第5話 猊下とエミー

 迫るヘレンに、猊下が声をかける。


「ヘレン。トール殿下のお好みは、テントの頭にむぎゅむぎゅですよ、きっと」

 なっ、何言ってんの? 猊下ったら、いやぁんっ!


「それは斬新ですね! さすがは猊下!」

 やっ、やめてーっ。それだけは、やめてーっ! 敏感だから、やめてーっ!


「では、いざ。いざ、いざ!」

 ヘレンはやる気満々だ!

そうでなくても、ヘレンは見た目はいいが、行動がエロいのに。


 窓の外ではハクセキレイが高い声で鳴いている……それが自然というものだ。

僕が抵抗をしても、いつかは2人に捕まる。多勢に無勢。僕に勝ち目はない。

なら一層、無抵抗で楽になった方がいい……それが自然の流れというものだ。

僕は、一切の抵抗を止める。その直後。




 ガチャリとドアが開く。部屋に入ってきたのは、メイドのエミー。


 エミーもまた、見た目のいいメイドだ。どことなく猊下に似ている気がする。

ただし、エミーは無表情で、感情表現豊かな猊下とは対照的だ。

今のこの状況を目の当たりにしても、全く怯むことがない。 

エミーは大きめタオルを2枚携えているのが印象的だ。


 助かった! エミー、ナイスだっ! グッドタイミングだーっ!

前にもタイミングよくエミーが登場したことがあった。薬草の丘でのことだ。

あのときエミーが現れなかったら僕とシャルは……思い出しただけで顔が熱い。


「あー、猊下。準備が整いました」

「エミー、見て分からないかしら。名場面を目前に控えているのですよ」

 猊下が語気を強める。正直言って、怖い。でもエミーは眉1つ動かさない。

エミーと猊下。2人はかねてよりの知り合いなのだろうか。

そういえばエミーは西の館に来る前は、女神に仕える巫女だったはずだ。


「あー、女神リがお待ちです」

 言いながら、大きめタオルを猊下に渡そうとするが、猊下は受け取りを拒否。僕に背を向けて法衣の上半身を整える。白くて綺麗な背中が法衣に包まれる。

あれ? ってことはちょっと前までの猊下って、上半身裸だったのか?

それはヤバい、ヤバ過ぎる! けど、見逃した僕だった。


「あなたという人は、いつもそうやって、人の楽しみを奪うのですね!」

 やはり、前々からの知り合いのようだ。それも、かなり険悪な仲。

人の言葉を神に祈る司祭と、神の言葉を人に命じる巫女。

職業柄、対立することもあるのだろう。


 でも僕には、それ以上の何かが感じられた。それが何かは、全く分からない。


 怒りという感情をむき出しにする猊下に対して、エミーは冷静。

というよりも、相変わらずの無表情。


「あー、時間ですので」

「リサ神なんてちょろいわ。少し待たせても大丈夫なことぐらい……」

 猊下がそこまで言ったのを、エミーが遮る。これは、珍しい。


「……あー、あのままだと、トール殿下が猊下に触れていたことでしょう」

 僕が猊下に触れる? そんなことをしたら、僕も猊下も死罪。

僕がそんなことするはずがないのに?


 とは言い切れない。美貌の猊下が上半身裸だったら……。

僕が欲望を止めきれずに触れていた可能性はある。

前にもあった。自分では何をしているか 分からずに行動することが。


「笑止。ヘタレなトール殿下にそのようなこと、できないわ」

 言い切られた。猊下に完全に言い切られた。

でも、本当のことだから何も言えない。複雑な心境だ。


「あー、我が主人はヘタレではございません!」

 言い切った。エミーったら完全に言い切った。

そんな大風呂敷を拡げていいのか? ちょっと恥ずかしい……。


「エミー、今『我が主人』と、言ったわねっ!」

「あー、はい。事実……」

 今度は、エミーの言うことを猊下が遮る。


「……まぁ、いいわ。でもそれで私を救った気になるのはやめてちょうだい!」

「あー、私がお救いしたのは、あくまでも我が主人でございます」


「そうね、それでいいわ。それではトール殿下、またのちほど!」

 猊下は立ち去り際に最高の笑顔を僕に向けた。

のちほどというのは安全祈願のことだけど、

それ以上のものを期待してしまう。




 残された僕たち3人。

エミーが大きめタオルの1枚をヘレンに差し出し、ヘレンが反射的に受け取る。


「エミー先輩、これって?」

「あー、それで猊下を助けてあげて」

 大きめタオルがなんの役に立つのかは分からない。

エミーは見た目はいいが、言葉が足らずだ。

未来が見えているのかもしれないが、断片的にしか語らない。


 エミーがもう1枚の大きめタオルを僕に差し出したとき、

僕には受け取らないという選択肢はなかった。


「エミー、ありがとう」

 普通に言う。


「あー、それでヘレンを助けてあげてください」

 と、まぁ。意味が全く分からない。

ヘレンを助けるタオルは、ヘレンに持たせればいいのに。




 館の庭に出る。木製の移動式祭壇が置かれている。臨時の祭場だ。

猊下が待っている。他には工事関係者や西の館のメイドたちもズラリ。

エミーは女神リサがお待ちだと言ってたが、どこにもいない。

祭壇の脇に土が盛られているのが目につくが、他に変わった様子はない。


 僕が来るのを待っていたのか、猊下は僕に笑顔を見せてくれる。

寝室にいたときとはちょっと違う、大人の余裕たっぷりのとびきりの笑顔だ。

とても同い年の15歳とは思えない。


 でも僕は、さっきの去り際の猊下の笑顔の方が好き。

今の笑顔はどこか営業スマイルにも見えてしまう。


「皆さん、お揃いのようですね。それでは、はじめます!」

 こうしてはじまった安全祈願は、猊下と女神の真剣勝負だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る