第2話 気候変動

「――き、ひろき!國枝裕樹!」


僕を呼ぶ声と口に広がる苦みが、視界をクリアにさせる。


不満そうな顔をしてこちらを睨む神薙さん。

いったいどういう状況だ?僕はなんでこんなところにいるんだ?


だってここは。

「本部の談話室……!」


僕はあの後、気を失ってしまったのか?いやそんなはずがない……とも言い切れない。

 

考えても答えが出るはずもなく、ただ時間だけが過ぎていくばかりだ。


神薙さんに目線を送ると、あの時と同様、シュガースティックを五本も入れたコーヒーを一息で飲み干していた。


目が合う。


神薙さんは持っていた資料を無言で手渡す。白井彼方とのことを気遣ってか、何も言ってこない。


仕事での傷は、仕事で癒やせとでも言いたいのだろうか。


「ありがとうございます」


作り笑顔でお礼を言い、資料を受け取る。


「今回から本格的に一人で看取り人を任せるわけだが、素直に受け取ってくれて嬉しいよ」


「……」


「どうした。そんな顔をして」


チクタクチクタク、と談話室に備え付けてある時計の音がいつもより大きく聞こえる。 


何か嫌な予感がして、背筋がゾワッとする。


いけない気がする。このままこの資料を見ては……。


制止する心とは裏腹に、僕の視線は資料へと向けられ。


「なんで、彼女がここに……!」


そこには、白井彼方 年齢16 能力:水 Sランクなどと記されており、前に一度見たものと同じ物だった。


震える手を落ち着かせ、神薙さんの方を見る。


「断る理由を探すのは良いが生憎、君以外の看取り人は全員仕事が入っているんだ」


神薙さん。違うんだ、僕が聞きたいのは、そんな当たり前の事じゃないんだ。ただ、僕が知りたいのは。


「いえ、別に断りたいわけじゃないんです。初めての仕事ですから、その不安で」


「なるほどな。君の気持ちの分からなくもない。初めてとは何事も不安が生じる物だ。しかし安心しろ。失敗しても最悪死ぬだけだ」


「それ全然、安心できないですけど!?」


神薙さんらしいジョークに少し早口で叫ぶ。

いつもみたいな返しができているか不安になる。


もう少し会話をして、情報を引き出したい気持ちもあるが、これ以上話をすると、ボロが出てしまう気がする。


僕の仮説が正しいのであれば、これ以上神薙さんから得られるものはない。


でも神薙さんが僕をからかうために……いや、これ以上は考えるのも失礼だ。神薙さんがするはずがない。 


はあ、と息を吐いて脳内整理を行う。

踏ん切りのつかない僕を、大勢の僕がなだめる。

『大丈夫だよ』、と言って


「神薙さん。僕この仕事頑張ってみます。これはきっと僕にしかできないことだと思うから……!」


「そうか」


神薙さんは追加の資料を差し出す。


「ならこの患者は、正式の君の管理対象になったわけだ。頑張れ、國枝」


「はい!」





翌日。僕は白井彼方の病室の目の前にいた。


いきなりボールが飛んできて、粉々になったはずの植木鉢は、今ではその出来事すらなかったかのように元に戻っていて、何なら新品同様だ。


後はそこに、花が咲いてるかどうか。


取っ手を握る手はわずかに震える。


どこからが嘘で、どこからが真実なのか。


扉を開けた瞬間、白井が僕に天使の笑みを向けながら、先輩と優しく包み込んでくれるのか。それとも看取り人という現実をつきつけるための舞台装置とかしているのか。


どちらにしてもネタバレは早めにやってほしいものだ。 


だからこそ僕は、僕の仮説を信じる。


扉を開ける。


中にいたのは一輪の花でも、化け物でもない。可憐な少女はベッドの上にちょこんと座り、その存在を漂わせていた。


白井彼方は呆然とし、状況整理でもしているのだろうか。


目の前にいる僕を頭から足先まで舐め回すように眺めている。


「えっと、どちら様ですか?」


彼方の出した答えは僕はもう履修済みだ。


やっぱり、覚えてない……いや、知らないみたいだ。


「僕は國枝裕樹。今日から君の担当医だ。よろしくな」


彼方の手の届く範囲まで行き、手を差し出す。


未だ困惑中の彼方は。

「担当医……。それって看取り人ということですか」


「看取り人。フフ、違うな」


彼方の何気ない質問に僕は笑みを浮かべる。


そう!これだ!この状況こそ僕の計画だ。今こそ白井に高らかに宣言するのだ!


人差し指を白井に向け、大きく息を吸う。


「看取り人とは名目上の仮の姿!その正体は、君の神災病を治す医者だ!!!!」


……決まった!これがショーなら今頃僕は、スポットライトを向けられ、黄色い声援を浴びているに違いない。


おいおい、子猫ちゃんたち。まだショーの途中でしょうが。


すっかり主役気分の僕は彼女の反応窺うことなく、子猫たちと戯れていた。


はあーー、と大きめな溜息が聞こえる。


「……あなた、頭大丈夫そうですか」

 

ポテ……。 ん?


何やら客席から小石が投げられてるぞ。


「まず第一に、人の部屋に入るときはノックするのが常識ですよね」


グサッ! 今度は矢が飛んでくる。


「それに人に指を差すのもどうかと思います」

 

ズドン! トドメと言わんばかりの一撃。


も、もう立てない。

ビーーーー。終演の合図を鳴らす。『これにて國枝裕樹の痛いdeショーは終了いたしました。皆様、どうか僕を慰めてください!!』なんてアナウンスまで聞こえる。


下を向いて、黙り込む僕の視界に彼女の愛らしい腕が左右に揺れながら入り込む。


「うん?」


目が合う。ジト目でこちらを見つめる彼方にかわいいと言いそうになって瞬時に唇をかむ。


「最後に言い忘れてましたけど、医者を名乗りたいならもう少し頭良さそうな顔、した方がいいですよ」


「……追い打ちやめろよ!?」



 


その後、謝罪と供にだいたいの説明を済ませ、残った時間で雑談をしていた。

 

今回は前回とは異なり、彼女が話を聞いていないと言うことはなかった。


やはり最初の掴みが良かったようだ……あ、後付けじゃないぞ!


「というか、さっきから気になってたんだけどそれなに?」


ベッドサイドテーブルの上に彼女に不釣り合いな装飾が施された本が置かれていた。


「に、日記です!日記!」


彼方はカエルの舌みたいに素早く日記を回収する。何かそんな反応されると中身が気になってくるな。


「なあ、ちょっとそれ見ても良いか?」


「え!?何言っているですか?馬鹿ですか。何で会って間もない人に日記なんてちょープライベートなもの見せなきゃいけないんですか!変態!!」


「何もそこまで言わなくても……」


それに僕は下心なんてなんてなくて、彼方が日記をマメに書くような人間と思っていなかったし、日記の存在すら知らなかったので興味本位というか。


まあ、そんなことを言ったところで彼女に伝わるはずもない。


「すまん」


そろそろ時間だしここらで退散といたしますか。


立ち上がり、彼方に帰りの報告をする。


「あ、あの――」


扉の前に立ったところで呼び止められ、振り返る。


頬を赤らめ、こちらを上目遣いで眺める彼方にグッと来た。


「次はいつ来ますか」


なんだそんなことか。


「君はもう僕の担当なんだから、明日にでも来るよ」


その言葉に彼方はどこか満足げに僕に笑顔を向ける。


部屋を出て、自室にて資料整理をする。

やっぱり彼方との時間が一番楽しい。


僕は彼女の先ほどの笑顔を噛みしめながら、地獄へと足を踏み入れた。





一ヶ月後。僕と彼方は前回よりも良好な関係になっていた。その証拠に――。


「はーい。先輩の負けー!これで50連敗目じゃないですか-?」


「うるせー。これは作戦なんだよ!さ・く・せ・ん!お子ちゃまのお前にはその意味も分かんないのかなぁーー?」


「んぐ・・・・・・あーあ。いくら言い訳しても負け犬の遠吠えにしか聞こえないなー。先輩、勝負は勝負。敗者は黙って出すもんだしな!」


ヤクザみたいな口ぶりでこちらに手を差し出す彼方。


このまま手を握ったら可愛い声出しながら可愛い反応するんだろうなー、なんてことを初めてのときは思ったりしたが今ではそんなことをしたら平手打ちを御見舞いされることなんて分かりきっているのでしない。(経験談)


僕は潔く、キャリーケースから札束を一束手に取り、手渡す。


彼方はすぐにそれを棚の中にしまう。ああ、僕の努力の結晶がーー。


というのは冗談で。本物の紙幣なはずがない。


あれは僕たちの間での通貨。通称、カナータ。


提案者、彼方。因みに1カナータは1億円の価値がある……という設定だ。


発端は僕を本気にさせるため……らしい。


というのも、僕は基本自分にメリットがないものには全力を出さない主義なので、彼方の暇つぶしの相手では毎度、白井に華を持たせるという意味でもわざと手加減をしていた。 


彼女にとってそれが面白くないらしく、『だったらお金を賭ければいいじゃない!』なんて、将来パチンカスにでもなりそうなことを思いついたのだ。


その結果、どうやら僕は、本気を出しても彼女には勝てないと言うことが判明した。全く予想していなっかた結果に素直に驚いた。


まさか白井があんなに頭の回転が速いなんて! 


この前なんてしりとりしたとき、縛り責めにしたのに全く通用しなかったし、普通に負けた。


こんなことを言うと言い訳に聞こえるかもしれないが―――


目の前の少女を見て、笑みをこぼす。

この笑顔が見れるなら、苦労なんて屁でもないさ。


なんて、クサいことを考えていると彼方がニマニマしながら。


「先輩がかわいそうになってきたので先輩が聞きたいことなんでも教えてあげますよ!」


「マジ?」


「マジです」


少し悩んだ末、僕はずっと前から気になっていたことを話す。


「白井の能力って具体的には何ができるんだ?」


もっと他にもあるような気がするけど、こういうのを直接聞く機会なんてめったにない。それに能力について知ることができたら彼女の死因も掴めるはずだ。


「ふむふむ。そんなことですか。まあざっくりになりますが水が関係していたら何でもできると思いますよ」


「僕は詳しく知りたかったんだが……」


「そんなこと言われましても、わたしも自分でも何ができて、何ができないのかわからないんですよね」


「? そうなのか?」


「はい。能力っていうのは未知数ですし、わたしの場合、今までやってきた物が全部できたぐらいでそれが限界かもしれませんし、まだ先があるかもしれないですし……って感じでわたしもよく知らないんです」


彼方はそう言いながら、手元に空のコップを置くと。


「では、先輩お願いします!」


妙にかしこまった物言いで、僕を見つめる。


「何だ、これ?」


「何って、先輩のおしっこを出すために容器がないと困るでしょ?」


は? 何言ってんだこいつ。


「どこの会話から僕がお前の目の前で用を足すことになっているんだ」


「どこって……。先輩がわたしの能力を知りたいって言ったところからですけど何か?」


お前は天然かよ!なんてツッコミは不要だ。そんなこと百も承知だからな。


「僕のじゃなくて近場のもので見せてくれ。例えばあの花瓶の中の水とかだな」


僕は名も知れぬ花を指さす。

僕の言葉に彼方は何か思い出に浸った声を漏らす。


「あれは……。そうですね。あれを使うことにしましょう」


花を手で固定しながら花瓶をコップへと傾ける。


コップの半分ぐらいまで水を移すと花瓶を元の位置に戻すと、彼方は両手を前に出す。


すると、水は宙を舞い何やら剣のような形となった。


「先輩の趣味に合わせてみました!」と彼方は笑う。


「いや、こんな趣味ねぇーから!」


いやこうゆう時期男ならではだけど!?


僕のツッコミを合図に今度は霧状になって辺りに散布される。


どうやら何でもできるというのは本当らしいと感心していると、


「「「せんぱ~い。聞こえますか~~」」」


突然辺りから無数の声が聞こえた。


間違いなく彼方の声だが彼女の方を見ても、彼女が喋っている様子はなく、何なら生きているのかも疑うほどピクリともしない。


「「「ふ、ふ、ふ! 驚いたでしょ! でしょ! 今わたしは水に意識を持っていきそこから先輩に喋りかけているのです!」」」


見えなくてもわかる。彼方は今、とんでもなくウザい顔をしているに違いない。


てかもう、それ何でもの域超えてるだろ!? 


「それどういう感覚なんだ?」


「「「え~と、言葉で表すのは少し難しいですね。


たぶん寝ているとき、特に夢を見ている感覚に近いと思います。それも風邪をひいたときの幻覚に近い。もわ~ってしてくるんって感じです。


あとあと!感覚じゃないですけど、この時は五感も鋭くなってわたしの本体の約30メートルですかね? それぐらいまでなら水を経由して意識を飛ばすことができます。しかも水に面している部分の状態なんかもなんとなく感じることができます」」」 


開いた口が塞がらないとはこのことだろう。


彼女は今、体にはおらず僕の辺りに散らされた水なんて想像もできない。


……ん? ちょっと待て。ということはつまり。


「なあ、白井。今お前は水なんだよな?」


「「「え? そうですけど」」」


「仮の話なんだが、もし今の状態で本体、つまりお前の体が30メートルの距離にいなかったら死ぬのか?」


「「「う~ん、水に意識を持って行ける最大時間を試したことがないのでわからないですけど限界があるなら死ぬんじゃないですか」」」

 

彼方の言葉に僕は一つの仮説を立てる。


「「「先輩、それがどうしたんですか。もしかしてわたしを殺す気ですか!!!」」」


彼方の声も届かないほど僕は集中していた。


もし仮に、水に意識を飛ばすことに限界があるのだとしたら彼方の死因に、あの時の状況に説明がつく。


仮説はこうだ。彼方がいつもの暇つぶしに能力を使った時、彼女の体を何者かが動かし、彼女を殺した。だがこの仮説には不可解な点がある。それは彼方がそれに気付かないはずがないということだ。


彼方は少し抜けているところはあるが、こういうところはしっかりしている。


だからこの説で確定というわけにはいかない。もう少し情報を集めてみないとな。


熱中して熱くなった体に冷たいものが当たる。


ん? 冷たい?


そこで僕はやっと自分の置かれている状況を理解した。


「あの~白井さん。これはどう謝罪すれば許していただけるのでしょうか」


「んふふ。先輩、いつもみたいな土下座じゃあもう許されませんよ」


両手を僕に向けながら、にっこり笑顔で僕を見る彼方の顔はまさしく般若。


これだけならまだ前回と同じなのでそこまで怖くはない。問題はこの僕の首を狙う斧だ。大昔の処刑場か!? なんて言ってる余裕はない。


謝罪の時はプライドは捨てろ!は僕の格言だが、それすら通用しないと言われればもうどうすることもできない。


な、何かないのか。彼方が喜ぶ何かが!!


――!! いや一つだけある。彼女が欲しがっていたものが一つだけ。


「か、かき氷! かき氷を今度持ってくる。ありったけの! もう食べきれないって言うぐらいのかき氷を持ってくる。だから許してください!!」


「それは、本当ですか」


「本当です。信じてください!」


いつもの癖で床に額を擦る。どうやら僕は謝罪以外でもプライドがないようだ。


少しの間、僕は床とにらめっこをする。


パシャリという音と供に床に水が散る。能力を解除したのだろう。


許してもらえたってことか?


おそろおそる顔を上げると、彼方の顔は青ざめており、過呼吸を起こしていた。


「白井!」


すぐに駆け寄り、コールボタンを押す。


一体何が起こったって言うんだ。過呼吸への対処法は心得ており、それを施す。


いっこうに治る気配はない。能力による症状なのか。全てが理解不能だ。


「ゲホッゲホッ!」


彼方は苦しそうに咳き込む。吐血をしたように思われたが彼女の手に付着していたのは血ではなく水だった。


全身が寒気を覚える。


大丈夫か! と声を掛けそうになり口を塞ぐ。大丈夫なはずがない。苦しんでるんだぞ。何バカなことを言っているんだ僕は。


「せん……ぱい」


「!? 白井!?」


「わたし、死ぬんですか?」


こういう時、どう答えるのが正解なんだ。何を言えば彼女は救われるんだ。思いつかないことは考えない方が良い。それでいい。


「大丈夫だ! もうすぐ本部の人が来る。それまで耐えるんだ。そしたらきっと! きっと――」


バシャン!


まるで水風船が割れるみたいに彼方は僕の目の前で弾ける。


全身にかかったものは血でなく、大量の水だった。顔にかかったものを手で拭い、見つめる。


ああ、何かが溢れてくる気がする。


ポタポタと僕の顔に降り注がれる雨はとどまる事を知らない。


今思えば、この出来事は僕と彼方の別れの中で一番非道いものだった。


――地獄はまだ終わらない。 

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