ全部回りきれたわけじゃなくて」
「それは私に、回りきれていない場所を案内しろと言っているのか」
「ええ。だって私とファリュンだけで見ていたんじゃ迷いそうですもの。ただでさえ白い建物ばかりで、道の色でしか判断できなくて迷いそうだったのに」
「…………仕方ないな」
突き放すようでいて、意外とシウバは甘いのだと改めて感じる。絆されやすいとでも言うのだろうか。
ファリュンを待つ間、「そういえば」とシウバが思い出したように問いかけてきた。
「魔術師や
ベレニにも似たようなことを言われたなあと感じつつ、テヘナは「はい」と頷いた。
「じゃあ幻獣も知らないか」
「なんですか、それ?」
「魔術師たちが作り上げた人工生命体のことを指す」
「………………はい?」
急に分からない単語を羅列され、テヘナの頭上に疑問符が何個も浮かぶ。
本当になにも知らないんだな、とシウバはいくらか驚いたようにテヘナを見たあと、「少し長くなるぞ」と前置きをして話し始めた。
「一説によると、人間は大昔、神が泥から作り上げたと言われている。神というのは基本的に万能とされていて、人を作る過程でその力が泥の体にも宿ったんだそうだ。そのあと色々あって人間は肉の体を獲得したわけだが、多くの人間は万能の力を失っていた。だが一部の人間は力を保持したままで、そういった人々のことを周囲は魔術師と呼び、彼らが操る力を神力と呼ぶようになった」
「へえ……」
「魔術師たちは神力を使って、不治の病を治したり空を飛んだり、緑の大地に草木を芽吹かせたりと人々のために力を駆使した。ある時、彼らは次の段階に進んだ。『神と同じように命の誕生を』と」
遥か昔の出来事なだけに、詳しい経緯は記録されていないそうだが、なにはともあれ魔術師は神力を使って人工生命体を作ることに成功した。神話や伝説の存在を
魔術師たちも人々から尊敬を集め、やがて己の権力や財力を誇示するように、競って幻獣を作るようになった。しばらく魔術師たちの栄華は続いたが、一定まで盛ったものは廃れる運命にある。
「魔術師たちは幻獣を作りはしたが、なにからなにまで神と同じというわけではなかった」
「どういうことですか?」
「神は泥から人間を作り肉の体を与えたけれど、幻獣はそうではなかったということだよ」
幻獣には様々な材料が使われた。動物、植物、鉱石、そして。
「人間」
「……人……?」
「そう。幻獣には人型が存在する。そういった種類は確実に人間を材料に使っている。それを知って、人々は恐れおののいた。『この前死んだあの人は幻獣にされたんじゃないか?』『自分もいつかそうなってしまうのか?』とね。泥から作ったんじゃないのかと思い込んでいた人たちは当然『裏切られた』と騒ぎ立てたし、『神力は神が使うからこそ許される』とそもそも魔術師たちに反発していた一派も勢いを増した」
「それで、魔術師たちはどうなったんですか?」
テヘナの問いに、シウバは酷薄な、けれどどこか寂しげな光を瑠璃色の瞳に灯らせ、静かに告げた。
「処刑されたんだよ」と。
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