第5話 異世界生活

 めぐみはツンと刺す匂いで目が覚める。ゆっくりと上体を起こし辺りを見回す。寝ぼけた半目を手のひらで押し当て、長いまつ毛をパチパチと合わせる。

 人が横になれる大きさの寝台から降りて、パンプスのヒールが音を鳴らしながら部屋を回る。扉は1つ、部屋の左右は戸棚が壁を埋めている。扉の反対側にはカーテンが掛けられた縦に長い窓。カーテンの遮光性が高いためか、部屋は薄暗い。窓の下に机がある。机の上には難しそうな資料やメモ書きが散乱している。


(どこだっけ、ここ。病院?にしては古いわね。木造の病棟なんて昨今見ないわ。故郷の田舎町でもコンクリートだったのよ)


 時間軸の前後が定まらないなか、戸棚に入ったガラス瓶を観察する。近づくと刺激臭が増してくる。ラベルが貼られており、手に取って見てみると【ポーション】なる記載がある。

 肺から息が漏れ、ぶっと口を鳴らす。


「なにこれ、RPGの世界ですか。はたまた異世界かな」


 状況の整合性が取れない環境に、思わず吹き出してしまう。と同時に手の力が抜けてポーション入りの瓶が滑り落ちる。


(そうだ!異世界よ!!!)


 慌てて一歩後ろに飛びのいた。瓶は床に落下し、鈍い炸裂音がした。底の一部が割れ、ちょろちょろと緑色の液体が木床のつなぎ目に沿って流れる。ドアの向こうから足音が聞こえる。

 ヒールに乗った体重を支えられなくなり、また数歩よろめきながら後退する。先ほどの足音は速度を速め、大きくなってくる。そのまま寝台にへたりとお尻を乗せた。

 座り込むと同時にドアが勢いよく開かれる。


「おはよう!!!」


 大柄な男性が屈みながら入ってきた。にこやかな笑顔で、部屋の大きさにそぐわない声量である。目を丸くしためぐみと男の目が合う。


「おぉー!やはり目覚めておったか!いやなに、物音が聞こえたんでな!様子を見に来たんじゃ!」


 なおも笑いながら目線を床に落ちたガラス瓶に向ける。


「落としちまったんかい!なに!気にすることはない!」


「は、はい」


 勢いに押し負けて、声がどもる。それ以上に、その男の風貌がめぐみの言葉を詰まらせていた。銀の胸当てに両肩には茶色い毛皮を巻いている。毛皮の先からは赤い糸束が出ている。腰にも毛皮を巻いており、そちらには何かの頭骨が括られている。全体的に原住民の長を連想させる。

 赤い短髪の髪を手で払い、歩み寄ってくる。


「お前さんが目覚めるのを待ってたんだよ!新入団員の歓迎会だ!ついてきなさい!!!」


 そういうと男は開け放たれた扉の向こうを親指で指した。くるりと体を回し、ドアの向こうに消える。めぐみは慌てて後を追った。

 男の革靴がギシギシと床を踏み鳴らし、片やリクルートスーツのめぐみはカツカツと足音を奏でている。傍から見たら何ともミスマッチな絵面である。

 長い廊下が続いており、左右には部屋が等間隔で設けられている。どうやら長屋らしいとめぐみは観察していた。寝台の部屋が端にあり、奥まで4~5部屋はありそうだった。中ほどまで来ると玄関があった。玄関の大きさは普通の倍はあるように見える。


(そういえば、この建物は全体的に大きいわね。玄関も扉も、廊下もそうだわ)


 男と一緒に外へ出ると、陽の光がめぐみらを照らした。彼女は眩しさに目を細めて、片手を目線の上にかざした。

 目の前にはさらに大きな木造住宅があった。図書館ほどの大きさはある。3階建ての高さに、幅は校庭くらいだろうか。彼女らが出てきた長屋をすっぽり隠している。大きな建物まで整地された道が続いており、少し外れると背丈の低い草が伸びている。長屋と大きな建物の周りは木で覆われており、ずっと先まで森林の景色が続いている。奥がどんどん暗くなっているのを見るに、相当生い茂っている森だと分かる。


「あれがお前さんの勤め先【就職斡旋センター】だ!」


 男はめぐみに体を向けて言った。


「ここから見えるのはセンターのうらっがわでな、窓が幾つかと裏口の扉しかない。しかし正面の作りはなかなか意匠が施されておって評判がいいんじゃ!!」


 意気揚々と話す姿を見て、男はこの建物が好きなのだとめぐみは考えた。

 彼女は男に対して、そこまで警戒する相手ではないと判断した。好きなものを語る人間を好む性格がある。


「素敵な建物なんですね。もっと知りたいです。あの、私達まだ名前も知らないわ。軽く自己紹介でもしませんか?」


「んむ!それは失礼!天野めぐみ殿!」


 裏口へ向かいながら会話を続ける。


「私の名前はご存じだったのですね!」


「もちろん!団員全員、お前さんの名前は知っておる!エンジェル殿から聞いておるからのぉ!」


 めぐみは加速度的に警戒を強める。声の良さとは裏腹な、機械的な論法を思い出した。


「へぇ~、エンジェルさんから」


 抑揚はなく、マイナスな感情が口調から漏れている。


「おうよ!そうだ、わしの名前がまだであったな、だ!よろしくな!」


「フードさん、よろしくお願いいたします」


 ぺこりと頭を下げる仕草をする。フードは裏口へと体を向けなおした。めぐみは品定めするようにフードを観察する。


(この世界に味方になってくれる人はいるのかしら。フードさんは、とりあえずはいい人そうだけど、悪い尻尾は見逃さないようにしないと)


 頭から背中へ、視線ををなぞる。体毛は深く、濃い茶色。巻いている毛皮越しでも、逞しい肩と背筋とが盛り上がっているのを確認できる。肌を露出している、綺麗に窪んだ背骨のラインを下っていくと、盛り上がったお尻がある。


(……立派なお尻ね。太ももデカ……ボディービルダーばりじゃないの……ん?)


 めぐみはゆれる臀部に集中する。


(何か……おかしい)


 そのまま臀部へ視野を狭める。妙な部分が膨れ上がっている。尾てい骨から股下にかけて膨らんでいる。めぐみは首をかしげて覗き込むように、さりげなく重心を下げる。腰に巻いている毛皮がくるりと周り、頭骨と目が合う。頭上で声がする。


「どうしたお前さん!そんな腰を低くして!」


「いえ!なんでも!」


 めぐみは直ちに姿勢を直す。驚きのあまり、幾分か背伸びまでしている。

 フードは喉を鳴らしながらめぐみを見つめる。顎を手でさすり、彼女を中心に半周歩いたところで立ち止まる。

 めぐみは汗をかいていた。長屋を背景にフードが見つめてくる。彼女の後ろには裏口がある。2歩あるけば手が届く距離。

 両者の思考が錯綜する仲、口火を切ったのはフードであった。


「あぁ!お前さん、これが気になったんじゃなかろうか?」


 そういうなりめぐみにお尻を向けて、腰に手を当てる。


「フンッ!!!」


 突如として気合の掛け声を発する。股下から繊維の破裂音と共に、勢いよく茶色い何かが飛び出でてきた。音がめぐみの顔周りの髪をふわりと浮かせた。あらわになった彼女の綺麗な顔の輪郭。目だけが全体の均整さに不釣り合いなほど、大きく見開いた。

 刹那、めぐみは裏口の引き戸を豪快に引いた。彼女自身、いつ裏口へ身体を向けたのか分からないほどに、その行動は素早く実行された。


「ぶぁぁぁぁあああ!!!」


 言葉にならない声を吐きながら、センター内を進んでいく。

 フードは背中越しに顔を覗かせ、走り去っていくめぐみを見るや、ニヤリと不敵な笑みを浮かべていた。

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