第4話 虚ろな瞳、妖しい光を通さず
めぐみは目を見開いて宙をみつめている。呼吸は浅い。何か言いたげだが言葉が詰まっているらしく、口はポカリと開いている。
真っ青な唇が小刻みに震えだした。血色が戻り始め、頭のてっぺんまでみるみる赤くなっていく。不安、恐怖、緊張、怒りが、血の流れを変えて彼女を染めていく。
(ダメ!)
目と口を閉じて俯く。
(冷静に、沈着に……落ち着いて対処するのよ)
感情的になったら、見えなくなる。何が見たくて感情が動いたのか、わからなくなる。
めぐみは経験上、自身の1つの性質を理解していた。出会ってきた同年代の女性と自分とを比べて、彼女らより感情が表に出やすい性格があった。上がる分には早いが、下がるのに時間がかかる。感情の出し入れの器用さも速度も、数段遅れている。
その事実に悩んでいた中学生の頃、担任の若い女性教師に解決策はないかと相談を持ちかけた。それは女性らしく、当然の反応だと言われたが、納得できなかった。
女性にしても、違う事例が存在する以上、これは個人の課題であり、そこに不特定多数の【女性らしさ】が介入するのは妙な引っ掛かりを覚えた。
どうすれば感情をコントロールできるのか、調べてみてもわからなかった。しかし、意外なところで聞くことができた。
同じく中学生の頃、同級生の男子から教えてもらったやり方がある。彼は野球部に所属しており、ポジションはピッチャーを任されていた。おとなしい子で、笑うとえくぼが浮かぶ子だった。誰とでも仲良くしており、よく摩擦を生まないなとめぐみは思っていた。
教室の掃除当番で彼と一緒になり、その折にみんなと仲良くできるコツを聞いてみた。その内容は実に面白く、満塁のマウンド上でも効果があるそうだ。その時のやり方をいまだに実践している。
めぐみは感情のコントロールに専念する。
(呼吸は浅い。心臓のポンプが早すぎる。体温の上昇。頭が熱い。深呼吸。
呼吸は……まだ浅い。深呼吸。心臓は遅れている。けど、まだ熱い。
深呼吸、今度は吐くほうに意識。体温は徐々に下がるはず。……呼吸は正常)
彼女は肉体情報の観測を行った。感情は存在するが、これが感情ですボロン、といったように見せることはできない。心が動くと感情が生まれる。心は掴みどころを見つけるのが難しい。実態がないので当然である。
更に、掴まえようとすればするほど、心の症状は悪化する。基本的に自由を好む性質のようだ。だから、感情をコントロールするには扱える情報のみに焦点を当てる。仏教に心身一如という言葉があるが、それが真ならば身体の情報が唯一の糸口となる。
なぜ呼吸が早くなるのか、心臓の鼓動が強くなるのか、詳しいことは分からない。それでも、認識してあげるだけで、感情は収まっていく。心は寂しがり屋な性質も持ち合わせているようだ。
「どうして、会えないのかしら?」
髪を耳にかける仕草をしながら、問う。りつ然とした表情からは冷えと熱がない交ぜになった威圧感を帯びている。
『異世界に行くのですから、現実世界の人間に会うことはできません。これは異世界の常識です。今のうちに覚えておくとよろしいでしょう』
「それは命題の偽に属する発想ですね。あなたは既に結論を持っているのですか?」
『さて、どうでしょう。私の考えなど些末な問題です。これは天野様に課された命題です。他人の結論など、なんの役に立つのでしょうか?種は手に入っても、糧には成りえません』
「そうですね。確かに結論に飛びつくのは良くないわ。脳には過程という土壌が必要ですもの」
『素敵な考えです』
「話を戻します。あなた、帰れるって言いましたよね?あれは嘘だったの?」
『いいえ、私は変えれると言いました。嘘はついておりません。職は自由に変えてもらって構いません』
「職?!私は現実世界に帰れるかの質問をしたのよ!」
『落ち着いてください。私はそのような質問をされてはおりません。ただかえれるかと聞かれたので、変えれると言ったのです。文脈の解釈はいくつかありましたが、私の好ましい方を選択しました』
「解釈がいくつもあった……」
めぐみは問題のやり取りの部分を思い出そうとした。眉間にしわを寄せて考えるが、思い出せない。
(思い出せない時点で不利か……こんな大事な場面で解釈違いを起こすなんて!)
自身の情けなさに落胆し、口の中が乾いていく。
「異世界で生活している間、現実世界はどう動いているの?私が失踪したってことになるのかしら?」
『お答えできません。ですが、天野様のご両親は一生を泣いて暮らす可能性はございます。その逆もございます。』
めぐみは一番気にしている点をつかれ、堰が切れたように牙を見せる。
「どういうことよ!あなたの言ってること全然分からないわ!どうすれば親に会えるの?!現実に戻れるの?!ちゃんと答えてよ!!!」
『1つ、ご両親には会えません。2つ、現実には帰れません』
「なによそれ……そんなの、あんまりだわ」
言葉の終わりの方は声がかすれていた。足をくの字にして座り込む。久しぶりに頬が濡れている。膝に乗せた拳に涙が落ちる。
『ご質問は以上ですか?』
「……」
めぐみは俯き、微動だにしない。
『以上のようなので、【就職斡旋センター】まで転送いたします』
めぐみは涙が流れるまま、じっとしている。頬を伝わずに落ちる雫は冷たかった。
星から星へ光が繋がっていく。繋がった星は光を拡散させ、世界を白光で包み込んでいく。目がくらむまぶしさだったが、めぐみはあるがままを受け入れた。
目覚めてるとも、眠っているとも分からない感覚が生まれる。次第に意識を自覚できなくなり、彼女の上半身までも倒れてしまった。虚ろな瞳に光は感じられない。
真っ白な空間は彼女の姿を白に溶け込ませていく。身体は徐々に見えなくなり、なにもない静寂が訪れる。
ー--------------------
清閑な世界にゆらりと髪がなびく。金色というよりも、白で薄めた金髪にほんのり桃色がかっている。それは腰ほどの位置まで伸びており、中ほどで巻かれている。
白色の世界に紛れているせいか服装は判別しがたい。腕は肩から肘先、足は膝頭までが世界の色と同化している。それらの先から血色を含んだ白い肌が露出している。
天に向かって顔を上げ、黒まつ毛にかかった髪の下から、妖しく光る瞳をのぞかせる。ゆっくりとした憂鬱じみた声で、語り聞かせるように思いをはせる。
「語り手から語り手へ、あなたが覚醒するまで永遠に囚われるがいい。ふふふ。そうよ、世界に繋がれ、囚われるがいい。ふふふ」
幼女のような歓喜の笑い声がしっとりとこだまする。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます