第3話

「あの態度はあまりにも気づかいに欠けているのではありませんか、陛下」

 椅子に腰を下ろすやいなや、宰相が紫苑色の瞳を眇めてシウバに苦言を呈する。シウバはハッと乾いた笑いを吐き、机の上に積まれた書類を脇に退けて肘をついた。

「僕と結婚してくれたんだから、丁重に扱ってやるべきだってこと?」

 テヘナに対するそれよりも砕けた態度で、しかし言葉に含まれる棘はそのままに問うと、宰相――異母兄のアタラムは頷いた。老いとは無縁のシウバと違い、一つ年上の彼は年相応の凛々しい顔立ちを渋面に歪めている。

「結婚していようがいなかろうが、人としてあのような態度は如何なものかと申しているのです。テヘナさまは陛下と親しくなろうと……」

「僕はそんなの望んでない。っていうか、その喋り方は止めてって言ってるよね」

「以前とは立場が違いますので」

「せめて二人だけの時くらい切り替えてくれって言ってんの」

 はー、とため息をつきながら両手で目元を覆う。昔からアタラムの頭のかたさというか、不器用なほどの生真面目さは変わらない。良い点でもあるのだろうが、シウバとしては腹が立つことの方が多い。

「――さっき彼女にも言ったけど、無理に〝化け物〟と仲良くなろうとされても迷惑なんだよ。どんな思惑を抱えてるかも分からないし」

 侍従に席を外してもらったところで、茶をすすりながらぼそりと呟く。

 立太子された頃から、シウバには各国の王女あるいは国内の有力貴族の令嬢との縁談は数多くあったのだ。だが、いずれの縁談も時を置かずして破綻している。

 シウバの身になにが起こったのか明らかになってからは。

 無意識に己の胸を服の上から撫でる。例え素肌に触れていようと、普通なら聞こえてくるはずの鼓動は感じられない。

「どうされました、〈核〉に異常でも?」

「そんなわけないでしょ。ヴェラが作ってくれた完璧な〈核〉なんだよ。不具合なんて起こるはずがない。神力イラだって、八年前と違って常に満ちてる。じゃなきゃ今ごろこんな風に体は動いてないよ」

 周囲から〝化け物〟と噂される所以のそれは、シウバにとって何にも代えがたい宝物だ。感謝を覚えることは多々あれど、憎く疎ましく思えたことは一度もない。シウバの事情を知った途端、手のひらを返すように態度を変えた者たちに対する怒りと失望は長年燻っているが。

「……陛下。一度だけでも、テヘナさまとお食事だけでも共にされては。テヘナさまが仰っていたでしょう、『私が陛下の人柄を知らないように、陛下も私がどんな性格なのかご存知ありませんよね』と」

「別に知るつもりなんてない」

「テヘナさまがどのような扱いをお受けか広く知られた場合のことはお考えですか。夫に相手にされない妻という評価は彼女を著しく貶める。また陛下自身の評判もよろしくなくなると自覚をお持ちになるべきです」

「…………」

「せめてご自身の事情だけでもお話になられては? でなければ色々と納得されませんよ。世継ぎが必要ないなんて、特に」

 返事をするのも面倒くさくなり、シウバは肯定とも否定とも取れない首の振り方で答えた。

 テヘナの父であるフィリラディナトの国王は、シウバの体の事情を知った上で婚約を了承した。あちらはあちらで、長年婚約相手が決まらなかったのだという。狩りが好みでじっとしていることが難しく、はっきりとした物言いが他国の王子や貴族の子息には受けが悪かったのだと。

 要するにシウバとテヘナの結婚は、「面倒な者同士」の結婚なのだ。国王と王女という〝優良物件〟な立場でありながら、各所から様々な理由で忌避された余りもの。

「陛下はもう少し、他人の心の機微に敏感になるべきかと」

 アタラムが退けられていた書類を整え、見せつけるようにしてシウバの前に置いた。

「どういう意味?」

「そのままの意味です。テヘナさまは本当に、無理をしていると思われますか?」

「…………」

「ほら、答えられないでしょう。答えられないのに〝無理をしている〟と決めつけるのはよろしくありませんよ」

 なにも言い返せないまま、シウバは仏頂面を浮かべて書類に手を伸ばした。

 真っ先に手に取った紙には、〝緊急〟と〝魔獣〟の文字が躍っていた。



「なんなのよ、あの態度は!」

 まるで猛るイノシシのように憤慨しながら、テヘナは眼前に掲げた枕に何度も拳を叩きこんだ。テヘナの怒りようにあわあわと目を瞬くベレニの横では、ファリュンがやれやれと頭を抱えている。

「結婚したのは同盟の証で、それ以上でもそれ以下でもない? 愛を育んだ結果じゃない? 分かりきってるわそんなの! だからせめてこれから愛を育もうって言ってるのに、なんなの、本当に!」

「お、落ち着いて下さいテヘナさま」

「落ち着いてなんていられない! ああもう、本当に腹が立つ!」

 ぼすん、と一際大きな音を立てて枕に拳をめり込ませ、テヘナは身を投げるようにしてベッドに倒れこむ。ドレスが乱れるのも構わずごろごろと左右に転がり、じたばたと子どものように足をばたつかせた。こうでもしていなければ、あの場でシウバに掴みかかれなかった怒りを発散させられない。

「なにが一番腹立つって、私が無理をしていると決めつけてきたところよ! いつ私が無理をしているなんて言った? 言ってないわよ、一度も! っていうか言えるほどあの人と話してないわ!」

「仰る通りではありますが、怒りをお鎮めくださいテヘナさま。お淑やかさの欠片もありませんわ」

「もう取り繕うのは手遅れ。あー腹立つ!」

 さんざん不満をぶちまけ続けて、吐き出すものを全て吐き出したところでようやく怒りが下火になった。気分を落ち着ける効果があるという茶をベレニに淹れてもらい、鼻にすうっと抜けるような爽やかな香りを嗅ぐと、肩の力が抜ける。

「それで、どうなさるのですかテヘナさま。陛下と『愛し愛される仲に』との目標は諦められるのですか?」

「まさか。諦めるなんて最初から考えてない」

 これは勝負よ、とテヘナはキッと眉を寄せた。

「なんとしても陛下と仲良くなってみせるわ。例えどれだけ拒絶されようとね!」

「大変よい心意気だとは思いますけれど、空回りだけはしないで下さいまし」

「なんで空回り前提なのよ」

 テヘナが不満を述べても、ファリュンは涼しい顔のまま受け流して肩を竦めるだけだった。

「とりあえず、仲が良くなるとか相思相愛云々の前に、まずは『普通に話す』のを目標に据えるべきだって分かった。さっきなんて、目すらほとんど合わせて下さらなかったし。私と話す気もさらさらないみたいだった」

「陛下はどなたにもあのような態度をとられているのでしょうか?」

 ファリュンの疑問に答えたのは、三人の中でもっともシウバの人柄を知っているに違いないベレニだった。

「そのようなことは……ですが、異母兄である宰相さまには昔から少しばかり冷たく接しておられた割に、お客さまには笑顔で話しかけておられましたから、身内に冷たくなさるのは愛情の裏返しなのかも知れません」

 宰相のアタラムは鈍感なのか、シウバにどれだけ素気無く扱われてもめげることなく話しかけ続けたらしい。その結果、今ではシウバが最も信頼する相手と称されるほどになっている。自分に必要なのはアタラムのような根気強さなのか、とテヘナは唇を曲げた。

「そういえば『どこかの誰かみたいに愛を育んだ結果の結婚ではない』って言ってたけど、あれって誰のことなのかしら」

「ああ、それは恐らく宰相さまのことかと」

 アタラムは四年前に結婚したそうだ。お見合いなど政治的な思惑が絡んだそれではなく、純粋な愛から成ったものだと。

「どんなお相手なの?」

「宮廷薬師であり、魔術師でもあるヴェロニカ・リジーナ・ゼクストさまです」

「ヴェロニカ……」

 ――――君はヴェラとは違う。

 不意にシウバの一言を思い出し、テヘナはもしかして、と一つの可能性を思いついた。

「陛下って、まさかそのヴェロニカさまのことが好きだったのかしら」

「なぜそう思われるのです?」

「なんとなく……」

 けれど何かしらの情を抱いていなければ、あのような一言は漏らさないと思うのだ。

 まあでも、とテヘナは大きく伸びをして天井を仰いだ。闇の神の化身だという月と、その周囲で瞬く星を描いた天井画が目に映る。

「好きだったにせよ何にせよ、ヴェロニカさまがどんな方か知らないし、私とは見た目も性格も違うはずだもの。もし知っていたとして、ヴェロニカさまみたいな振る舞いをしたところで、陛下が振り向いて下さるとは思えない」

 テヘナのことは、テヘナとして愛してもらわなければ意味がないのだ。

 夫婦である以上、国内外で行われる行事に招かれることが多々あるだろうし、その場でだけ仲良く見せかけるという手もないではないが、テヘナにそんな器用なことは出来ない。

「さて、じゃあ早速作戦を練らないと。さっきみたいな待ち伏せは止めた方がいいかも知れないわね。無視して素通りされそう」

「素通りできないような状況を作ればよろしいのでは?」

「……具体的には?」

「逃げ場のない袋小路に追い込むとか」

 それでは動物相手の狩りと同じではないか。テヘナの今回の標的は人間、それも一国の王で夫である。ファリュンの案を退けようとして、いや待て、と考えこんだ。

「素通りできない状況っていうのはありね。思わず私に話しかけずにはいられない状況」

 ふふっと笑みをこぼしたテヘナに、ファリュンだけが「嫌な予感がしますわ」と呟いていた。

 テヘナが行動を開始したのは、その日の夜からだった。

 まずはシウバの一日の行動をつぶさに観察した。常に宰相や侍従と一緒にいるわけではない、一人きりになる時間はあるのか探る。ファリュンやベレニに見てきてもらったり、あるいはテヘナ自らが物陰からこっそりシウバの様子をうかがったり。たまに見つかりそうになって隠れることもしばしばあり、その瞬間を目撃した者たちからは一様に不審な眼差しを注がれた。

 エストレージャ王国のしきたりや常識などを学ぶ時間を全てシウバ観察に費やすこと、一週間。彼のだいたいの行動は掴めるようになってきた。

「いつも夜明けと一緒に起きて、身支度を整えたらお部屋で朝食。そのあと宰相さまと合流して執務室。昼食でいったん食堂に向かう以外、基本的に夜まで引きこもりっぱなしみたいね」

「お客さまのお相手をしていた時間をお忘れですわ。毎日ではありませんでしたけれど、時々執務室から出てこられたと思ったら、謁見の間に向かうことがありましたもの」

「でもずっと引きこもりっぱなしなんて、国王ってそんなに忙しいのね。父上とは全然違う」

 テヘナの父は公務をこなすかたわら、毎日最低でも一時間は外に出て体を動かしていた。馬の世話をしたり、狩りに出向いたり、城下町にお忍びで出かけたりしては、民との交流を図っていた。

 一方シウバは、テヘナが嫁いで来てからというもの、城下町に出掛けた様子は一度もない。人見知りなのだろうか。

 ――それとも〝化け物〟って噂を気にして出かけないのかしら。

 そこまで繊細そうに見えなかったけどな、となかなかに失礼なことを考えていた時、なにかを思い出したようにベレニが「あっ」と声を上げた。

「そういえば、こんな話を聞いたことがあります。王宮には隠し通路があるのだと」

「隠し通路!」

 冒険心をくすぐられる素晴らしい響きだ。わくわくと目を輝かせるテヘナに、ベレニもどことなく弾んだ口調で続ける。

「数年前、陛下は再び死の危機に見舞われました。誰も扉から部屋に入れず困っていたところ、当時は王子だった宰相さまと、陛下の専属薬師であったヴェロニカさまによって事なきを得たんだそうです。宰相さまたちは隠し通路を辿り、陛下のお部屋に突入されたんだとか」

「今もその通路は残されてるの?」

 もし残されているなら、そこを通ってシウバの部屋に侵入することが出来るだけでなく、彼が執務室でどのように過ごしているかより詳しく知ることだって可能だ。

「残念ながら、私はそのようなものを見たことがありませんので、残されていると断言はできません」

「隠し通路の存在自体、宰相さまたちの行動を美談として語るための誇張、という可能性も考えられますものね」

「……そうなの?」

 ここは大人しく、当初の予定通り行動するのがいいだろうか。あるのかどうか分からないものを探る時間は無駄だろうし、仮に見つけたとしても、地図なんてないし執務室を捜す過程で迷うことも考えられる。

 テヘナは潔く隠し通路を諦め、「じゃあ最初に考えた計画でいきましょう」と二人の侍女に向かって頷きかける。ファリュンは力強く頷き返してきたが、ベレニは不安が残るのか、右手にたずさえた鋏とテヘナを交互に見つめていた。

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