『梨童』【創作昔話】
片喰藤火
梨童
梨童
昔、総(ふさ)の国に樹一郎という若者がおりました。
樹一郎は幼い頃、両親を病で亡くし、今は一人で暮らしていました。一人で生きていくのは大変でしたが、家と小さい梨畑を残してくれたので、なんとかやっていく事が出来ました。
とある年。梨の花が散り、小さい梨の実が付き始めた頃、樹一郎の梨畑へ童がやってきました。
その童は小さい梨の実をじっと眺めていました。
樹一郎はその童が梨を食べたいのかと思っていたのですが、実はまだ小さく、食べても甘くありません。
「もう少ししたらな。」
童はこくんと頷いて、てってと足早に去っていきました。
樹一郎はどこの童だろうかと思いましたが、あまり気にはしませんでした。
夏になり、気温もうだるような暑さになってくると、梨の実も大きくなり、収穫の時期を迎えました。
梨畑でいざ収穫をしようとした時、実が小さかった頃に来た童が再びやって来ました。
「お、早速来たな。」
樹一郎は良さげな実を一つもいで、懐から小刀を取り出しました。梨の皮は案外硬いので、小刀で剥いてやろうとしたのです。しかし童は、皮を剥こうとした樹一郎の手からひょいっと取って、ガシュガシュと齧って汁を垂らしながら頬張りました。
その様子を見て樹一郎は思わず笑ってしまいました。
「良い食べっぷりだなぁ。」
樹一郎は自分も一つもいで、手際よく皮を剥いて齧ってみました。
「うん。今年はいい出来だ。」
樹一郎が食べ終わる前に童は既に食べ終わっていました。
樹一郎はもう一つもいで童に上げてから言いました。
「今日の収穫が終わるまで待ってたら、少し分けてやるよ。」
童は笑顔でこくんと頷きました。
童は樹一郎が収穫の作業をしている横で、梨畑をちょこちょこと走り回っていました。童が走り回った後に、夏でも心地いい風がそよいだので、風の子かと樹一郎は思ったりしました。
数刻過ぎて、籐で編んだ篭をどさっと置いて、一息つきました。沢山あった空の篭も全て梨でいっぱいになっています。
童は並べられた篭を見て不思議に思いました。
多い方と少ない方と、二つに分けられていたのです。
「ああ、こっちは領主様に納める分だよ。ここらは米を納めなくて良い代わりに梨を納めなくちゃならないんだ。それでこっちが売りに行く分とか、米と交換する分だな。」
樹一郎の分は無いのか?と言う表情で童は樹一郎を見上げました。
「俺はさっき食べたから。あれで十分だ。それに梨だけじゃ流石に生きていけねぇからな」
樹一郎は売る分の中から梨を五、六個選びました。
「ほら。」
樹一郎は童に両手を差し出すように合図をして、童はその通りにしました。そして、童の手の中にころころと載せてやりました。
童はお辞儀をしてから梨を抱えて梨畑を去っていきました。
その後ろ姿を見送った後、樹一郎は梨の入った篭を持って思いました。今年は冬を越える事が出来そうだ、と。
その翌年の事。梨の花が咲く頃に異変が起こりました。
その年は珍しく雹が降ったりして、梨の樹が痛めつけられてしまったのです。さらに、病気が広まって梨の樹に花が殆ど咲かなかったのです。ただ、樹一郎の梨畑では何故か雹の被害は無く、病気が蔓延することも無く、梨の花が沢山咲いていました。
花が沢山咲いた通り、梨は豊に実りました。そして今まで以上に収穫が見込めそうになりました。
村では樹一郎の梨畑だけ豊作になったことを不思議に思いました。
いくら考えても原因は分かりません。分からずとも豊作なのは確かです。樹一郎の梨畑以外は殆ど収穫が無く、このままでは冬を越せずに皆死んでしまいます。村人達は樹一郎に梨を分けてもらえるよう頼みこみました。
樹一郎は人が良いので、村が困っているなら仕方ないと、売る分から村人に分けてあげました。
それからほどなくして、樹一郎の家にお役人と数人のお侍がやってきました。
「樹一郎とはお前か?」
「はい。」
「凶作でもここの梨畑は大層実っておると、村人たちから聞いた。」
「はぁ……。しかし、これ以上納めたら死んでしまいます。」
「他の者に与える程豊作だったのだろう。まさか他の者に配っておいて領主様に納めないなど考えているのではあるまいな。」
「滅相もございません。それにお納めする分はきちんと取ってあります。」
「他の者にやるほど実ったのならば、他の者の分の税もお主に負担してもらうとしよう。」
樹一郎は反論しようとはしましたが、お役人はこれ以上話す気は無いと言うように、樹一郎を押しのけました。
お役人の人達も今年の災害のせいで梨畑以外でも税の取り立てに苦慮していたのです。ですから自ら赴いて、適当な理由をつけてでも税を取り立てようとしていたのです。
お役人とお侍は、まだ実っている梨までもぎ取っていき、樹一郎の家にまで押し入って何もかも取っていってしまいました。
樹一郎はその様子を見ている事しか出来ませんでした。
お役人とお侍が去った後、樹一郎は仕方なく村の人達に事情を話し、梨を少し返してもらえないかお願いしに行きました。けれど誰一人として返してはくれず、皆もう既に米や銭に換えてしまったと言うのです。
帰って来た樹一郎は梨畑の隅にある切り株に座り、がっくりしていました。
「せっかくの豊穣でもなぁ。まさか一つも残らんとは。」
草を踏む音がして振り向くと、昨年の童が立っていました。
「すまん。今年はお前にやる分は無くなってしまったよ。」
樹一郎は寂しそうな顔で事のあらましを童に話しました。童は表情を変えずに黙って聞いていました。
樹一郎は童に愚痴っても詮無き事だと切り株から立ち上がりました。
「くよくよしてても始まらねぇ。上げちまったもんは仕様がねぇし、持ってかれちまったもんも仕様がねぇ。不得手だが猟をしてでも今年の冬を乗り越えねぇと」
樹一郎は童の頭をくしゃくしゃと撫でてから家に入っていきました。
一方領主の邸では、樹一郎から取り立てた梨を領主が美味そうに頬張っていました。
「ふん、何が凶作か。育つ所には育っているではないか。手間を掛けさせる。」
しゃくしゃくと梨を食べていると、襖がすっと開き、樹一郎の所へいつも来ていた童が現れました。
「なんじゃ童が。おい、誰か。こやつを邸から叩き出せ。」
家来を呼んでも誰も来ません。辺りは静まり返っています。
何やら只ならぬ気配を感じ、領主は太刀掛から太刀を手に取りました。
「おのれ物の怪か!」
領主は刃を抜いて童に斬りかかりました。けれど太刀はふっと空を切って空振りしてしまいました。続けて童を斬っても透き通ってしまいます。
領主が息を切らして数歩下がると、童は右手の手の平を領主に向けました。すると、領主は動けなくなり、天井から突然梨が一つ降ってきて、それが領主の頭に当たりました。
「いたっ!」
領主は足下に転がった梨を見て、いったい何処から降って来たのかと疑問に思いました。
そう思うのも束の間に、次から次へと天井から梨が降り注いできました。
「痛い。こら、やめろ。」
次々に梨をぶつけられて、領主は堪りません。
領主の痛がる声が邸に響き、それを聞いた家来が急いでやって来ました。
「如何なさいました。」
家来は部屋の中へ入ろうとして驚きました。襖を開けると部屋が梨で埋め尽くされていたのです。その中には、童と梨に押し潰されそうになっている領主が居ました。
「奪った物を樹一郎に返せ。」
「奪っただと? これは税として……。」
領主が話し終わらないうちに、童は更に強く梨を圧しつけました。
「わ、わかった。わかったから早く……退けてくれぇ。」
童が手を下ろすと、梨がふっと消えて、押し潰されそうになっていた領主もドタッと床に倒れました。
童は領主から視線を外して、今度はその様子を呆然と見ていた家来の方に振り向きました。
そんな出来事など知らず、樹一郎は家で普段使わない弓矢や罠を整備していました。弓の弦を張り直したり、罠の錆や埃をあらかた取った後、家の戸を叩く音がしました。
開けると村人達がすまなそうに佇んでいるのです。
「どうなさった。」
「いや、その、すまんかった。これは梨を米に換えた分だ。少しだがお返しする」
「いや、しかし、上げた物だから。それに冬が越せないと困るでしょう。」
「いいんだ。俺らもお前一人に頼り過ぎた。足りない分は俺達も魚や獣を獲ろう。」
樹一郎は次々にやってくる村人に一体何が起こったのか不思議に思いました。なにせ皆の顔や腕、足などには痛々しい痣があるのです。
最後に来たお役人の痣は村人より酷く、げんなりした表情で言いました。
「今年は凶作故、税は大目に見ておいてやる」
「はぁ……。」
樹一郎は訳が分からないまま気の抜けた返事をするだけでした。
後日、村の人達に聞いてみると、皆の前に童が来て、不可思議な妖術で梨をぶつけられたと言う事でした。そして梨を貰った分の少しでも樹一郎に返せ、と。
それから領主はお役人以上に殊更激しくやられたそうで、一週間ほど寝込んでいたとの事です。
「もしやその童と言うのは……。」
樹一郎は昨年と今年に来た童の事を村人に話しました。童は妖ではなく梨の神様で、罰が当たったのでは、と言う事になりました。
村人達は樹一郎の梨畑の近くに祠を建てて、梨の神様としてお祀りすることになりました。
その後、童は樹一郎の梨畑に現れる事はありませんでしたが、樹一郎は毎年欠かさずその祠に今年一番の梨をお供えするようになりました。
以来この村では、梨畑の下で子供に梨を両手いっぱいに持たせて走り回らせる行事が始まり、それを行うと次の年の梨は元気に実ると伝えられ、今でもその子供を「梨童」と言う風に呼ばれるようになったのです。
そして、梨を貰って不義理をすると梨の神様に祟られて梨痣を付けられる。と言う風に伝えられているのです。
――おしまい――
『梨童』【創作昔話】 片喰藤火 @touka_katabami
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