第4話 かき氷はまだ溶けない (2)
目を覚ますと、目の前にはコーヒーを片手に資料を読んでいる一人の女性が座っていた。
「神薙さん……」
声をかけると神薙さんは僕の方に視線を送る。
数秒だけ目を合わせたら再び、資料を見始めた神薙さんを僕はじっと見つめていた。
会話が発展しない。どうしてだろう。普段なら神薙さんの方から話を振ってくるはずなのに何かを待っているみたいに何もしてこない。
周りの変化は何もないのに僕と神薙さんだけが取り残されたみたいに時間だけが過ぎた。
「コーヒーがなくなってしまったようだ。給湯室から新しいのを持ってきてくれないか」
やっと口を開いたと思ったら、今までなかったパターンだ。こういうこともあるのか。と考えていると冷たい視線が刺さり、慌てて給湯室に向かった。
コーヒーを作ろうと機械にIDカードを挿そうとするとそれはあった。
居ても立ってもいられなく僕はそれを持ち出し、神薙さんがいる部屋まで走る。
長い距離ではないはずなのに息が切れた。そんな僕に神薙さんは視線だけを向け、「席につけ」と言うので僕は何も言うことなく、先ほどと同じ場所に座った。
「一つだけ、私は君に言ってなかったことがあるんだ」言葉を句切り、僕が持っていた過度な装飾が為された本を指さし。「私は白井彼方の腹違いの姉だ」
告げられた唐突な告白に僕の頭は真っ白になりながら口を開く。
「え? 腹違い? 姉? なんでそんなこと。僕はまだ白井について何の説明も受けて――」
「君はタイムリープをしているはずだろ」
「てことは神薙さんも?」
神薙さんは首を横に振る。
「私はタイムリープなんてしていない。ただ妹の日記を読んだだけだ」
神薙さんの言葉で自然と体が軽くなった―――正確には日記を持っていたはずの右手が重力から解放された気分になった。
「こっちだ」神薙さんの声がし、彼女の方を見ると彼女の手には先ほど僕が持っていたはずの日記が握られていた。
何がどうなっているのかまったく分からず、時間と状況だけが僕の前を通り過ぎていく。「不思議なことにこの日記には時間に干渉されない力があるらしい。
私も日記の力についてや君たち二人の状況を知ったのもついさっきなんだよ」
「待ってください! それだと彼方はタイムリープの事を知っていたことになるじゃないですか」
「そういうことだな」
神薙さんは先ほどまで空だったカップにコーヒーをどこからか注ぎ、口に運ぶ。
もう本当に何がどうなっているんだ? 僕は夢でも見せられているのか。
困惑する僕を置いて神薙さんは語る。
「この世には常識では説明することが出来ないことがたくさんある。
君たちだけが記憶を持ったままでタイムリープをすることだって、
私がこうして手探りでものを呼び寄せることだって、
結界が張られたところからわざわざ日記を持ち出すことだってそのひとつさ」
「神薙さんは神災病なんですか?」
「……まあ、そうなるな」
次々に明かされる事実に頭が痛くなるが、一つだけ分かるのはこれが神薙さんの言う常識では説明できない状況ということだ。
「では何故、神薙さんは今になってそんな大事なことを言ってきたんですか。それが事実ならもっと早く言うべきだったんですよ」
「言ってどうなった? 何かを変えることができたか? 妹を救うことができたか? 君は白井彼方への気持ちに踏ん切りをつけることができたか? できなかっただろう。それにこれは君一人だけの問題ではない。彼方にもその時間は必要だった。
だからこそ君にはこの日記を今見る必要がある」
神薙さんは持っていた日記を手渡す。ずっしりとした重みは彼方の悩んだ数や想いそのものだ。
「恋というのは選択の連続だ。いくつもの選択肢があり、いくつものの終わりがある。
これを読んで君がどの選択を選ぼうが勝手だ。
だが、妹は私にこれを託す選択をした。それによってやってくる終わりをあの子は認めた。なら次は君の番だ。君が君たちに相応しいエンディングを作ってやるんだ」
僕は神薙さんの言葉を受け止め、自分はどうしたいのか問いただす。
この日記には僕への何が綴られているのだろうか、恨みだろうか感謝だろうか。決してそれは軽い気持ちで読んで良いものじゃない。
何百と繰り返された闘病生活の日々を僕は静かに捲る。
『病院生活一年目! やっとこの暮らしにも慣れてきました。
お姉ちゃんはたまにしか連絡をくれないからわたしは怒っています!!
なのでその愚痴を今回はこの日記に書きたいと思います……冗談です。
お姉ちゃんが初めてくれたプレゼントに愚痴なんて書きません。それに今回は1周年ということなのでまたもやプレゼントがあったんです。
なにかな~って思って期待してたら、なんと同年代の男の子だったのです。
看取り人だっていうのは聞かされていたけどまさか同年代とは、さすがお姉ちゃん!
でもビックリしたよ~。まさかわたしに話し相手ができるなんて夢にも思ってなかったもん。
でもでも、いきなり難しい話しだすから頭がパンクしちゃった!
その後直ぐにわたしにもわかりやすく説明してくれたからよかったけどね』
『胸が苦しくなってもう駄目ってなった。
無意識に先輩の名前を呼んでてだんだん視界が潤んできた。涙かな?って思ったけど身体が溶けていくのがわかってやっと自分が死ぬことがわかったの。
目が覚めたら視界が床を見つめていて、夢だったのかなって思ったけど、お姉ちゃんや先輩が何か話しているのに気付いて、声をかけたけど何にも返事がないから、わたし焦っちゃって、でも先輩なら気付いてくれるって信じて声をかけ続けたらいきなり辺りが真っ暗になって、気付いたらまた寝ちゃてて、こんどは天井を見てて、って何話してんだろ。 暗い話はおしまい! おしまい! まあ今生きてるなら結果オーライだよね!
……絶対夢だよこんなの』
『先輩がやってきた。いつものようにおはようから始まって、他愛のないことを話すのかなって思ったけどそうじゃなかった。先輩は扉を開けたとき、おはようって言わなかった。いつもは必ず言うことを言わなかった。
だからあれは夢じゃないんだってわかったの。わたしは一度死んだんだって。
カレンダーを見てもうわかってたことだったけど。ドッキリだと思ってたのに。
死んだことはショックじゃなかった。ただ先輩との思い出がなくなったことが嫌だった。 でも大丈夫! また一からやり直せばいいだけだもんね』
『お姉ちゃんからお花をもらった。
嬉しすぎる!! プレゼントは誕生日か記念日しか贈ってこなかったのになんでかな?
まさかわたしが覚えてないだけで何かの記念日だった!? だめだ、思い出せない。
でもでも、お姉ちゃんは少し気まぐれなとこあるし単に綺麗なお花があったからだよ……そうであって欲しい!!
ていうかお姉ちゃん。来るなら来るって連絡して欲しかったなあ。わたしが寝てる間にくるとかひどいよ! 久しぶりに顔見たかったのに~~。
はっ!! まさか寝顔を見に来たとか!? う~~、わたしブサイクな顔してないよね』
『100万カナータゲット!!!
先輩との長い戦いの歴史に終止符がうたれたのだ!
でもまさか先輩があんなにゲーム弱いなんて、一回目じゃ想像できなかったな~~。
おかげですっかりお金持ちです。
まあこんな紙クズどこで使うことなんてできないだけどね。
こんど札風呂なんてできるか先輩に聞いてみようかな? ……なんてね』
『死にたくない。
なんでかな? 神様ってなんでわたしにばっかり嫌なことさせるのかな?
死んだらリセットなんてわたしはそんなの望んでないのに。長生きして少しでも先輩と過ごしていたのに。先輩が悲しんでる顔なんて見たくないのに……』
『もう嫌だ。
先輩がここのところずっとおかしい。わたしが無理なわがままを言っても、迷う素振りすら見せずに頷いてばかり。いつもなら笑ってくれるはずの場面でも苦笑い。
わたしはそんな先輩は求めてない。
やっと気付いたの。先輩もわたしと同じで同じ時間を繰り返してるんだって。
でもそんなにつらそうな先輩はわたしは――』
『先輩に初めて嫌いって言った。心の底から先輩のことを嫌いになりたかった。だから先輩のことを拒絶した。
そしたら先輩も諦めてくれて、時間がもどることなく進んでくれるはずだから。
だからわたしは先輩のことが』
日記はここで終わっていた。
一日も欠かすことなく、書き続けていた彼方の日記には僕の知らなかった彼女がいた。 彼女もまた僕と同じく悩んでいた。
コーヒーの匂いをたどると、神薙さんは資料を見ずに、僕だけをじっと見つめていた。答えは出たか? と訊いているようだ。
僕は日記を閉じ、静かに頷く。
「彼方に会いに行きます。会ってしっかり話して、その後のことは会ってから考えます」「そうか……」
神薙さんはコーヒーを一口くちに運ぶと、僕に大きな箱を手渡す。
「クーラーボックス?」
「あの子の欲しがっていたものだ。持って行け」
「……ありがとうございます」
席を立ち、一礼する。
扉の前まで行ったところで振り返る。
このセリフは必須だよな。
「神薙さん!」
「なんだ?」
「妹さんを僕にください」
「……なんだそんなことか。言われなくてもわかっているさ。早く行け」
白井彼方。そう書かれたプレートの部屋の前にはいつだって僕がいる。
扉が腐っているわけでも、錆びついて動かないわけでもない。いつも僕はこの部屋の前で立ちつくしていた。
そして彼女も又、息を整えていたのだ。どうやって彼を迎え入れようと。いつものように明るく迎えるか、怒って僕の下手な芝居を見ようか。
どっちもどっち。僕たちはどこまでも似たもの同士だ。
だからこそこんなに時間が経ってしまった。
初めて彼方がかき氷を食べたいと言ったのはいつだったけ。もう昔すぎて覚えてないけど、そのときにいつか食べさせてやると言ったときの笑顔だけは忘れてない。
本当に忘れない。
扉を開くと彼方は窓を眺めていたが、すぐに気がついてこちらを覗く。
悲しい顔したと思ったら、片手の日記と肩にかけたクーラーボックスと見て、笑顔になり、また涙を流した。
忙しいやつだ。
洟を啜りながら、彼方は口を開く。
「先輩、遅すぎです」
「ごめん、ごめん。かき氷いっしょに食べようぜ」
クーラーボックスを掲げ、僕は笑う。彼方もつられて笑う。
「――そうそう。そこに氷をセットして後はこれを回せばいいからな」
「意外と力がいるんです」
「まあ氷だしな。最近じゃ自動でやってくれるやつもあるみたいだぞ」
「え~! ならそっちを持ってきてくれればよかったのに」
「いや、こういうのは自分の力でやったほうが達成感があっていいかなって・・・・・・あとシンプルにお金がない」
「たしかに一理あります。それに楽しいです」
他愛のない会話をしているうちに二人分のかき氷が完成した。
僕はクーラーボックスに入っていたシロップを取り出す。
お祭り気分を味わって欲しかったので業者用のものをあるだけ持ってきた。
「へえ~こんなに味があるんですね」
彼方は興味津々にシロップを見つめる。
「好みがわからなかったからいろいろ持ってきたぞ。好きなのをかけてくれ」
「先輩。わたし先輩のもかけてあげたいです!」
「ん? 別にいいけど」
「ありがとうございます!」
彼方は子供のようにはしゃぎながら、僕のかき氷にシロップを注ぐ。
いちごにブルーハワイ、レモンにその他もろもろ。っておいおい!
「そんなにかけなくてもいいってば!」
「ふっふっふ、先輩は知らないんですか?」
意味深な笑みを浮かべる彼方。
「何をだよ」
「かき氷のシロップって味が全部いっしょらしんですよ! なんと成分的には全部同じで視覚情報だけで脳が勝手に味を感じ取るらしいですよ」
「それ都市伝説だから!?」
「いやはや先輩は遊び心をわかってないですね。それにどんな味がしたか人によって異なるという証明もできるんですよ! ような好みがわかるってことです。先輩、わたしといっしょに脳をバグらせましょう!」
「そこだけ訊くとなんかやりたくないんだが!?」
そうこうあり僕と彼方、二人のかき氷には黒きオーラが浮かぶ。
うっ、なんかお腹痛くなってきたかも。
「なんか美味しくなさそう」
「いや、お前が言うのかよ!」
目が合い、お互いに何かを誓った。頷きいっせいに口に入れる。
意外とウマい! けど何の味だろう?
口に含んだ氷は一瞬で溶け、正体不明のシロップが口に残る。
彼方の方を見るとこちらも頭の上に?が浮かんでいた。
「甘酸っぱい感じがしますけど何かと言われると」
「僕もそんな感じだ。でもこっちは甘いが強いな」
また目が合う。自然と笑みがこぼれやがて大きな笑い声に変わる。
こんなにお互いが笑ったのはいつぶりだろう。
かき氷はいつのまにか食べきってしまい、時間が過ぎていく。
季節は秋真っ只中なのでかき氷を食べている僕たちは少々場違いだったかな。
カーテン越しに涼しい風が吹く。彼らもそれを嘲笑うように僕たちの間を通り抜ける。「先輩」
ふと彼方がこちらを向き、僕を呼ぶ。
「なんだ?」
「楽しいですね」
そんなことか。
「そうだな」
僕の応えにクスクスと笑い、手を絡める。僕もそれに応える。
「わたし、今までで一番先輩と仲良くなれたって思います」
「今まではそうじゃなかったのか?」
「そんなことありません。
ただ今が一番、人生の中で楽しいってことです」
「そうか」
「そうです」
彼方の柔らかい餅のような頭が僕の肩に乗る。
頭を撫でると猫のような愛らしい表情をするもんだから顎も触ってやろうとすると、
「シャーーー!」
「猫かよ」
「えへへ」
可愛い。
「ねえ、先輩」
またも彼方は声をかけてくる。
「なんだ」
「最期って感じだしてますけど、また繰り返されたらどうします?」
核心を突く質問だった。
「彼方は続いて欲しいって思ってるか?」
「正直、半々ですかね」
「僕もだ。でもこんな綺麗な形の終わりを神様も無下にすることはないだろ」
「ふふ、先輩らしいです」
彼方は肩から太ももへと頭をすべらせる。
「今、キスできます?」
「キス? 初めてだからわかんないな」
「ほんとに童貞だったんだ!」
「当たり前だろ。ずっと看取り人として生きてたんだから」
「じゃあわたしが初めてですね」
そう言うと、彼方は僕の唇を奪う。
柔らかく、先ほどのかき氷の味が微かに感じる。
何秒キスしたかわからないほど、僕は彼女に犯された。
頭パンクしそう。これがキス。
いつもは可愛いが売りの彼方が嘘みたいに大人っぽい表情を見せる。
「どうですか? 初めてのキス。気持ちよかったですか」
「は、はい……」
放心状態である。
そうこうしているうちに終わりの時間はやってきた。
「先輩。お別れみたいです」
透明に近づく彼女は少しだけ口惜しそうにそう言う。
僕はそれに応えることの出来ない以前の自分じゃないはずだ。
「彼方」
名前を呼び、今度は僕から彼女のキスをする。
透明な彼方の頬が少しだけピンク色に染まった――気がした。
「僕の方からもやっておかないと男として格好つかないだろ」
「ふふ、先輩はそのままのヘタレでも良いのに――」
おい!?
「でも、そうですね。もし彼女でもできたらこの部屋まで連れてきてください。先輩に相応しいのか見ますから」
「そうか。じゃあそうさせてもらうよ。でもそんなことなしに僕はたぶんここに来ると思うよ」
「もう先輩、未練たらしい男はモテませんよ」
照れたように笑う彼方の頬を撫でる。
「……愛してるよ。彼方」
「わたしも愛してます。裕樹先輩」
彼方はそう言うと静かに溶けていった。
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