第3話 無味を感じ


「先輩、しりとりしません?」

 太陽よりも眩しい笑顔は僕の影を深くするのに十分だった。

 ベッドに座る彼女は、今日も叫び声に近い大きな声で僕に暇つぶしの提案をする。

「彼方。あと三分待ってくれないか」

「……そうだな~。三分だったら待ってあげます」

「ありがと」

 その後、きっちり三分読書をして彼方に向き直る。

「お待たせ。しりとりだったよね。彼方からでいいぞ」

「……やっぱいい」

「え?」

「やっぱいい!! しりとりなんかしない!!」

「どうして?具合でも悪いのか?」

 心配する言葉はかえって彼女の怒りに触れたようで。

「何よそれ。具合が悪いのは先輩の方でしょ! 先輩はそんな優しくない」

「何言ってるんだよ。さすがにストレートに悪口言われたら僕でも傷つくよ?」

 大丈夫。彼女は今、病気のストレスでヒステリックになっているだけだ。看取り人である僕が優しく宥めてあげれば元に戻る。

 そう、大丈夫なんだ。何もかも上手くいく。どれだけ失敗しても最後がハッピーエンドなら過程はどうでもいい。

 彼方の震える瞳に僕が映り込む。虚無な僕が、何を見ているのかわからない僕が。

 手を伸ばし、彼女の頬に触れる。柔らかくて温かい、餅みたいな感触はあるものの水のような透明感はない。

 だがこの感覚、もってあと三日というところか。

「……ないで。……触らないで!」

 拒絶の声とともに僕の手を払い除ける彼方は異物を見るような表情でどこか恐怖と寂しさを感じた。

「今の先輩はわたしの知ってる先輩じゃないです」

 彼方は拳を強く握り、瞳を濡らす。

「わたしの知ってる先輩は、もっと自分勝手で、頼りなくて、たまにこの人で大丈夫なのか不安になったりするけど――」

 涙の粒がぼろりと落ち、彼方は目を伏せる。

「それでも、それでもわたしはそんな先輩が――」

 静寂が続き、彼方も言葉を紡ぐことなく黙ったままだ。

 僕はなんとか彼女を落ち着かせようと近づく。

「出てって!!」

 瞬間、僕の頬を何かが通る。頬をなぞるとチクリとした痛みを感じ、手のひらを見るとそこには血が付着していた。

「彼方。能力を使うのはお前の体が――」

「出てけって言ってるの!」

 今度は彼女の周りを水が覆い、壁が造られた。

 これ以上は無理だ。……リセットだな。

 彼女に背を向け、扉の前まで行く。

「彼方。また来るからな」

 部屋を出て、歩を進める。後ろから彼女のすすり泣く声が聞こえたような気がした。




 次の日。いつもの時間に彼方の部屋へ行くも、部屋の前で拒まれ中に入ることができなかった。今までに経験のないことだが不思議と焦りはなく、仕事もすべてやりきっているのでこの時間を利用して、僕は実験室へと足を運ぶ。

 室内は様々な機械にそれを覆い尽くすほどの資料の山があった。

 その資料たちを払い除け、机を綺麗にする。椅子に座り、足下にあるボタンを踏む。

 するとスクリーンが浮かび、慣れた手つきで選択する。

 機械音とともに一本の試験管が出てくる。中に入っているのはもちろん彼方の血だ。

 キーボードを操作し、無数の機械手を動かす。

 システムを起動し、助手を目覚めさせる。

『おはようございます、マスター。本日の目標を提示してください』

「今日は昨日の続きだ。Z-394からZ-449まで試す。反応があったら報告を」

『かしこまりました』

 AIが作業を進めている間に散らかった部屋の掃除をする。

 何か作業をしようとするとき、まず掃除からなんていうだろう。それと同じだ。まあ僕の場合は全てAIがしてくれるので何もする必要がないのだが。

 掃除もあらかた済んだところでふと昔の実験データが気になり、デスクトップからZ-333というファイルをクリックする。論文並みの文章をスクロール。最後の文には失敗と書かれていた。

 今回の人生ではこのファイルが一番古いものだ。あらゆるものとの調合と実験の結果がここには全て記されている。

 失敗は成功のもと、なんて言うがいつまでも成功が見えないじゃ、こんなもの何の役にも立たない。

 そろそろアルファベットも限界だし、これからは全部数字にするか。

 椅子に全身をまかせ、天井を仰ぐ。

 ……本当はもうわかってる。

 どれだけ頑張って、薬を、神災病に効くものをつくろうとしても無意味なことぐらい。 神災病は病気じゃない。生まれつきなもの、アレルギーと一緒だ。向きやっていくしかない。

 でも、何かをしてないと何かで自分を紛らわせないとどうにかなってしまいそうなんだ。

 彼女がただ死んでいく様を見るのは。だから薬をつくれば、いつか完成すれば彼女を救えるなんて思いに浸りたかった。

 でも、もういい。

 体を起こし、AIに一言、「もう休んでいい」とだけ言い部屋を出る。




 屋上に出て、フェンスにもたれかかる。

 新鮮な空気を吸ったのはいつぶりだろうか。体が喜んでいる。

 空は雲一つない快晴。目が痛くなり瞼を閉じる。

 真っ暗なはずなのに何かの模様が浮かんでくる。脳内で考えていることが意識的に描写されているのだろうか。どれも楽しい記憶ばかりだ。

 回想シーン=走馬灯。何を考えても、もうそうなってしまう。疲れているんだ。

 ここから落ちればどうなるかぐらい想像できる。病人じゃないのにどこか体が悪い気がする。

 視線を下ろし、足下を見る。コンクリートの隙間から小さな雑草が生えている。

 こんなところまで管理が回らなかったのか、あるいは使われると思わなかったのか。どちらにしても抜いて損はない。根っこまで抜き、投げ捨てる。

 フェンスを押してよろけながら立ち上がり地面を見下ろす。

「人がゴミのようだーーー!」

 両手を突き上げ叫ぶ。

 実際に人なんていない。

「でもやってみたかったんだ。はは」

 声を無理矢理あげても元気が出ない。

 しかたないのでもう楽になろうと思う。

 フェンスを乗り越え、息を吸う。

 ループの条件は彼方が死ぬこと。そして僕がそれを認知することだ。

 つまり僕が死ねば彼女はもう死ななくても済む。というより時間が前に進む。

 たとえ、このループが僕一人に影響を与えるものでもこれ以上彼女が死ぬ姿を見たくない。

 ……これでいいんだ。

 飛ぼうとした次の瞬間、ズボンがわずかに振動した。

 スマホを取り出したところで着信がきれたので追い電をする。

『お~い。電話くらいワンコールで出ろよ』

 待機音が鳴り止み、ガラの悪そうな女性の声が耳に刺さる。

「無理言わないでくださいよ。ナツナ先輩」

 相手はナツナ先輩。僕の先輩だ。

 スピーカーから風の音がするのでどうやら外にいるみたいだ。

「それで何の用ですか?」

 僕の質問にナツナ先輩は少し間を置き、ケケケと笑う。

『何か用がないと電話しちゃあ悪いのか』

「悪くはないですけど……」

『じゃあ、いいだろ。それにあたしはあんたが元気かなぁって心配で電話かけたんだからな』

「……嘘言わないでくださいよ。どうせまた仕事の愚痴でしょ。すみませんが僕は忙しいので切りますよ」

 そう言い切り、終了ボタンを押そうとする。

『おい裕樹。あんま一人で抱え込もうとするな』

 手が止まり、彼女の名前が映った画面を見つめる。

『あたしにはわかるんだよ。今、あんたが困っていることなんて』

 何か核心をつかれたような感覚。僕は何かを必死に隠している時みたいに声色が勝手に上がる。

「何を言ってるんですか。僕が困る?もう僕は見習いじゃないんですよ。これぐらいの仕事、一人でできます」

『報告書、読ませてもらったよ。……あんた、無理しすぎなんじゃない』

 このままではまずい。何か見せてはいけないものがでてしまう。そんな気がする。

『もう一度言うようだけど、あたしにはわかるんだよ。あんたのいろんなところを見てきたからね。――結論から言わせてもらう。あんた、恋してんだろ。白井彼方に」

「……」

『沈黙は了承。都合が良い言葉だけどしっくりくる』

「それで……何が言いたいんですか」

『だからあたしには――』

「あなたに何がわかるって言うんですか! 僕の何がわかるって言うんですか。看取り人としての実力もまだまだで人としてもダメダメで、その正反対のあなたに何がわるんですか」

 関係ない人まで巻き込んで、心配してくれている人にあたって、何がしたいのか自分でもわからない。

 そんな僕が人を、彼方を愛して良いはずがない。自分のことすら嫌いな僕が。

 自己嫌悪と孤独感に押しつぶされ、携帯の向こうにいる彼女も何も言ってこない。

 静寂が怖い。次に何を言われるのか想像しただけで見捨てられた気になる。本当に身勝手なんだ僕は。

 静まった空気はきっと数分だったのだろう。

 カチッという音に続いて、ナツナ先輩が息を吐いた。

『何もわからないよ。あたしには白井彼方のことも、あんた達の事情も。でもね――』

 少し間があく。でも何でだろうか。さっきの恐怖心はない。

 ふふ、と大人の微笑を浮かべナツナ先輩は続ける。

『話を聞くことはできる』

「話……?」

『誰にだって、見たくない現実や耐えがたいことはある。人の心っていうのは未完成なんだ。一度ヒビが入っちまうと、もう治ることない。だから、それを和らげるために、壊れちまう前に人は話すんだよ。言葉というのは生き物の武器だ。意思疎通をすることによって立場の違うもの同士がわかり合うための一歩を掴むために言葉はあるんだ。それこそ、大昔に能力者の一人が非能力者に助けを求めたみたいにな』

 問いただすのではなく、歩み寄り、手を伸ばす。手を掴めば、きっとわかり合えるから。

『だからさ裕樹。お前も溜め込んでるもん全部はいてみろ。あたしが全部、受け止めてやる。何時間でも聞いてやる。ほら、いつかあたしの愚痴を聞いてくれたあんたみたいにさ』

 誰にも理解されないと思ってた。一人で抱えて生きていくことが正解だと思ってた。

 でも違った。ここに手を伸ばしてくれる人がいる。助けてと言ったら助けてくれる人がいる。辛いことを分かち合ってくれる人がここに。

 それから僕は、今までのことを全部話した。

 彼方に恋をしていること、ループで何度も彼女の死を見ていること、今までたくさんの彼女に会ってきたこと、そのすべてに僕は好意をもらっていたこと、そしてどんなことをしても彼女を救うことができないこと。

 ナツナ先輩はその間、何を言うわけでもなく、ただ聞いていてくれた。

 ぽっかり空いた穴を、優しさで埋めてくれた。

 ひとしきり話し終わると、体が楽になった気がした。

『頑張ったな、裕樹』

 その一言に救われた。その一言が僕は欲しかったんだ。

 涙がポロポロ落ちてきて、拭っても拭っても止まらない。その間もナツナ先輩はじっと待ってくれた。

 落ち着きを取り戻し、僕は彼女に問う。

「僕はこれからどうしたらいいでしょうか」

『言葉で傷つけたなら言葉と行動で許してもらう。今お前が1番しなきゃいけないのはこれだろ』

「でも、もし許してもらえなかったら……」

『でもでも、もしもしうるせぇーんだよ。そんなこと考えているようじゃあ、許してもらえるもんもゆるしてもらえねぇよ。それにそんときは先輩であるあたしがまたいつでも胸を貸してやる』

「ナツナ先輩……!」

 この人は本当にこういうとき頼りになる。いつもは荒っぽい口調で適当なはずなのにいざって時は周りに気を配れて、優しく包んでくれる。

 だからこの人はいつになっても僕の憧れの先輩なんだ。

『まあ、最悪白井彼方の好きなものでも持って行けばイチコロだろ』

 ……前言撤回。

「モノで釣るのかよ!」

『当たり前だろ?女ってもんは結局現金なやつなんだよ。……知らんけど』

 そんなやりとりをしながら僕は少しずつ以前の僕にもどっていった。

 真上にいたはずの太陽も今や眠りの準備を始めている。

 夕暮れの風は、どこか懐かしくて心地よい。

 この気持ちを味わえるのもナツナ先輩のおかげだ。

 さて、電話も締めに入る前に僕から先輩に伝えないといけないことがある。

「ナツナ先輩、僕からも一ついいですか」

『ん? なんだ?』

「いいかげん煙草やめたほうがいいですよ」

『あ?バレてた?』

 そう言って笑いながらも吸っている様子が目に浮かぶ。

「そりゃ、バレますよ。僕が真剣に迷ってたのにいきなりカチッてライターつけて。話してるときもカチカチうるさいんですよ」

『あはは、そりゃメンゴ。でも仕方ないだろ。我慢できるもんじゃねぇし。それにライターには特別な意味があるんだぜ。君の心に火を灯すってな!』

「面白くないですし。そう言って、また神薙さんに怒られるの僕なんですよ。いい加減やめてください」

『はいはい。すいません、もう吸いません。なぁ~んてな!』

「……」

『すいません』

「どっちの意味でですか」

『煙草吸いません。あっ、でも一日に一本ならいいだろ?それぐらいならさすがの神薙ちゃんも――」

 なんて言い訳にダジャレとを永遠と喋るナツナ先輩。まったくこの人は……。

 でも――。

「ありがとうございます。ナツナ先輩」

『ああ、頑張れよ。裕樹』

「はい!」

 電話切り、屋上に一人きり。でも寂しくはない。心地の良い風も、支えてくれる人も、みんな僕の背中を押してくれる。手を握っていてくれる。

 だからもう、迷わない。

「彼方。今度は僕がお前の手を握る番だ」

 一人きりの屋上で僕は誓う。君を最期まで愛すことを。




 扉の前に立ち、僕は深呼吸をする。

 ノックは三回。返事はない。取っ手を握る手は少し冷たい。きっとあの風のおかげだ。 扉を開け、彼女をとらえる。

 窓の外を眺めていた彼女はゆっくりとこちらを向き、にっこり笑う。

「彼方、あのな――」

「先輩」

 僕が言葉を紡ごうとすると彼女はそれを言葉で遮る。

「わたしからいいですか?」

 夕日に照らされた彼女は眩しく、そして少し透けていた。

 指を差し、こちらを見つめたまま、彼女は続ける。

「わたし、先輩のこと大嫌い!」

 僕は何も言い返すことができず、ただ静かに彼方が水になるのを見届けた。

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