第3話 人類種の命題

『入団を希望するのですね?』


「はい!」


『かしこまりました。では入団の手続きをはじめさせていただきます。少々お待ちください』


 エンジェルの言葉を待っていたかのように、そよ風が吹き始めた。めぐみの赤らんだ頬に風がこすれる。公園にできる春の木陰にも似た居心地の良さを感じる。


(気持ちいい……それに、いい匂い)


 かすかにだが、香水の匂いだとわかる。人工的に特定の効果を期待して作られた匂い。女性が選んだであろう、視覚情報よりも鮮烈で、感覚に訴えることが可能な代物だ。

 

『手続きの方は終了しました。お疲れさまです。一緒に働けることを嬉しく思います』


 1分も経たぬまま手続きは終わった。めぐみは署名の1つや2つするものだと考えていた。眉をピクリと跳ね上げ、感心した様子を見せる。


「すごいですね、異世界ともなると、どうしようもなく退屈だった時間がこうも早変わりだ」


『異世界内定承諾書も異世界住民登録も、風1つでたちどころに解決です』


 エンジェルも一仕事終えたからか、ほほ笑みを感じさせる音色で返した。めぐみは口を隠すように両手をそろえて広げ、クスクスと笑った。両家の親戚同士の距離間程度には近づいているようだった。


 仲良くなったついでに、エンジェル本人の人となりについて質問した。


 実態はあるようで、カールがかった金髪が胸より下まで伸びている。身長は140㎝、エンジェルの自宅にある食器棚、その最上段まで手が届かなくて困っているそうだ。

 

 年齢は不明。めぐみよりはお姉さんであると主張している。服は白いワンピースを基本に、時折模様などを変えるようだ。今は無地のワンピースを着ている。


『顔立ちは丸みがあって全体的に幼い印象を与える、といった意見をもらいます。天野様のように美人な面立ちではありません』


「恥ずかしいですよ、でもありがとうございます。早くお会いしたいです。私だけ顔が知られているなんて、なんだかむず痒いわ」


 エンジェルの評価通り、めぐみは視線を集めやすい顔をしている。あらゆる箇所で均整のとれた配置。目はやや吊り上がり、活発な印象を与える。シュッとした顎のラインは知的で決断力のある性格が垣間見えるようだ。髪を下ろすと肩に届かないショートカット、それが後ろ髪だけお団子型でまとめられている。


『会いに行きますわ、近いうちに。まずはセンターで働く団員達に会ってもらいます。早速ではございますが、センターまで送らせていただきます』


「はい。あの、【就業斡旋センター】ではどんなことをするんですか?」


『職業と人の橋渡し、と言ったらいいかしら。詳しい内容は団員から説明があります』


(本当に異世界に行けるんだ)


 急に人生が段取り良く進む。そんな瞬間はあるものだ。めぐみはこれまでもいくつかそういった体験をしてきた。だからわかることがある。こういう時こそ気を引き締めるべきなのだ。そう意気込んで、体に緊張が走る。


『異世界へお送りする前に1つ、声をかけた目的の2つ目をお伝えいたします』


 そういえばと、めぐみは思い返す。入団が決まったら話すと、初めに引き伸ばされた話題だ。


『天野様には解いていただきたい課題があります。これは世界の在り方を変えてしまう、重要な課題となります。天野様なら、答えを見つけられるかもしれません……』


 めぐみは困惑した。エンジェルの口調が真に迫るものであったから、ぎゅっと唇を結んで聞いた。


『解いてもらいたい課題は

【異世界は現実世界である】

という題目に対して真偽を付けていただきたいのです』


「……それだけ?」


『それだけです』


 拍子抜けした、といった面持ちで顔を緩ませ、ほっと息をつく。


「あまり大したことなさそうね、真偽はエンジェルさんに伝えればいいんですか?」


『はい、私にお伝えください』


「どうしてそんな課題を解いてほしいのですか?申し上げにくいのですが、あまり重要そうには見えませんが」


『重要です。天野様もこの課題に取り組めばわかります。これは、人類種にとっての命題なのです。この命題は解かれる日を待っています』


(【異世界は現実世界である】か、まずは異世界の定義から始めましょう)


『この命題に取り組むには人間個人の時間では足掛かりにすら手が届かないでしょう。でもご安心ください。異世界では体が衰えることはありません。健康に気を使っていれば、寿命のリミットは解決できます』


(現実世界に寿命はある。異世界にはない。その点だけでも判定は偽ね)


『ですので50億年でも異世界生活をお楽しみいただけます』


「億はさすがに気が持ちませんよ。でも数年は働きながら答えを探っていきたいと思ってます。1週間経ったらお母さんに内定もらったって報告したいし」


『どうやって報告するのですか?』


「どうって、会って話して、ですが」


『会えませんよ』


 めぐみの思考はブレーカーが落ちたように、すべての回路がバチンと音を立てて断たれた。彼女の優れた脳は危機回避性能を発揮し、放心する程度のダメージに抑えてくれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る