第15話 女神パワー

「ふふふっ。ありがとう、トール!」

 そう言うエーヨの表情は、大輪の朝顔のように清々しい。

忘れてた! 黒縁メガネを外したエーヨが王国一の美少女だってことを!

間近に見てしまい、顔が熱くなる。ただしその顔は、枯木に向かっている。


「きっ、気にすんなって。僕も飛び降りたくなったんだ」

 と、嘘を吐く。本当は、まったりのんびりしたいのに。


「ふふふっ。でしたら、手を繋いで一緒に飛び降りましょうか?」

 なんてことを言う。


「手を繋ぐなんて、ちょっと恥ずかしいよ……」

「ふふふっ。ですがもう、繋いでいますけど」

 そうだった! 手、繋いでたーっ。すっかり忘れてたーっ。


「そっ、それは、速く崖をよじ登るためだって! ほら、急ぐぞ」

 言いながら、思わず左手に力を込める。


「ふふふっ。痛いですよぉーっ。ふふふっ」




 滝のてっぺんに立つ。

陽光に照らされキラキラな水面は美しく、そよぐ風は心地いい。

側にいるのは黒縁メガネを外したエーヨ。王国一の美少女だ。

言うことは何もない! 下を見なければ、のはなしだけど……。


 何人かは崖の前で列を作っているが、全員ではない。

クリームのときや膝枕、肩もみのときとは違うようだ。

崖から飛び降りるだなんて、女神保障があっても、誰だって怖い。


「こっ、怖くないか?」

「ふふふっ。大丈夫ですよ。女神保障付きですから」

 そう簡単に割り切れない……。


「でも、下を見ると……」

 身震いしてしまう。


「ふふふっ。実は私、近眼なんですよ」

 知ってます。


 このまま時間が過ぎるのもよくない。

下で順番を待っているみんなにも申し訳ない。それに……。

いくら時が止まってるからって、まったりのんびりできなきゃ意味がない。

とっとと飛び降りて、今度こそ絶対にまったりのんびりするぞーっ!


「よしっ、行くぞーっ!」

「ふふふっ。はい、参りましょう!」

 言うなり、2人で飛び降りた。

そして、即、後悔した。経験したことのない速さに恐怖を覚える。

こんなに速いのに、まだ着水しないなんて! 飛び降りなきゃよかったーっ!


「ふふふっ。怖いですね! まだ着水しませんね!」

 笑いながら落ちながら言われると、もっと怖い……。

まるで時間が止まってるようだ……あぁ、止まってるんだった。

ただし、時間が止まっているにしても意味が違う。確実に水面は近付いている。


 そして、ついに着水。僕たちは水飛沫をあげる。

本当だったら全身を水面に打ちつけてバラバラになっていたかもしれない。

でも、リサたちの安全保障のおかげか、なんの痛みもない。


「かはっ! サイコーッ!」

 恐怖からの解放による爽快感に、病みつきになりそうだ!

ところが……。


「ふふふっ。痛いです……足を攣ってしまいました!」

 はぁ? おっ、おいおい。どういうことだ?

女神保障じゃないのか? 怪我をしないんじゃないのか?

エーヨは本当に痛そうだけど、顔は笑っている。笑いながら沈んでいく。

助けなきゃ! エーヨを助けなきゃ!


 僕は必死にエーヨを背負い、岸に向かい泳いだ。

足が着く深さになったらエーヨを抱いて、陸に上がった。

そっとエーヨを下ろし、その足を伸ばし、よくもんだ。


「ふふふっ。もう大丈夫です。ありがとう、トール!」

 エーヨはそう言いながら、僕に抱きついてきた。

エーヨの表情は見えないけど、その胸のやわらかさにホッとする。


「いいんだよ、無事でよかった!」

 にしても……おいっ、駄女神! 怪我しないんじゃないのか!

周囲に2柱を探す。涼しい顔で紅茶を啜っている2柱が見える。

こんなときに助けもしないでまったりのんびりしやがって。

うらやましい……じゃない、ふざけるなーっ! 文句を言ってやる!


「リサ、シャノーレ。女神保障はどうなってるんだ!」

 僕の剣幕に、崖の前で並んでいるみんなも味方する。

様子を見ていた他のみんなも背中を押してくれる。

女神に逆らったとしても、僕たちに非はない!


 リサは呑気にティーカップをソーサーにカチャリと置く。


「今のはシャノーレのラッキースケベ特約、ですよ。事故ではないわ」

 なにそれ? シャノーレは愛の女神だけど、特約なんて聞いてない。


「2人の距離を縮めるちょっとしたハプニングに過ぎないわ」

 たしかに、エーヨの命に別状はない。それどころか、笑っていた。


「ふふふっ。痛いは痛いですが、助かるのは目に見えていました」

 視力がアレなのに? どうしてそんなに笑っていられる?

その答えは2柱の女神。


「これぞ……」

「……女神パワー!」

 手をかざし怪しげに動かす2柱に拍手、喝采が浴びせられる。

たしかに、すごい……。


「ご主人様! 次。次は私ですっ!」

 言っているのはキャスだ。その背後のリズが力強く頷いている。

2人はいつも、並ぶのが早い! 宮殿舞踏会でもそうだった。

まだ並んでいなかった他のみんなも、慌てて列に加わる。2柱まで!


「で、どうすればいいんだ? 一緒に崖をよじ登るのか?」

「違います。そのあと一緒に滝のてっぺんから飛び降りて、足攣って……」

「……背負われて、抱っこされて、介抱されて、抱きつく! までですよ」

 キャスとリズの鼻息は荒い。

でも、なんで僕がそんなことしなくちゃいけないんだ!

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