ノード.1-2

 終業式が終わって、帰りのホームルームも終わりを告げた。

 いつも長いはずの校長先生と生活指導の先生の話は、暑さのあまり一言二言だけで終わったことにわたしたちは密かに歓喜しながら、帰りのホームルームの話も流すだけだった。たった十分程度しか立っていなかったのだが、学年でもぽろぽろと保健室に駆け込んだ生徒がいるらしく、いつもはがらんとした保健室も騒がしくなっていた。


 わたしとハルは部活動に所属していないので、チャイムが鳴ればとっとと帰ってしまうのだが、この日ばかりは珍しい知人がわたしたちを訪ねてきた。

「ハロー、カリン」

 きれいに整った顔だけを覗かせる奈々さん。ハルとはまた違った快活とした雰囲気の一つ上の先輩だ。


「世間話でもと思ってさ。ほらほらアタシたちって友達じゃない?」

 なんて強引な先輩なんだろう。素晴らしい先輩とでも言って欲しいのだろうか。

「はいはい、わたしは美しい先輩のお友達ですが、どんな世間話にお付き合いすればよろしいですか?」

「この前さー、信也がたぶんカリンのお母様と一緒に楽しくお喋りしながら、スーパーを徘徊してたんだけど、信也ってそっちの方が趣味だったりするのかな?」

「いやいや、世間話にしては少し物騒じゃないですか? なんですか、家族と仲たがいさせたいんですか?」


「だってさ、話の内容が『今日の夕飯どうします?』だってさ! あんなヤンキーみたいな格好で、人んちのお母さんと夕飯の話してるんだよ」

「なにやってんの――アイツ」

 頭が痛くなってくる。そんな話を聞きたかったわけじゃない。

「したらお母様がハンバーグ乗ったカレー好きでしょ、って言ってるんだよ。

 『ハンバーグ、悪くないっすね』って言ってる信也見ちゃって、もう大爆笑。笑ってたら見つかって信也の耳真っ赤になっててホント――もう!」


 奈々さんのハスキーな高笑いが教室に響いている。

 いたずらのような投げやりな内容にこれといった意味がないのが厭らしさを倍増する。悪意がないし、特別に悪意を感じさせないのもすごい。

 だからといって周りはそうは見てくれない。信也のバカみたいな話を大声でしているもんだから、わずかに残った学生たちが腫物を扱うみたいに冷ややかな目でこちらを見てくる。


「奈々さんの用事ってそんな話しに来たわけじゃないですよね。何か用ですか?」

 笑い声が落ち着いてきたところを見計らって訊きなおす。

「あー、そうそう」

 長いまつ毛に涙を輝かせて、呼吸を整えながら奈々さんは続けた。

「信也ってもうセンセーに捕まった?」

「信也ならホームルーム終わって先生に捕まりましたよ。どうせ喧嘩のことだと思うんですけど、アレに何か用ですか?」


 わたしも本当は信也に用があったのだが、昼休みが終わるや否やさっさと先生に呼び出しをもらって、その時はすぐに戻ったが、帰りのホームルーム後逃げようとした信也がまたもやあっさりと捕まってしまった。

「あちゃー、一足遅かったか。先生に捕まるまでに一言告げ口したかったんだけどなー」

 肩を少し落としながら、職員室の方角に目を向けている。

「奈々さん、どうしたんですか?」

 ハルが帰る準備を終えてわたしたちに加わった。


「やあやあハルちゃん。今日もかわいいね。いやー昨日、夜中に――夜中って言っても十時前なんだけどね、友達と浜咲の方を歩いてたら、変な奴らに捕まっちゃってね。その時に助けてもらったんだよね」

 わたしは思わず大きなため息をついて、頭を抱えてしまった。

 浜咲というのは浜咲通。美坂市で一番大きな繁華街のことだ。大人の店も多くある場所なので、夜間に特別な用もなく学生が歩いているとお巡りさんが簡単に声をかけてくるくらいには盛り上がっている。

 そしてその場所で信也の名前が出てきた。ろくでもない話だ。

「離してって言っても離さないし、喋ってもくれないから本当に怖くて――たまたまそこに居合わせた信也が追っ払ってくれたのさ」

 ふと気づいた。ほんの少し黒くなった腕を抑えている。努めて平静を装っているが、快活とした人があまり思い出したくないと言葉が重くなっている、想像以上に怖かったのだろう。


「はぁ、もうバカなんだから」

 また一人突っ走って。

「ダメだよー、アタシの恩人なんだからそんなこと言っちゃ」

 ハルと同じくらい付き合いのある人間にこうも変なことばかりされちゃ調子も狂ってしまう。今話している相手が奈々さんだから尚更だ。

「奈々さん、早く行ってあげてください。信也を捕まえに来たのは教頭先生だから話は通じると思います」

「よかった、矢部やんだと話通じないから教頭先生でよかったよ。行ってくるね」

 突然やってきた美人さんは、颯爽と職員室へ向かった。


 学校でも時折、話題になるくらいには美人な顔立ちをしている人だが、信也と絡みが多いと他の人たちもろくに手が出せないらしい。いっとき、奈々さんと信也が付き合っているのではないか、と学校でも話題になったことがあった。その際に奈々さんは先生方に注意されたらしいが、根も葉もないうわさの域を出なかったことで注意されたらしい奈々さんは怒ってしまい先生に手を出したとかなんとか。怒った理由は、信也は悪くないだろう、と実に単純明快だったらしい。この話も本当かどうかわたしは知らないので噂の域を出ないのだけれども。あの人もあの人で肝が座りすぎていて、むしろ信也よりも別の意味で怖かったりする。先生方に手を出そうとしている奈々さんの姿が想像に難くないことが、彼女の簡単には近寄りがたい空気感を物語っているような気がする。


 一度本人から聞いた話は「良い子だよ、彼は」という評価だけだった。

 格好イイとか、怖いではなく、良い人だと。

 奈々さんもなかなか変わった人だった。わたしたちの周りの人は信也のことをそう評価することはなかった。ある人は怖い人だったり、ある人は回りくどく関わりたくないと言っていたり。そのあとに皆は口をそろえて、わたしたちが幼馴染だと知ると当たり障りのないような理由を語るばかりだったが、奈々さんは綺麗な双眸が揺れることなく当然だと言わんばかりに、良い人だ、とそれだけだった。

 信也が奈々さんとよく話をしているのかはわからないけれども、それでも彼女は信也の底にあるものがわかっている人だ。


「カリン。そろそろ帰ろうよ」

 五時限まであった今日の予定も終わってしまえば、クラスメイトはさっさと部活に向かってしまって、教室の中はがらんとなっていた。

「帰ろっか」

「帰ろう帰ろう! でも実はわたくし、お腹が減ってハンバーガーでも食べたいなーって思ってたり」

 つい二時間前までご飯食べていたでしょう、などとツッコミを入れようと思った。

 ふと、奈々さんと話していて思い出した。

 そういえば――今日の信也を見ていて引っかかることがあった。

 なんでもない普段のアレと変わりないことだろうと思っていたが――。


「行かないの?」

「あー、ごめん。ちょっと気になること思い出してた」

「えええ、ぜったい変なこと思い出したでしょ。あーもう、いつもそうなんだから」

 ブツブツと文句を言っている親友。わたしのことをよくわかっているから。

「いいよ、どうせ信也のケガでしょ?」

 ハルは少し訝しんでいた。

「――またなにか見えたの?」

 ムスっと、それは子供っぽく羨望も含んでいるようだった。

「ううん、何でもない。ハンバーガー食べるんでしょ。いこ」

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