ノード.2-2
ノード/2
七月二十二日
「理由はわからないが、近頃周囲の様子が浮ついている。浮ついているというのはやや語弊があるな。ゆるりと進んでいたはずの時間が少しばかり澱んでしまっている、とするのが正しい。それを人々が感覚的に感づいてしまっている。ここには世界にとって貴重な土地がある。調査を頼んでも良いか?」
愛永さんは愛銃の手入れを終えて、煙草に凝った細工を施したライターで火をつけながら頼んできた。
「また、面倒ごとですか――」
そう返すと愛永さんはにやりと笑った。
「そう面倒がるんじゃない。私の手足となって動くと決めたのはキミじゃないか。それに私の使い魔として動ける者がここではキミしかいないんだ。ただの調査だからそれほどお金はやれないが、まぁバイト代よりは高いはずだよ」
キイキイと古い回転椅子を鳴らしながら、揺蕩う煙を見つめていた。
一息ついて、三分の一程度吸った煙草を大量の吸い殻が乗った灰皿に押し付けた。
スーツに栗色の髪の毛がよく似合っている。薄めの唇に触れている煙草の姿が綺麗で、そんなぶっきらぼうにお願いされるとこちらも困ってしまう。
多少の好意を振り払うように睨みつけた。
「あのなぁ、こっちも暇じゃないんだ。愛永さんのおかげで学校のことは誤魔化せているけど、たまには顔を出せってうるさいんだよ。明日は絶対に来いって突っつかれてるし」
「良いじゃないか、たまには顔を出しなさい。大切にされているじゃないか」
慈愛ばかり含んだ顔であっさりと言った。
「わかったよ、わかりました。行ってくればいいんだろ。それで具体的な内容は?」
ありがとう、と愛永さんには似合わない言葉。
「まず、私の眼をやろう」
「目?」
「キミの眼では虚ろは映らないからね。こっちに来なさい」
言われるがまま愛永さんのそばに立った。
それではやりにくいからと膝を着いて座っている愛永さんに高さを合わせた。
「また身体が大きくなったか。筋肉も中身が変わりつつあるし申し分ないな。本当に君は只の人間か」
「これだけ愛永さんのところで働けば否応にも変わっていきますよ」
皮肉じみた一言をかけたが相も変わらず、そんな交戦には応じない。
「キミの目は本当に綺麗だね。さ、ちょっと痛いから我慢しなさい」
瞼を閉じる前にまじまじとオレの目を見つめる。
昨日も夜遅くまで動いていたせいで熱くなった瞼を閉じながら、ふわりとした柔らかな光の暖かさに心地良さを覚える。
すると、
「――ッ!」
左目に電流が走るように強い痛みが襲った。
眠気も吹き飛んでしまう、針を刺すようだった。
しかしそれは一瞬だけであった。
「そら、終わったぞ。私の眼を移したが、違和感のないようにキミの瞳と同じ色にしておいた」
一瞬の激痛とはいえ、痛みが少し残存している。
「もうちょっと痛くないようにできなかったのかよ」
「なに甘えたことを。大していたく無かったろうに、瞬間的に痛覚を刺激したからどちらかというとびっくりしただけだろうに」
愉快そうに笑っていながら何本目かの煙草に火をつける。
「どうせ慣れるまでしばらくかかるだろうから、魔法の世界においての眼の話をしてあげよう。たとえば、信也にこれはどう見える?」
愛永さんは箱から何度も取り出している煙草を取り出して中指と薬指に挟め掲げた。
「どうって、ただのタバコにしか見えないぞ」
「そう、これはただの煙草だ。だが、もし見えていなかったとしたらこの煙草は本当にここに存在するのだろうか? 物体は確かに存在する。が、視認できなければそれは偽りなのではないか、或いは視認できなければ世界そのものがそこには無いことと同義だ。真実と断定できないものは偽物と称されることになる。
魔法にとって視認することが、世界を構築することにおいて最も重要視される。ではなぜか。視覚以外で触れたとして視ることができなければ、ソレに銘を打つことはできない。銘を打てないことは無いってことだ。偽物だからね。
魔法において眼とは魔力よりも必要な要素となってる。
もうそろそろ視える頃合いだろう。ソレが私の見えている世界だ」
◇
喧騒がやや穏やかなになっていた。
しかし、穏やかな夜には些か喧しい。
時刻は夜八時をまわったあたりで、昼間に愛永さんから依頼された事を調べなければならないらしい。愛永さんの眼を貰ってからあっさりとした説明をされて、時間だと言われてそのまま外に出された。効果は理解したのだが――アレは理解させる気があるのか怪しい。『先が視える』とだけ言っただけだった。それに使い方がさっぱりわからずじまいだった。
愛永さんはオレを奴隷か何かと勘違いしていないだろうか。
「あの人、いつか絞める」
いまだブレる視界に混乱しながらふらふらと歩いていた。
調べてくれと頼まれはしたが、オレは探偵としては向いていない。
特別頭が良いわけでもなければ、身体が大きいから隠れて何かを詮索するにも悪目立ちしてしまうことが目に見えている。
段々考えることが面倒になってきたので、路地裏の知り合いたちに変な噂がないか聞き込みをしていた。
この街にも少なからずアウトローに寄った人たちが住んでいる。クスリの元バイヤーやら喧嘩に明け暮れていた連中やら、そういった一度道を踏み外してしまっていた連中だ。半ばヤクザみたいな関わりのある奴もいた。オレよりもずっとアブナイ連中ばかりがこの街にはたくさんいる。そういった奴らは独自の情報網を持っている。
故に情報を集めるには関わるしかないのだった。
断片的な情報を繋ぎ合わせるように。
噂程度の話ですら、ソレは輪郭的に形を得る。
交換条件でたまには厄介ごとを頼まれることがある。
元々はオレだってこの吹き溜まりで時間を潰していた人間だ。
顔が効く分、それはある意味有名税だと思って禄でもない頼まれごと――犯罪者の片棒を担いでしまうような真似は一切お断りだが、多少の頼まれごとは受けている。
だが、今回は愛永さんの様子を見るに急ぎの依頼らしい。
そんな頼まれ事は後回しにして動き回っている。
途中、襲撃にもあって喧嘩をしたが、そんなものに時間を割いている余裕はなかった。
手加減なしでさっさとあしらった。
そんなこんなしているうちに時間が経ってしまった。
探偵の真似事なんてオレには向いていないことは明白だった。
ここでは変わったことが日常茶飯事の場所だった。非日常ばかりの面が目立ってしまって、情報を整理するまでもなく何もないらしい。情報屋らしい人物に会うことができれば良いのだが、行方をくらましてしまっているらしい。
それよりも妙に気になるのは――血の気がありすぎる。
血気盛んと言わんばかりに。
もっと深く昏い場所だったはずだ。
何もなさすぎると四苦八苦していると足音がした。
「信也さん、何してるんですか?」
よく見知った顔だった。幼い顔の華奢な身体の男だ。
「詳しいことは知らん、ちょっとした頼まれごとでうろついてるだけだ」
「また頼まれ事ですか? 信也さんって意外とお人好しですよね」
お人好しなんて言われる覚えは全くない。
「そうだ、お前もオレのこと手伝えよ」
「やです、信也さんといると碌なことにならないんですよ。まぁ簡単なことでしたら良いですけど」
「簡単なことか――スミスの居場所知らねぇか?」
「スミスって情報屋の? 良いですよ」
「おい、まじかよ。お前の人脈どうなってんだ」
こんな簡単に会えるなら困ることなんてなかった。
「やっぱやめとくよ。お前は信用できない」
言葉が軽く聞こえてしまう人間は信用するわけがない。
それに話が簡単に進みすぎると良くない方向へ向かってしまうような気がする。
「そうですか、なら自分の力で頑張ってください。じゃあ僕はこれで失礼します」
「おい、ちょっと待て。一つだけ――最近変わったことないか?」
「変わったことですか? そうですね、ピンと来るような変わったことはないのですが、そうですね――最近喧嘩がめっきり減っています。信也さんがぼこぼこにした人たちくらいしか暴れてなかったんですよ」
男の声にしては少し声変わりの遅れたような高さがあるから軽く聞こえてしまうのだろうかとひとりで納得していた。
「喧嘩が減った? ここの?」
はい、と男は頷いた。
「そもそもこの辺の人たち、いつもより少なすぎると思いませんか?」
考えてみると目的の奴らがすんなりと見つかった。本当ならオレが会った連中は面倒なことに巻き込まれたくないからと、バーやらビルの廃墟やらに隠れていることが多いはずなのに、今日は表に出ていた。目立って出歩く奴なんて腕が立つくらいだ。
なのに今日は表を連れもなしにどいつも一人で出歩いていた。
理由を詳しく聞くべきだった。
それにオレは町全体が興奮していると思っていた。
こいつはその逆だという。しかし、つじつまが合う。
実際この辺りで情報収集するのに日が回ってようやく終わるかと思っていたのに、まだ二時間程度しか経っていない。
くそっ、考えれば考えるほど奇妙なことになってしまっているらしい。
「ありがとう、すごい助かった」
小さな頭に手を置いた。
「どういたしまして。でも、その様子だと信也さんが連中を締めてくれたわけじゃないんですね」
「オレがそんなことするわけないだろ。オレはここではもう終わった人間だ。ここの行く末はここの人間が決めていくことだろ」
まったく愛永さんみたいなことを言うようになってしまった。
じゃあ改めて僕は帰ります、と踵を返した。
どうやら本当に面倒なことになっている。
これ以上のことがここでは掴めないような気がして、愛永さんのところに戻ることにした。
何となく街の外れから出て大通りの方へ向かった。
人が少ない方から多い方へ向かっていく。
良くないことが起こっているのだ。少なからず噂になっていそうだから、こんな場所から出てきたことを見られたくはない。
やや人の気配が多い気がするのだが、こちらから出ればびっくりするほど目立つということはなさそうだ。如何せん、美坂の繁華街はそっちよりのお店やら普通にアウトな店もごろごろあるので、変な場所から出てきた高校生というのは否応にも悪目立ちしてしまう。もっとも、繁華街のお巡りさんとは面識があるから話はすぐに通じるはずだ。喧嘩をしたらすぐに連行されてしまうから今日はおとなしくこちらからとなる。
歩きながら腕時計を確認した。
午後十時。
夜は深くなっているが愛永さんは就寝時間、起床時間ともに夜の仕事をしているみたいに遅いからまだまだ大丈夫だ。
だが、明日はオレが学校に呼び出されている。
さっさと愛永さんに報告を済ませてしまいたい。
もっと人の少ない通りを歩いていたいが、愛永さんの事務所は大通りからしか行けない路地の奥の方にある。
オレの風貌だと人の目線を買ってしまうからあまり人の多いところは歩きたくない。
十時だっていうのに制服を着崩した高校生や髪の色を派手に染め上げた悪いことをしてそうな人たちがこっちを見ている。
さっきもこんなことがあったな。
怯えてこっちをちらっと見てそのまま帰ってくれると嬉しいが。
周囲を気にかけながらだらだらと歩いていると、横に抜ける路地から聞き覚えのある声が聞こえてきた。ここからは見えないが声の聞こえた方に眼を向けると二人ほど――大柄な男と白瀬奈々の姿が視えた。
視野の拡張か或いは先を見通すという能力があるらしい。能力の使い方はまだわからないが、妙にハッキリ視えているからこの視界は本物だろう。
そんなことを考える前に早く白瀬のところへ向かわないとまずそうだ!
「ヤバそうだな――!」
本気で走るのは久しぶりだ。
体中の血液が一気に沸騰する。
人混みを縫うように走り抜ける。
一気に興奮したためたかだが百メートルの距離が長く感じる。
コンビニの横の路地に入り、曲がってすぐそばのところだった。
視界に入れた本物はコンビニから漏れた光に照らされている。
間髪入れず、一気に筋肉が熱発した。
「ちょっと何するのよ! 私を引っ張ってなにするつもり!?」
血は滾り、世界は明滅した。
◇
「――あぁ……ぇ?」
考える間もなく、白瀬の腕を掴んでいる大柄の男の肘に左の前腕を強くぶつけ、そのまま男の顔面に向けて拳を振り抜いた。
「オレの友達になにしてやがる」
「信也!」
男はよろけながら後ろに下がった。
奈々は突然の出来事の連続に腰を抜かしてしまって、その場に力なく座り込んでしまった。
酔っぱらっているのとは違ってアルコールの臭いではなく、甘ったるいケトン臭に近い。
それはここ二、三年で出回るようになったクスリの特徴だった。
人によってハイになったり、ダウナーのような症状と様々だが、一番の特徴はその臭い。
鼻孔を突くような臭いと呂律が回っていないような動作からすぐにクスリをやっていると判断した。
クスリを恒常的に使用していて目が落ち着いていない、およそ成人の男性とは考えられない様相だった。
贅肉を蓄えた身体を揺らしながら、のそのそと立ち上がろうとしている。
ソレを冷静に男を観察して、もはや人間ではなくなっていると判断した。
「おい、白瀬逃げるぞ。立て」
「え、あ、腰が抜けて立てないかも」
悪漢に掴まれたという恐怖で状況を読めず、へらへらと笑っていた。
「面倒なヤツだな、掴ま……ッ!」
男が拳を振り上げた瞬間が見えて信也は奈々の手を引いて身体を自分の方へ寄せた。
左手で奈々の眼を隠して右の手のひらを男の顔面に打ち付けた。
「しつこい!」
力は入っていない、ただ当てただけの掌底打ちに男を後退させるだけの威力はなかった。
それでも、奈々を抱えて走り去るだけの時間を稼ぐには十分に効果があった。
男は鼻を痛そうに押さえて、その巨躯は小さくうずくまるように下に向けている。
「ちょっと身体触るぞ」
「え? え?」
そう言って信也は奈々を軽々と抱えて野次馬の集まる人混みを、ぶつかったしても物ともせずに驚くべき速さで駆け抜けていった。
一方で奈々は恥ずかしそうに顔を赤らめたまま、信也に抱えられて暗夜へ消えていった。
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