後編
かの「悪竜王」は知っていた。
かつて暗黒竜エッツェルが居城としていた竜王城の一角に、自らの半身たる妹の神竜を幽閉していたこと…………その神竜は幼い娘と、産んだばかりの卵を残して、自らは身体と魂をすべて人間に提供し、暗黒竜を討滅する武器の数々となったこと…………そして、暗黒竜が自らの弱点となりうる神竜の卵と、自らの存在への特効薬となりうる存在をこの地に封印していたことを。
(そもそもこの場の時の流れが早くなっておるのは、時の経過を加速させることにより、数千年は保つと言われる神竜の卵を腐らせるためじゃった。しかしそれは、あの訳の分からぬ「何か」によって、その目論見は無に帰した)
その封印は、神竜にしか解くことはできない。
それか、神竜の骨から作られた「神竜の儚鍵」を持つ人間でなければ…………
(このワシですらも、指一本たりとも触れることは叶わなんだ。何たる屈辱…………だが、ようやくワシにも運が巡ってきたようじゃ)
厄介な三つ首竜――――「厄竜アジダハーカ」も消えた。
あれは、元々神竜を守る屈強な竜であったにもかかわらず、暗黒竜に殺され、更にはその死骸に「侵入者を排除」するよう命じられた。
暗黒竜の命令は、死して鱗と骨格だけになった竜すらも動かす、強力な呪いだったのだ。
「カッカッカッカッカ! 矮小な人間ども、貴様らには感謝してもしきれんなぁ! ワシのために、よくぞ無駄な苦労をしたものじゃ!!」
「んだと……? テメエ、偉そうな口をききやがって!」
「おい待て桐夜、その相手も竜だ! 無理はするな!」
「俺にはわかるんだ、こいつは…………生かしちゃならねぇ、悪そのものだってなぁ!!」
余裕の表情で煽る少年相手に、桐夜はすべての魂鏡石の力を解放し、脚に力を込めて渾身の跳び蹴りを叩き込もうとした。
――――が、驚くことに彼の跳び蹴りは少年に届く前に空中で止まり
「下がれ下郎」
「ぐおっ!?」
まるで逆再生のように後ろに吹っ飛んでいき、背中を柱に叩きつけられた。
「桐夜、しっかりしろ!」
「クソッたれ、なんだあれは!?」
「これは、
「残念ながら、おぬしらの攻撃は届かぬよ。ま、格の違い、と言うやつじゃな。じゃが、それなりに見どころはある。そこの灰色は正義臭すぎて好かんが、そこのゾンビとエセ死神は、よい眷属となりそうじゃ」
「ふん、であればとんだ節穴だな。俺は王以外の何物にも仕えん。例えこの身が失われようと、それだけは永劫変わらん」
「死神を従えるとか冗談きついねー。竜ってジョークが下手だと思ってるけど、君はその中でも最低ランクだ」
「ほうほう、負け犬どもはよく吠えるではないか。ワシは寛大じゃ、10秒待ってやろう…………言葉を翻し、その卵と人形をこちらによこすがいい。さもなくば……」
「はん……何度聞かれたって同じだっての! 俺はお前を……ぶっ飛ばす!! エシュ、リルヤ! 囲むぞ!」
「「応」」
一度失敗したからと言ってあきらめる三人ではない。
彼らはあっという間に三方向から少年を囲み、すぐにでも飛び掛かれるよう態勢を整えた。
「ヤレヤレ、やはり何も考えずに扉を開けるようなバカどもでは話にならんな。ならば、せめて冥府の土産に教えておこう。我が名は――――『悪竜王』ハイネ。矮小な人間よ、ワシに頭を下げなかったことを地獄で業火に焼かれながら悔やむがよい」
その時、少年――――悪竜王ハイネから濃い紫の光が放たれると、3人は何かが破られるような、奇妙な感触を覚えた。
それが「強化が解除された瞬間」であることに真っ先に気が付いたのは、自身を強化しながら戦うことに慣れている桐夜だった。
(これは…………マズイ!!)
彼は奇跡的な判断で、緑と黄色の術式を起動した。
それは――時間の加速を打ち消す魔法。
つまり消されたのは…………依頼人の女性がかけてくれた、時間加速対抗魔術だ。
「ぐぅっ……」
桐夜は急激な空腹とのどの渇きを覚えたが、生命活動が絶たれる寸前で自前の魔法が間に合った。
自分で対抗術式を組むことができないかと考えていたことが、偶然にも彼の命を救ったのだった。
しかし、ほかの二人はそうはいかない。
「あ……うぁぁぁ」
「むぅ……っっ」
リルヤとエシュはたちまち衰弱してゆく。
彼らは1秒に1回命を落としては魂を身代わりにするのを繰り返している悲惨な状態に置かれているのだ。
「リルヤ! エシュ! しっかりしろ!」
「だめだ……このままじゃ、3人とも共倒れになるっ……君だけでも脱出を」
「ほれ、見たことか。警告はしたというのに、死よりも苦しい目に合うとは、見下げたバカどもじゃ」
苦しみ困惑する彼らを見て、ハイネはすっかりご満悦のようだ。
「悪竜」であるハイネは、人間の悪意から生まれ、負の感情を糧に生きる者。
このような悲惨な状態は、彼にとってご馳走でしかない。
だが、それでも桐夜はあきらめなかった。
苦しむ二人のためにも、何としてでも目の前の悪竜を一人で打倒さねばならない
「テメエ……テメエだけは許せねぇっ! たとえ命に代えても、この俺の手で…………!」
「いいや、桐夜……残念ながら今の僕たちだと勝ち目は薄い。だから君に、これを託しておく……そのかわり、これを借りるよ」
「お、おい…………! リルヤ、何を勝手に!?」
リルヤはいつの間にかἐλπίςをどこからか引っ張り出して桐夜に押し付けると、桐夜が持っていたはずの銀色の鍵をその手に持っていた。
彼は一時的に天才マジシャンの魂を憑依させ、その不可解なトリックにより物体の位置を交換したのだ。
「エシュ……あとは、頼んだ!」
「そういうことか……………っ! いいだろう!」
エシュはリルヤの意図を理解して苦虫を嚙み潰したような表情をしたが、彼は即座に桐夜とἐλπίς相手にタックルをかました。
「いって、なにす――――」
「頼む、じっとしててくれ」
「なんじゃ、何をしようと…………はぁっ!?」
余裕ぶっていたハイネの前で、リルヤ以外の人間が一瞬にして姿を消した。
唖然とするハイネだったが、その横で何かに光が灯るのに気が付く。
「えへへ……残念、でした。あの人は逃がして……卵は、また封印させてもらった……」
「な……なんじゃと!? 人間風情が、ワシの裏を掻こうとはいい度胸じゃ……! そのカギは力づくでも奪わせてもらう……!」
ハイネは珍しく怒りの感情をあらわにし、彼の身体から竜の手のような形をした紫色のオーラがリルヤに向かって襲い掛かる。
リルヤの逃げ場はどこにもない……はずだったが、彼は最後の最期で起死回生の策に出た。
「あっはっはっは! あーばよっ!!」
「なんと! 気でも狂ったか!」
リルヤは……触れるだけで体が蒸発する強力な結界に、あえて生身のまま飛び込んだ。
(■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ーーーっ!!!!)
今までに経験したことのない、想像を絶する苦痛がリルヤを襲う。
それでも彼は、死と生き返りを繰り返しながら、強引に結界の中へと進んでいき…………数秒後には幾千もの魂を失いながらも、何とか安全地帯に逃げ込んだのだった。
「は………ははは、ざまあみろ……しにがみ、なめるな」
短時間で死と再生を繰り返しすぎたせいで、リルヤの精神は崩壊寸前だった。
それでも何とか保っていられるのは、ひとえに彼の強靭な底意地によるものだろう。
リルヤは結界の中にある卵と共に、いつ終わるかわからない籠城をする方に掛けたのであった。
こうなってしまえば、さしもの悪竜も手を出すことができないだろう。
「なるほど、甘く見ていたのはワシの方じゃったか。是非もない…………今回は潔く引いてやるが、次回はこうはいかんぞ。せいぜい苦悩するがよい」
ハイネにしては珍しく負け惜しみを言うと、彼は神殿から悠々と立ち去って行った。
憂さ晴らしにまた
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