ノード.1-3
まだ明るい真っ昼間。人ごみに紛れてハルと一緒に何となく歩いている。
気分は空模様そっくりの晴れ晴れとしていたはず、帰るにはまだ早いと言ってどこへ行こうと決めているわけでもなく適当にふらついている。
さして高いとも思わない高層建築物がところ狭しと並ぶ繁華街の中は乾いた熱気で滞留して今年一番の夏をいやおうなしに痛感させる。行き交う人々から感情という感情をそぎ落として人として生きるに重要なものを失わせている。そんな人々に倣い、やがてわたしの中から爽快な感情はあっさりと融解してしまった。
最終目的地はハンバーガー屋さんだ。
暑い暑いとわたしはしきりに呟いているがこの地域には見合わない猛暑だった。なんてったって、昨日まではセーターを着ていたって問題ないくらいの気温だった。さすがにブレザーは脱いでいるけれど、夏の始まりはとつぜん到来したと銅鑼の音よりもずっと強くやかましい、歓喜の声が街路樹からしきりに聴こえてくるのは新手の拷問かと思ってしまう。太陽はすでに隠れようとしているはずだ。そうであってくれと願っても視界に差し込むような陽射しは疲れた心身に突き刺さる。
雪国には見合わない天候。そんな中でもやってきた夏休みに心を躍らせる学生たちの喧騒と身体の水分を飛ばしていく苦しさ。
少しばかり意識が飛びかけている。暑いのは嫌いだ。
それと比べ冬は良い。
まず、静かだ。積もり積もった雪が自分の呼吸の音さえも吸い取って、音のない世界に浸り続けてなにもせず立ち尽くしているだけでも、誰にも干渉されない世界が出来上がる。とうぜん、虫の声も機械の音も遠くのものになる。
静寂の降雪は芸術品だ。どの芸術家よりも圧倒的に美しい。そこに人工的な光と偶然積もった雪が重なれば、人の心は圧倒される。
指が落ちそうになる寒さはさすがに堪えてしまうが、身体が軋む程度の冷え込みであればわたしに生きているのだという実感をくれる。
あと眠れる夜がいやに気持ちが良いのだ。
素晴らしい冬、サンキューウィンター。
でも年中冬は嫌だから、少しの夏と冬を繰り返してください。
鹿さんたちは冬眠していてください。
車でぶつかって廃車になってお父さんが泣いていたので。
強い光の太陽の照らしに負けそうになりながら、ぼんやりと歩いている。
今年初の夏との対決はわたしがあっけなくワンラウンドで負けてしまっている。
「ちょっとカリン大丈夫? もうすぐだから!」
「暑い、人が多い、うるさい」
「ダメだこれ、人多くないから! もうすぐだから!」
ぺちぺちと叩かれながら必死に歩いている。
というより歩かされている。通り過ぎていく人をなんとなく視界に入れている。
人が多い、多すぎる。喧騒と人混みがおかしい。人の量と釣り合っていない。
耳が遠くなってしまったのかな。
最近はずっと睡眠不足だったせいで少しの体調の変化が命取りだった。
暑さに自信があるわけではないがギリギリ真夏日程度の気温なのに。
「もうダメ」
「ダメじゃないって! もう入るから!」
熱中症ではなく、暑さにまいってしまっているだけだと理解しているハルは周りがざわざわとしている中、容赦なく引っ張ってくれている。
ようやく目的地に着いて自動ドアの目の前に立っているが、開くまでの時間がとてつもなく長く感じてしまう。開き切らないドアから流れ込んでくる室内の冷気がこれでもかと風を作り出してとても心地が良かった。
「あー、暑かった」
死んだような顔をしていると思う。今を生きる青春真っ盛りの女子高生らしからぬ顔をしていたに違いない、笑顔などない、暑さから解放されたという事実に倦怠感さえ覚える。
「もー、冬は元気なのになんでそんなに暑くなると途端に元気なくなるのかな」
「それはハルがおかしいだけだよ、普通の生物は暑いってだけで息絶えるはず」
ハンバーガーとわたしは炭酸が苦手なのでオレンジジュースを、ハルはコーラを注文した。最近流行りのお店のようで、高校生や大学生のような若い人たちがわんさか席に座っていた。
「よくこんなお店見つけたね」
ハルは嬉しそうに一度来てみたかったんだー、と言っているのを聞き流しながら外を見ていた。
「そういえば今日は珍しく外が賑やかだったけど、イベントか何か?」
「知らない。そんなに賑やかだった?」
頭が働いていなかったせいだろうか。というか今も頭は働いていない。
ここ最近じぶんの中からすっぽり抜け落ちたみたいに身体の機能が著しく落ちてしまったような気がする。
「結構うるさかったんだけどなー」
「もしかして頭痛い?」
「ぜんぜん?」
「あらそう? でもそういって無茶するところあるんだから気を付けてね」
「大丈夫、頭が痛かったらすぐ休んでるから。別にサボってるわけじゃないんだからね」
「でもカリンってサボりには抵抗ないよね」
「当たり前じゃない。少しの杞憂で休めるなんて儲けものだもん。友達らしい友達もあなたしかいないし」
ハルは不機嫌そうに言った。
「あたしだって親友はハルしかいないんだから。そんな簡単に休まれても困るよ。あと友達はあたしだけっていうけどさ――」
「あーその話はやめて。信也のことでしょ」
ため息が出る。
信也は友達だった。でもそれは古い話。
彼とは家が近所だったこともあり、幼いころからの友人だった。
「アイツとわたしたちとでは生活してる環境も進んでる時間も違うんだもの」
それは見ない間に変わってしまった。ゆっくりと、目的らしい目的もなく緩慢に歩んでいる私たちの時間と焦りを孕んで怯えるように駆け抜けていく信也の生きてきた時間は、夢と若さに胡坐をかいているソレと。或いは、亡骸のように終わってしまったソレと比べるまでもなく、全く違ってしまう。
けれど――そんなわたしは。
「好きなんでしょ。信也のこと」
「好きだけど好きじゃないよ。だってそういうものじゃないもの」
「知ってる。あたしも好きだよ。けどそういうのじゃないよね」
その手の話に敏感そうなハルが落ち着いた様子で同意した。
「ええ」
そう、どうやら好きなのだろう。
恋心ではなく、生き方として。その在り方になんの疑いもなく、有体に言うなればいつまでも純真無垢。嫉妬も憧れも彼に手をかけるに値しないのだ。
どちらかといえばこれは嫉妬だ。
ほかの人間は変わってしまった。触れてはいけない人の話をしているように口をそろえる。ハルはどう思っているのかわからないが、本質的にはおなじような結論に至ると思う。形も方法も変わってしまった。それは道の傍ら、進むたびどこか倒れている人を助けるような人間だったと思う。いまはそれをやめてしまったが信也は同じままだ。彼の根元にあるものは何一つ変わっていない。初めて出会ったあの頃のまま。
これは憧れよりも醜い感情だった。そうわかってから、わたしは彼を遠ざけたのだった。きっと迷惑をかけるから。
「カリンってばなに考え事してるの? 早くハンバーガー食べようよ」
「もう来てたのね」
いつの間にか注文していたハンバーガーがやってきていた。
だからといって信也に対する嫉妬が、わたしを変える材料にはならなかった。
なぜなら至極単純。これこそがすべてだと思う。
にんまりと、この上なく幸せそうな笑顔を拝むことのできるいまに感謝しています。
「ここのハンバーガーおいしい!」
「あっ、確かにおいしい」
でしょー、となぜかハルが自信満々に頷いている。
今日の晩御飯は入らないかもなーと思いつつも、思春期真っ盛りの女子高生の胃袋は意外や意外。母親なんかよりも倍近い量を悠々と食べてしまう。
だからといって、いつもの量は入るわけがないのであらかじめご飯は少なめにしてくださいと連絡をしておいた。
ペロッと平らげてしまった。
そこから少し話し込んだ。何でもない他愛のないお話をした。
「さぁ腹ごしらえも済んだし、帰ろー!」
「そうだね、帰ろうか。明日から夏休みだし何しようかな」
「学生の本分的には勉強だよね」
「勉強なんてしたくないよ」
そう文句を叩きながらバッグを抱えて外へ出た。
陽の光が近くなって紅の拡がりをみせていた。午後五時を過ぎたころからこの町の喧騒はさらに激しくなる。駅から出てくる人影はところどころ濃い色と、薄い色の部分と、人の色がまちまちだ。
「――え?」
人が多い。この街に見合わないほど多すぎる。
彼らはこの時間の住人ではないだろう。
先ほど耳にしていた喧騒はこれだったのかと、初めて確認した。
故に妙なことになってしまっているらしいと知り、頭痛持ちではないはずにもかかわらず、こめかみの辺りが鈍痛が少しばかりする。
「ちょっとハル、やっぱり帰るのやめて信也探さない? この時間ならどうせこの辺うろうろしてるでしょ」
眼前に広がる光景に微かな戦慄を覚えていた。
直観と理性が入り混じってしまっていて、何をすることがあっているのか導き出すことができなかった。
関わるなと理性は訴え、
今すぐ原因を探れと本能は叫ぶ。
「なになに? どうしたの?」
「すっごい数の幽霊が見えるの」
いまだかつて、目にしたこともないほどの幽霊がとんでもない時間に姿を現していたのだった。
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