エピローグ

「うっ…………ここは?」


 気が付くと、桐夜とエシュ、それにフードの人物は開き切った大きな扉の前で倒れていた。

 彼らは初めて顔を合わせた場所に戻ってきたのである。


「エシュ、お前まさか」

「ああ……脱出用の毛糸玉を使った」


 とっさの判断で脱出アイテムを使ったエシュは、ゆらりとその場に立ち上がって、身体の調子を確認した。

 あの急速に体が崩壊していくような恐ろしい感触はもうない。周りの時間は正常に戻っているようだ。


 ほっとしたのもつかの間、エシュの前に桐夜がツカツカと歩いてきて……エシュの左頬を思い切り殴った。彼はよけずに、あえて受け止めた。


「テメェ…………仲間を、リルヤを見捨てやがったな」

「……それがどうした?」


 静にいかる桐夜に対し、エシュはわざとらしくとぼけて見せた。それが却って桐夜の怒りに火を注ぐ。


「ふざけんな……俺たちは立場が違えども、一度組んだ仲間じゃねぇか……! それをああもあっさり見捨てるなんて、許せると思うかっ!」

「それこそ愚問だな。確かに俺が心から信頼する『仲間』はお前たちではないが、だからと言って使い捨てにして見捨てていいわけではない。全員で生きて帰ってこそ、本当の仕事の終わりなのだからな」

「だったらどうして!!」

「いつも最良の結果が得られるとは限らない。それが闘いと言うものだ。であれば、次善の手を取るべきだ」


 灰坂桐夜という男は、いつもは適当そうな態度ながらも、心の芯は誰よりも熱い男だった。だからこそ、一時的な仲間だったとはいえ、リルヤをあっさりと見捨てて脱出したことが許せなかった。

 彼を救う手立てはおそらくあったはずだと、今でも思っているのだ。


 思っているのだが…………やはりすぐには出てこない。

 一刻一秒を争うあの極限の状態で、リルヤはあえて自分がおとりになるという考えに至り、エシュもその意図を汲んだ。

 それが次善の策であり、かつあの時取れる最善手であった……わかってはいるが、分かりたくないのが桐夜の本音だった。


「……それに」

「それに?」

「俺はある意味、あいつのことを信用している。あの死神が、あの程度で死んでしまうような奴ではない、と思えるくらいにはな」

「…………なんだそりゃ。よくわからんなお前も、あいつも。そして、こいつも」


 いつの間にか怒りが静まり毒気が抜けてきた桐夜がふと横を見ると、フードの人物が一言もしゃべらずにただぼーっと立っていた。

 地下神殿にいた時は意外とおしゃべりだったが、今では反応が鈍い。

 とはいえ、この存在が誰かに見つかったら拙いのは確かであり、更には地下から逃げきったあのドラゴンが今にも追いかけてきている可能性があった。


 彼らがここまで来るのに歩いてきた通路は、三つ首竜の戦いの余波の影響か、だいぶ崩れてしまっているが、脱出できないことはなさそうだ。


「エシュ、こいつどうする?」

「俺は面倒見きれん。お前の方で預かってくれ。その代わりクライアントへの報告は俺の方でしておく」

「やっぱそうなるか。お前だけ報酬独り占めしようって魂胆じゃねぇよな?」

「報酬は前払いだっただろう」

「あ、そうか。いずれにせよ、俺が思うにこいつの存在は想像以上に重大だ。安全な場所にかくまうまで放っておけねぇ。しばらく身柄を預かってやるよ」

「逃げるとしたら、この近くの下水道が南のエリアに繋がっている。もしものために利用するといい」

「あいよ……下水道を逃げるなんざ、まるで大昔の映画みてぇだな。お前もしばらくうまく息をひそめろよ」

「言われなくてもそのつもりだ」


 こうして二人は、その場で分かれることにした。

 地下で戦った強大な存在が迫っている可能性もあるし、何者かにフードの人物の存在が知られれば一大事だ。

 安全な場所を確保するまで、桐夜の仕事は続くのだろう。


「じゃあな……屍神。また会えるといいな」

「いや、もう会うことはないだろうよ」

「最後まで嫌味な奴だな」


 桐夜もエシュも、どこか心残りを抱えながらも、来た道を戻っていった。

 彼らの戦いはまだ終わっていないのかもしれないが、いずれにせよ一区切りはついたのだった。



 ×××



 地下遺跡の奥深くにある大広間のさらに奥――――

 悪竜王ハイネが立ち去った後、白一色の明るい結界の中で、死神の少年が台座に腰かけ、白い卵を抱えていた。


「時の流れは……ほとんど止まっているようだ。ここにいれば、いつまでたっても飢えることも老いることもない」


 死神の少年――――リルヤは、懐から懐中時計を取り出してみてみると、秒針すらもほとんど動いていなかった。

 どのくらい流れが異なるのかすらも読み取れないほど、この白い空間だけは時間の流れが極端に遅い。

 おそらく、何者かがこの卵を守るために、時の流れを遅くしたのだろうが、生きている人間がここに長い間とどまっていたら、そのうち発狂してしまうだろう。


 だが、リルヤにはなぜかこの空間が非常に居心地よく感じていた。

 なんとなく……母親に抱きしめられているかのような、温かみと安心感がある。


(竜は……その場に棲むだけで、周りの環境が変わると聞いたことがある。海竜の住処は豊かな海や荒れた海を作り、地竜の住処が金属を豊富に産出するように。

 この場所はもしかしたら、この卵を残した竜が我が子を守ろうとする思いから、生まれたのかもしれない。まあ、この甘さは普通の人間には毒だけどね)


 リルヤはひたすら待つことに決めた。

 誰かが奇跡的にこの場所に到達し、封印を解除するその時まで。


「幸い、話し相手には困らない。グッドホープ……君たちには、当分僕の長話に付き合ってもらおうか。…………ん?」


 ふと彼は、卵から何か言葉を投げかけられたような気がした。


「そうか、君も話し相手になってくれるのか。いいとも、時間だけはたっぷりあるから、武勇伝を語って聞かせてあげよう」


 地下遺跡の奥深く。

 そこでは死神の少年が、今でも誰かが来るまで待っている。



 ――終わり――

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