ノード.4

 わたしには不思議な様子が視えた。

 霊感が強いだとかその類ではなく、はっきりとした輪郭を得て幽霊が視えていた。

 幼いころに周りには視えない人がわたしには視えていて周りが不気味そうな目でわたしを見ていたことが蘇る。

 視えてはいけないもの、関わってはいけない人という人間にうつり変わってしまう。


 あまり口に出してはいけないものなのだろうとわたしは知った。

 よくある、子供の方がそういった夢をわたしは見ていたのだろうと、あまり幽霊のことを口にしなくなった頃に周りの人たちは深堀をしなくなった。忘れてしまったように異端の目を浴びることもなくなっていた。ハルはそんな中でも変わった様子をみせずにわたしとの友達を続けてもらえた。


 父親には、うちの家系ではたまにあることだと言った。

 幼い子供は純真無垢なゆえに霊感に優れている、先祖代々受け継いだ土地で育った身だからそういうこともあるだろうと。

 けれど、そういうわけにはいかなかった。

 甲冑を着こなした幽霊、長く大きい銃を片手に彷徨う幽霊。

 見るからに危険そうな幽霊が目に映る。


 そんな光景ばかりを眺めていたわたしは九つを過ぎたころに未だ視えた幽霊について両親に相談したが、母は嫁入りのため知見がなく、そんなことがあるのか、とたじろぐばかり。父はしばらく思案したあと問題ないだろうと結論付けた。両親に取り合ってもらえていないようなもやもやが残りながら、わたしは幼いながらこのことについては無関心を決め込んだ、というのもおかしなことにそこに在るはずのない幽霊に触れることができるようだった。わたしが触ることができるということは幽霊もまたわたしに干渉することができるのだろう。


 ゆえに、わたしは幽霊がらみで起こってしまう惨状については、無関心で生きていたいのだが、目下家路にもつけなくなっていた。

 稀にある真夏日で頭がどうにかなったかと思っていた。

 右往左往とする幽霊に気づかれないように視線を送る。

 ハルはわたしにどうすればいいのか問いかけてくるが、わたしはとくべつこのことに知識が広いわけではない。どうすればいいのか、むしろわたしが知りたいくらいであった。だからといってハルが特攻を提案するわけでもない。

 きっと――視えるのなら視られる。

 足がすくんで前に出るわけもない。

 お互いにわけのわからない状態で、どうしようもなく出入り口からおとなしく退散するだけだった。お会計を済ませていたが立ち眩みがすると伝えて座っていたテーブルに向った。


 ついでにセルフサービスの水を汲んで先ほどまで座っていたテーブルについた。

 頭を抱えるようにしてテーブルの上に伏せた。

 店内に響く音楽や人の声も耳に入ってこない。

 今まで体験したこともないような未知に怯えるばかりしかできない。

 眼に入っても一人や二人、ほかに多くありそうな場所には気配でわかっていたため立ち寄ることもなかった。その多くはやはり魂が祀られているような神社や墓地といったいわゆる心霊スポットのような場所ばかり。

 それとはまるで無縁、かつ今まで通っていて問題はないと判断しているようなこの繁華街で起こっている現象なのだった。


 わずかばかりの対抗手段を所持していればきっとこの怯えもなくなるのだろう。

 どうしろっていうのか。そんな言葉ばかりを反芻している。

 とりあえず今できる手段といえば、時間を潰してこの幽霊と人でごった返した状況が少しでも良くなることを祈ってみる。

 そんな風に力なく祈っていたのだが、当然として幽霊の慣習的にそんなことがあるわけもなかった。すでに時間が日の入りに近づいている。夜が近づいてくると、或いは陽の光が弱くなると幽霊は活発になってより形を得る。


 いぜんとして、流れが澱むことを知らない様子だった。

 いつまでも店内にいられるわけではないし、事情を話したところで白い目で見られてしまうだけだ。

 ため息が出る。

 ハルと一緒にいることも忘れて自分の思考にばかり没頭している。

 なにか話しかけてきているが耳から通り抜けてしまい、曖昧な返事ばかりしていたような気がする。

 頼ることができそうな人は――お父さんくらいだろうか。でも、幽霊が視えることについて知ってはいるけど、具体的に何かができるわけではないだろう。

 誰かそれっぽく頼りになりそうな人が思い当たらない。

 視えないものに対する対処方法なんて普通の人が知っているわけがない。

 そもそも、概念的な問題に対処する方法なんてあるのだろうか。

 こういった状況における準備などしているわけがなかった。

 この眼のことから逃避することばかりだったのだから。


「――本当にどうしたらいいんだろ」

 不安と恐れに苛むわたしをハルは真っすぐ見つめてくる。

「大丈夫だよ、頼れる人がもう来たから」

「えっ?」


 ハルのじっと覗くような瞳に吸い込まれていく。

 空回りばかりの思考が徐々に鮮明になり、環境になじんでいった。

 消えていた音が聴こえてくる。

 自動ドアが開き、店員のいらっしゃいませという声が響く。


 大柄の白髪の男と明るめのベージュに近い髪色の美人が店内にやってきた。

「信也――と奈々さん?」

 どうしてあの二人がわたしたちと同じ店にいるのだろう。

「やっほー! 奈々さんこっちこっち~!」

 周りの視線を気怠そうにしている信也と快活とした様子で手を振る奈々さんがこちらの席にやってきた。

「こんな場所に居やがって。手間かけさせんな」

 行くぞ、とさっさと出ていきたいと言わんばかりに背中を向けた。

 悪態をつく信也を無視して奈々さんはわたしの隣に座った。

「ちょっと疲れたし、少し話聞いてからでもいいでしょ。愛永さんの話なんてよくわからないんだし」


 やや時間が経ってから振り返って、信也はわたしの隣に座った。

「それもそうだな。むやみに出たところでろくでもない目に合うからな」

 奈々さんは一人楽しそうにメニュー表を広げて楽しそうに眺めていると「あまり時間はないぞ」と釘を刺されて、すぐ用意してもらえそうなドリンクを二つ注文した。悔しそうに今度は私たちだけで来ようね、と信也を除いた三人の約束をした。

 そんな奈々さんの様子を傍目に信也と目も合わせず、話を始めることにした。


「何か用?」

「ちょっとした頼まれ事でな、お前を助けてほしいって言われたんだよ」

「そうそう、しかも二人からのご指名」

「二人?」


 ギクッとハルの首が引っ込んだ。

 大方、わたしが突っ伏して考えているときに何か連絡を入れたのだろう。

 しかし、犯人が一人判明したがもう一人は誰だろう。

 やや無関心な態度が過ぎた気がして、信也のことを少し見た。

「オレはお前の事情をよく知らないけど、厄介ごとをふっかけて来たんだ。状況は芳しくないんだろ。どうなってるのか聞かせろ」

 ちょっとムカつく。こういう時に声をかけてくる信也はいつも頼りになってくれる。


 わたしの視えている世界がわかってくれるかどうか疑問だが、人を選んでいる場合ではない。藁にもすがるような思いだった。

「どうなってるのか――そう言われても。まず、そう」


 ましてや、自身が逃げていたばかりのことだから隠し事をしたってしょうがない。

 それに奈々さんも信也も変な偏見はきっとしないだろう。

 意を決して、わたしの眼のこと、幽霊のことを伝えることにした。

 大した話ではない。わたしの実体験とある程度考察できることを伝えた。

 幽霊が視えること、昔は幽霊に触ったことがあっておそらく今も触れられること、そして今日の繁華街は幽霊でごった返していること。

 話をしたことで自分の中でも整理されて、わたしが幽霊に対してあまりに無知であることが露呈した。

「へぇ、話には聞いてたけど本当だったんだね」

 奈々さんは滴るような潤んだ瞳を見開いて、ドリンクをズコズコと吸っていた。

 本人はさも当然のように話を事実として受け止めた。

「改めて聞くと本当に嘘みたいな話だよねー。いる気がするんじゃなくて、見えてるってさ」

 ハルがうんうんと頷く。

「仕方ないでしょ、わたしに対処する手段なんて思いつかなかったんだから。万が一、男の子だったら戦ってみたりしたかもしれないけど」

 信也は顎に左手を置いて右手で小刻みに机を鳴らしている。


「お前そんなものが視えてたのか」

「ええ」

「ずっとか?」

「ずっと」

 信也は舌打ちをしてすこしだけ机を見つめた。


「けど、アレだろ。視えてるのは宙に浮いた淡い色のもの」

「いや、人の形してるけど?」

「オレにはそう視えるんだよ。あんなもの昨日までなかったし、数が尋常じゃなかった。ってことはこれで手前だけの問題じゃなくなったな」

 信也は自虐気味に笑った。

「オレは触ることなんてできないけどな」

「うそ。え、本当?」

「当たり前だろ、じゃなきゃアイツが自分で出張ってくるだろ」

 信也は立ち上がった。

 もうすでに暗くなってきている。


 早めに出ないと幽霊がいよいよ活発になってくる。

「カリン、これをあげる」

 奈々さんから藍色のお守りのようなものを渡された。

「愛永さん特性、力を抑える護符だって。それ持たせてから出て来なさいって」

 わたしにはどういうことかわからないけど、重要なものらしい。

 愛永さんって?

 さっき言っていた二人目のことだろうか。

 とりあえずスカートのポケットに入れておいた。

「事情はわかった。遅くなる前に早く行くぞ」

 各々立ち上がって改めてお会計を済ませた。

 外はあまり見ず、お会計をしている友人たちを待っている。そんなありきたりのような素振りに努める。

 彼らが助け舟としてやってきたが、やっぱり手に汗が滲んでくる。

 先ほどよりもややマシにはなった。

 足が震えたり慟哭することもない。

 淡々と。

 悟られぬよう無表情や自然を突き詰める。


「お待たせ、それじゃあ行きましょう」

 見つめる慈愛を含んだ双眸に甘やかされるようで、なんだかんだ抜け目のない奈々さんに若干見透かされている気がすることにため息をついた。

 そうして振り返えり、透明の硝子張りの自動ドアから外を見やった。

「――」


 息を吞んだ。

 流れるような人の群れ。しかし先刻と違うのは。

 わたしの眼にはあれほどくっきりと映っていた幽霊たちが形を失っていた。

「行くぞ、大丈夫だ。いざとなったら三人抱えて走る」

 ポンッと背中を叩かれる。

 夕刻はすでに去った繁華街へもう一度歩みを進めた。

「こっちだよ」


 奈々さんがわたしたちを先導する。

 繁華街には無数に淡い色をした球体がへその辺りを浮遊していた。

 信也がさっき話していたものはこう言ったものなのだろうか。

 形はないけれど不快感が妙に残る。

 そしてソレに触れてしまっても問題はなさそうだ。

 しかし、妙な不安感ばかり残ってしまう。

 透きとおる、触れられないソレに触れるたびに。

 ――なんというか、喪失感を感じる。


「大丈夫か?」

「大丈夫よ、触ることはできないみたいだから」


 別の問題があるかもしれないからあまり話はしない。

 視えないけれど意思疎通ができるかもしれない。

 用心につぐ用心。

 大雑把な性格だと自負していたが、珍しく慎重になって動いている。

 人か幽霊か。どちらの騒ぎか知る手立てはない。

 わからない以上、慎重にならざるを得ない。

 交差する人たちは無関心を決め込んでいるわけではなく、単にアレが視えていないだけなのだと知った時はどれだけ幸せなのか恨んだこともあった。


 四人で歩を進めている。

 先頭のハルと奈々さんは仲睦まじく話しながら歩いている。

「わたし、こんな風に貴方と歩く日が来るなんて思ってもいなかった」

 ふいに、思いついたことを口にした。

 信也は本当に嫌そうな顔をした。


「うるせぇ、黙って歩け。もう着く」

 ぶっきらぼうに告げる口はおよそ悪意らしい悪意もなかった。

 そういえば、信也はこの揺蕩う光をいつごろから見えるようになったのだろうか。

 いやそれよりもっと気になることがあった。

 この二人、信也と奈々さんはどういった仲だったか。

 しばし考えた後、よくもまあこれほど考え事ができるほど余裕ができたものだと、何となく自嘲する。今日一日で良いことがあったり、悪いことがあったり、少しばかり身体が疲れてきた。

 そこから先は信也と話すこともなくじっと歩いていた。

 信也が殺気を立てて視線で人を傷つけてしまうくらい怖い顔をしながら、周囲に目を配っていることが分かった。


 街灯がぽつぽつと目立ってくる時間になっていた。

 昼間の熱気も影を潜めて、辺りの残った熱もすでに冷えかかっていた。

 吹き抜ける風はわずかに肌を立たせるようだった。

 しかしながら、さすがは唯一の繁華街といったところで華の金曜日を待ち構えていたサラリーマンたちが今日ばかりは飲み会に励もうと人の熱気で夜の冷気を忘れていた。

 そんな初めての夜の街だった。


 大通りから外れた道に入って、薄暗く湿っていた路地を真っすぐに進む。

 ビルとビルの間。使わなくなった機材やゴミが散乱している。

 闇の色が濃くなっていく、五メートル先もあまり見えない。

 路地に入って少し歩いてから信也は立ち止った。

「ここはもう安全だ。そのはずだ。ふつうは入ってこれないはずなんだけどなぁ――」

「どうしたの?」

 信也は後ろを振り返って何かを確認した。それに倣ってわたしも後ろを一緒になって振り返った。

 わずかに背筋が伸びる。

 見える先には何もなかったが、夜風に当てられたのだろうか。

 いくら注視しようともその先には何も見えなかった。

「気のせいか」

「いや気のせいじゃないと思う。なにかいる……」

 奈々さんとハルは先にあるビルの中へすでに入ったあとだった。

 残るのはわたしと信也だけ。

 早く中に入ってしまいたいが――気を抜いてビルの方へ振り返ってしまうと襲われるような気がする。

「あっ――」

 聴こえる。

 唸り声。獣のような唸った声。

 とたん、がなり立てたような声を上げて何かがこちらに走り出してきた。

「きゃ――!」

 わたしに向って襲ってきたソレは人だった。ひょろ長い腕を振りかざしたところでわたしは思い切り目を瞑ってしまい、視界は暗転した。

「――おい、なにしやがる!」

 何もなく、恐る恐る目を開くと信也が手のひらで男の顔を捕まえていた。

 そのまま軽々と投げてしまいガシャンと音を立てて積み上げられたごみの山の中突っ込んでいった。行くぞ、と言ってわたしを米俵みたいに軽く抱え上げて、わたしはよく理解できないまま、神波愛永の根城に踏み入れたわけだった。


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ゴーストハート 富良野なすび @utaiutai

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