8. 紫

『この世界を操るのは、。わたくしも姿は見たことはありません。声だけはよく聞きますけれど。その方の気まぐれでこの図書館の中は動いている……と教わりました』

「その、という方に」

 私はそこで息を整える。緊張からだろうか。または、興奮?

「会えば、帰れるのでしょうか」

『さあ? わたくし、この図書館の主というわけではないんです。あくまでもこの物語の中における女王というだけです』

「そうですか……」

 すると女王はムッとした。

『ちょっと? わたくしがこの図書館の主ではない、と知った途端に落胆しますの? なんて失敬な小娘でしょう』

 わ、まずい! 怒らせてしまった!

「じょ、女王! わ、私は! ……私は、私ならば、女王の……何かお手伝いをできるかもしれません」

 竜頭蛇尾な台詞。私は大馬鹿だ、何を口走っているのだろう。

『え? 急に何を言っているの?』

「その……女王は先程、『やっと外の空気に触れられた』と仰りました。この図書館の中で、入り用なものなどはございませんか? 私ならば女王をお運びできますから、この図書館内を移動して探すことなどもできるはずです」

 今度はきっぱりと言い張ってみる。落ち着け、大丈夫だ、この本を閉じて本棚に差し込めば、この女王を黙らせることぐらいはできるかもしれないし。

 返答を待つ間、額に汗が伝うのを感じた。

『――まぁ、欲しい物がないわけではありません。けれどそれは危険物ですから、きっとあなたは逃げ出すでしょうね』

「……何をご所望なんでしょうか」

『マンチニール、よ。植物図鑑の中から取り出せると思うのだけれど』

 えっ……マンチニールって言った……?

『ほら。そんなに顔を青褪めさせるってことは、あなたに頼めるようなことではないのよ。だって、ニンゲン猛毒なのでしょう? わたくしに害はないはずですけれど、わたくしは本から出られないから取りにいけないの』

 ――マンチニール。、なんて呼ばれる果実。

『どうせ無理でしょう』

 そこに植物図鑑があるから御覧なさい、と言われ、私は本棚から分厚いそれを取り出し、パラパラとめくった。

 ふと適当なページを開くと、〔ピオニー〕だった。妖艶な紫色をしていて……ほんのり甘い香りが漂ってくる。

 つるつるした写真部分に触れようとすると、指が、その奥――写真の中――にスルッと入っていく。変な光景だ、平面的な写真上に、平面的になってしまった私の指。けれどその手前までは、ちゃんと私の肉体としての指が途中まで存在している。

 そのままピオニーのふわふわした花びらをつつくと、確かな感触が手に伝わった。それなら試しに、と、手首までを突っ込んだ。無謀かなぁとも思ったが茎を掴んで引きだそうとしたら、案外そのまま取り出せてしまった。一輪だというのに、芳烈な香りが私を包み込む。

『まあ! 紫のピオニーだなんて、私みたいね』

 私の一連の行動を眺めていた女王は、生のピオニーを見て目を細めた。

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