第6話

「陛下はうまく王妃さまとお話出来ているだろうか」

 主のいない執務室で、宰相のアタラムは書類の整理をしながら呟いた。

 異母弟であるシウバが王位を継いで早三年。同時期にアタラムも宰相となり、ずっとそばで見守ってきたわけだが、シウバにとって色々と辛い場面も目にしてきた。

 ――俺を王位に据えようとする者に狙われたり、というのは減ったが、それでも皆無なわけではない。

 ――王妃さまとの婚姻に至るまでも、体のことを理由に一体いくつ縁談を破棄されたのやら。

 表面上はどうでもいいと言いたげに平気な顔を見せていたけれど、きっと内心では傷ついていたのだろう。自画自賛になるかも知れないが、シウバが信頼を寄せているのはアタラムと、アタラムの妻だけな気がする。

 窓に目を向けてみても、ここから城下の様子はうかがえない。見えたとしてもシウバがどこにいるのか捜すのは難しい。今はとにかく、二人の仲が進展することを願うばかりだ。

 ――そろそろ陛下には〝ヴェロニカ離れ〟をしてもらわなければいけないしな。

 以前テヘナがシウバの執務室に押し掛けた際に、彼が呟いた一言は、アタラムの耳にもしっかり届いていた。

 シウバがアタラムの妻に恋心を寄せていたことは知っているし、アタラムが彼女を娶った今でも当時の恋を引きずっているのも分かっている。シウバがそれを隠しきれていると思い込んでいるのも、だ。

「とはいえ無理やり仲良くしろというのも、陛下には無理難題だろうし……長い目で見るしかないのか」

 それに後継ぎの問題もある。シウバは不必要だと断じていたが、そんなわけがない。

 他国の行事に招待されたり、外交を任せたり、国の繁栄のために嫁がせたり。今後のことを考えると子どもは必要不可欠だ。外交云々はアタラムが担えばいいとしても、嫁ぐのは無理だ。ついでに言うと二人の妹たちはすでに他国や自国の貴族に嫁いでいる。

 それに「国王夫妻に子どもが生まれない」と噂が流布すればどうなるか、恐らくシウバはちゃんと考えていない。

 王妃さまは子どもが産めないお体なのか、なにか病気なのかと面白おかしく騒がれる恐れがあるのだ。シウバに別の女がいるのか疑う声も出てくるだろう。最終的に「やっぱり国王が〝化け物〟だから」という結論が出されるはずだ。その結果、王や王族への信用が薄れるのも否めず、その隙に付け入ろうとする者が現れないとも言えない。

「……難しい問題だな」

 ぐるぐると考え込みそうになったところで、なにやらばたばた騒がしい足音が近づいてきた。それは執務室の前で立ち止まると、呼吸を落ち着けるように一拍の間を挟んで、逸る気持ちをおさえようとするようなノックが響いた。

「入れ」

 アタラムの声を合図に、部屋の外で控えていた侍従が扉を開ける。廊下でひざまずいていた何者かは、「失礼いたします」と勢いよく立ち上がった。

 シウバの護衛を任せた兵の一人だ。銀のヘルムを脇に抱え、露出した顔は興奮のせいか赤らんでいた。

「ご報告いたします! 城下で魔獣が確認されました!」

「なんだと?」思わず語気を強め、アタラムは「場所は?」と重ねて問いかけた。

「商人街のそばにある茂みです」

「捕獲は?」

「すでに完了しております。怪我人は確認されておらず、民や家屋への被害も今のところ見受けられません」

 茂みに隠れることが出来、被害もこれといってないということは、小型の魔獣だったのだろう。

「油断はするな。他にも魔獣が潜んでいないか確認しろ。分かっていると思うが、見つけても決して殺すな、殺せば呪われる。捕えた魔獣は全て王宮に運び込め」

「はっ!」

「それと、町にいる陛下と王妃の保護を。お二人には申し訳ないが、帰ってきていただくしかない」

「はっ!」

 兵はよく通る声で返事をし、来た時と同様に慌ただしく戻っていった。

 ――ついに王都に魔獣が出たか。

 魔術師たちが作り出した人工生命体〝幻獣〟と似て非なる獣――魔獣。

 存在が初めて確認されたのは八年前、ここ、エストレージャ王国だ。あれ以来、国内外で目撃情報が上がるようになったが、「誰が」「何の目的で」発生させているのか、諸説あるもののいまだ定かではない。

 最近は見かけなくなっていたのだが、潜伏が疑われる遠い山ではなく、まさか王都で出現するとは。完全に予想外だった。うまく身を隠していたものだ。

「私も座ってばかりはいられないな」とアタラムも立ち上がる。

「どちらへ行かれるのですか?」

「ヴェロニカを呼びに行く。魔獣は浄化することでしか元に戻らないし、それが出来るのは魔術師しかいない。アウレリオ、悪いがお前は兵舎に行って魔獣を捕える檻を用意するよう私の代わりに指示してきてくれ」

「承りました」

 侍従とは部屋の前で別れ、アタラムは一瞬だけ考え込んだ。この時間、妻は宮廷薬師の工房にいるはずだ。

 ――陛下と王妃に何事も無ければいいんだが。

 頭に浮かんだ悪い予感を振り払うように、アタラムは音もなく廊下を駆けた。



「処刑されたって……」

 そんな、どうして、と続けたテヘナの声は、今にも消え入りそうだった。

「人としてあるまじき行いを罰するため、邪魔な存在だったため、見せしめのため……思惑の数だけ理由がある。その結果、高名な魔術師の家系は十あったけれど、弾圧で二つまで減った」

「全部の家が処刑されたわけではないんですね。どうしてです?」

「幻獣を作りはしたけど、人を材料にはしなかったから。それに魔術師が持つ神力イラ自体は重宝されていたから、彼らまでいなくなると困る者たちが少なからずいたんだろう。現在は幻獣作成の永久禁止を条件に、二家とも存続している」

 シウバが語ってくれた魔術師や神力、幻獣の話は、テヘナが簡単に理解できるものではなかった。完全に飲みこめるまで時間がかかり、分からなかった部分は改めて聞き直したりしたが、シウバは面倒くさそうな顔をしたものの、問うたびに教えてくれた。

「幻獣も今は残ってるんですか?」

「具体的な数は私も知らないが、残っている。幻獣を信仰している地域もある通り、恵みをもたらしてくれる個体もいる。もちろん人に害をなす幻獣も少なからずいるし、そういう個体は〈核〉を破壊するか、摘出することで壊される」

「〈核〉……」

 テヘナの目が、自然とシウバの胸に向けられた。

「なんだ?」

「シウバさまには心臓の代わりに〈核〉があるとベレニに聞きました。シウバさまの〈核〉と幻獣のそれは別ものなんですか?」

「いいや、同じものだ。幻獣にとって〈核〉は活動するのに無くてはならない心臓のようなもの。それと同じものを持つから私は〝化け物〟と呼ばれているわけだ」

「え、それだけで?」

 きょとんと目を瞬いたテヘナに、シウバも「は?」と口をぽかんと開けた。

「えっ、だって、心臓の代わりに〈核〉があるってだけですよね? それだけで〝化け物〟は言いすぎな気がするんですけれど」

「……僕、説明しなかったっけ……いや、してないか……もう何を話して何を話してないんだか分かんないな……」

 テヘナに聞こえるか聞こえないかくらいの声量で、シウバがぼそぼそ呟く。普段の威厳に満ちた――というより、威厳を演出しようとしているような口調と、微妙に異なっているような気がした。

 もしかして今の喋り方がシウバの素なのだろうか。そちらの方が柔らかい印象で、穏やかに聞こえるのだけれど。

「……なにをニヤニヤしている?」

「いえ、別に」

 つい笑みをこぼしてしまったところをシウバに見咎められ、正直に「素の喋り方が可愛らしくて」と言えないまま、テヘナはくすくす肩を揺らした。

「私を見て笑われるのは不愉快なのだが」

「シウバさまを見て笑ったわけではありませんよ。被害妄想です」

「そんなはずは……」

 ないと思う、とシウバは言ったようだが、よく聞き取れなかった。

 どこからか甲高い悲鳴が次々に上がったからだ。

 通りを歩いていた人々は、初めこそ何ごとだろうと不思議そうに立ち止まったり、気にせずに進んだりしていたが、悲鳴は徐々に伝播していった。何が起こっているのか興味本位で悲鳴の上がった方向へ駆けていく者もいれば、正体不明の恐怖から遠ざかろうと方々へ逃げる者もいて、場は瞬く間に混乱した。

「テヘナさま!」

 店から慌てて飛び出してきたファリュンが、テヘナを守るように眼前に立った。

「いったい何ごとです、何が起こっているのです!?」

「分からない! シウバさまは」

「私にも分からない。馬車が事故を起こしたのとも違いそうだ」

 陛下、ご無事ですかと声をかけて、物陰に潜んでいた護衛たちが次々に現れる。シウバは彼らに民衆の保護と事態の把握を言いつけ、テヘナに目を向けた。

「王宮に戻るぞ」

「で、ですが」

「まだ城下の散策を続けるつもりか? 明らかに異常事態が起こっている。ここに居ては身が危ない。それくらい分かるだろう」

「そういうことを言いたいのではなくて!」

 王宮に戻ろうにも、目の前の通りは逃げ惑う人で溢れかえっているのだ。容易に逃げ出せる状況ではない。いくら王族の身の安全が重視されるとはいえ、民衆を押しのけてまで逃げるわけにはいかないだろう。

 その時、いきり立った鳴き声がテヘナの耳に届いた。

 はっとして声がした方向に目を向けると、道の中央で立ち止まる猪が目に映った。

 丸々と肥えた巨体だ。突進されれば無傷では済まない。猪は興奮したように前脚で石畳を何度も蹴り、標的を探すようにぎらついた目を四方八方に巡らせている。

 だがテヘナが驚いたのは、大きさでも、瞳の鋭さでもなかった。

「な、なんですか、あの角……!」

 猪の額には、本来あるはずのない鋭い角が見てとれた。角は捻じれながら天を突くように伸び、表面が滑らかなのか、時おり光を反射してはまばゆく光る。

 さらに言えば、猪の巨体は黒っぽい靄のようなものに覆われていた。猪が鼻から息を吹きだすたびに靄はあたりに広がり、どろどろと地面に沁み込んでいく。

「魔獣か!」と叫んだのはシウバだ。

「魔獣って……」

 そういえば昨日、執務室でシウバと宰相が話していなかったか。魔獣と魔力の存在が確認されて何年経った、と。

「幻獣とは違うものなんですか!」

「その話はあとだ、今はそれどころではない!」

 状況を考えろ、と吐き捨てるように言うと、シウバはテヘナの手首を掴んだ。

「逃げるぞ。私はともかく、あなたが猪に狙われると怪我ではすまない!」

「わ、分かり――あっ」

 頷きかけたテヘナの目に飛び込んできたのは、通り過ぎようとしている人々。その最後尾にいる、幼い女の子だった。

 家族とはぐれたのか、女の子は両目から涙をこぼして、よたよたと今にも転びそうな足取りで進んでいる。我先に逃げようとしている大人たちの目に、彼女は映っていないようだ。

 あっ、と思った次の瞬間、女の子は石畳につまづいて転がった。うわあん、と鼻水をすすりながら泣く彼女に、猪が狙いを定めたのはすぐだった。

 猪が駆け出すのと、シウバの手を振りほどき、テヘナが駆け出したのはほぼ同時だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る