呪詛 17

 木下さんよりも背の高いその人影が雨合羽のフードをかぶっていると分かった時、後ろからフードを誰かが引き剥がし、その顔が見えた。髪の長い女性、口に真っ赤な粘着テープが貼られている。その顔にも見覚えがある——


 ——リカさん!? まさか、でも、そんな……。でも、バンガローで会ったリカさんによく似ているけど何かが違う……。それに、リカさんはもう亡くなっていて、この世にいないはず……


 急に怖くなり、良雄さんの影に隠れるように後ずさると、良雄さんは私を庇うように腕で私を背中に押しやった。その背中越しに人影を見る。「お前は誰だ!」と良雄さんが声を荒げると、人影の奥から木下さんが「ばぁっ!」と言いながら顔を出した。


 ——木下さんの顔が、顔が、元どおりになっている……。


 最後に見た時、焼け爛れたような顔をしていたはずの木下さんの顔は何事もなかったかのように元どおりで、着ているものもスーツの下に着ている白いシャツだった。まるで、この全てが何かのアトラクションだったかのように、木下さんは戯けて話をする。


「びっくりした? したよね。あはははは! その良雄さんの顔、超面白いってば!」

「里香ちゃんっ! なんでこんなことをっ!」

「なんで? なんでって? それはさぁ、なんて言うのかなぁ、スイッチが入っちゃったから」

「スイッチ……?」


 怪訝そうな声で良雄さんが聞くと、木下さんは女性の後ろに身体を隠したまま顔だけを出して、話を続けた。


「そう、スイッチ! 本当はさ、もっと前から入ってたかもなんだけど、良雄さん全然構ってくれないからさぁ」

「どう言うことだっ!」

「だってぇ、山の家の鶏を殺しても絶対に私のことを疑ったりしないしぃ、それに、なんかむかつくんだよね。俺っていいやつってオーラだしまくってて」

「どう言う意味だよっ! それに、それに、これは一体どう言うことなんだ! なんで、俺の姉ちゃんの、姉ちゃんのっ——」

「やっと本気で怒ってるぅ! そう! そう言う顔が見たかったのに、いつもいつも、優しい良雄さんで、ずっとずっと胸糞悪かったんだよね」


「お前っ!」と、良雄さんが木下さんに飛びかかろうとしたその時、木下さんがギラリと鈍く光る刃物を振り上げ、女性の顔に近づけた。


「おっとぉ? 話が全部済むまではさぁ、飛びかかるとかまだはやいですってぇ。それともあれ? もう怒っちゃったから誰かが犠牲になってもいい系な?」

「ふっ、ふざけるなっ! その人を離せ! それにその人は誰なんだっ!」

「この人ねぇ。ふふふ、さてさてぇ? この人は誰だと思いますかぁ?」

「ふざけるなぁっ!」

「そうそう、そうやってマジになってくるのを待ってましたよ、鶏を殺したくらいじゃ、全然怒ってくれなかったですもん」

「そんなことするなんて疑いたくなかったからだっ!」

「そう言うところがムカつくんだよ!」


 木下さんは吐き捨てるように叫ぶと、ふふふ、と気味の悪い声を出し「あのね、教えてあげる」と話を始めた。


「この人が誰かってことですよね? この人は今回の御面様の祟りを計画した人ですよ。霧野さん、見覚えない? ほら、バンガローで会ったでしょ? 酷いよねぇ。全く関係のない霧野さんまで騙して驚かそうとしたんだから。こんなことに巻き込まれて、霧野さんもトラウマもんですよ。ねぇ、麗子さん」


 ——レイコ、って、どっかで……。


「ま、まさか、リカさんの、妹の……?」

「霧野様、大正解でございます」

「でも、あの、レイコさんは名古屋から来るって榎田さんが……」

「あはは、なわけ。ずっとここにいたんですよ。大役だったですもんねぇ麗子さん。レイなんて名前を名乗って、復讐したいやつらに近寄って、長い時間かけて、孝哉さんとこれを計画したんですもんね。そしてとうとう、計画実行! 死んだお姉ちゃんの幽霊に化けて、御面様の祟りに見せかけて見事復讐を果たしたんですよねぇ?」


 そう言うと木下さんはレイコさんの口に貼ってある赤い粘着テープを勢いよく引き剥がした。「うっ」と声を漏らし、レイコさんはズサっと床に倒れ込む。両手の自由が利かないのか、そのまま座り込むレイコさんの横に木下さんがしゃがみ込んだ。


「ほらぁ、麗子さん、お話ししてあげてくださいよ。私もうスイッチ入っちゃって、うまく説明できないですよぉ?」


「里香ちゃん、なんでこんな事に……」と、木下さんの顔を見てレイコさんが問いかけると、「なんでって、」と木下さんは話し始めた。


「私、ずっと虐待されて生きてきたんですよねぇ。麗子さんだってそれは知ってるでしょう? 孝哉くんも麗子さんもいかにも私の為ですよって偽善者ぶって色々してくれたけど、今思えばそれもこれも本当は偽りの善意だったんでしょ?」

「い、偽りって……」

「偽りでしょ。嘘ってことですよ」

「嘘なんかじゃ、偽りなんかじゃ——」

「偽りですよ。今回のことで私、気づいちゃいました」

「気づいたってっ——」

「あのね、麗子さん。私、孝哉くんに拾われるまで、どんな生活してたかわかりますか? 最悪ですよ? ミヨちゃんだけが、ミヨちゃんだけがそんな私の唯一の救いで。そのミヨちゃんの紹介で繋がった善意溢れるいいおじさんとお姉さんだと思ってたのに……。自分たちの復讐のために、私を、それにミヨちゃんの大事な御面様を利用したいだけ利用したんだってことにようやく気づいたんですよ」

「それは、それは、誤解だよ里香ちゃん!」

「誤解!? 誤解ねぇ、本当に? 嘘だね! 三日間の設備メンテナンス。関係者以外誰もこない山奥の別荘。それもこれも、孝哉くんが準備したんでしょ? だって、ここの設備関係は孝哉くんの会社のシステムが入ってますもんね。ほら、あそこに見える防犯カメラ。あのカメラから孝哉くんもこれを見てるんじゃないんですか?」

「それは——」

「はい図星〜! 本当に最低! 信じてたのにっ! でも、昨日ここでビデオの映像見て、ああ、そうなんだってやっとわかりましたよ。だって、あのビデオテープ、私がミヨちゃんに預けたやつですもんね。もしかして私が学校にもまともに行ってないような馬鹿だから、最後まで気づかないと思いました?」


 そこまで言うと木下さんは立ち上がり、「良雄さん、いいことを教えてあげますよ」と、良雄さんの方を向いた。


「さっきから出てくる名前で知ってる名前はありませんでしたか?」

「知ってる名前……?」と、良雄さんが訝しげに答えると、木下さんは、「気づかないんだ」と言った後で、「良雄さんのお兄さん、孝哉くんがこの計画の首謀者でーす!」と戯けたように言った。


「あ、兄貴がっ?!」

「そう! 良雄さんは、本当に自分には関係のないことだと思ってるんですね。反吐が出ますよ」

「なにぃ! どう言うことなのか説明しろっ!」

「それが、人にものを頼む態度ですか? 豹変ぶりに驚きますよ。ほら、霧野さんも後ろで驚いた顔してますよ? いいんですか? 子供達にも地元の人にも大人気の山の家のよっちゃんがそんな態度で?」

「ふっ、ふざけるなぁっ!」


 良雄さんが声を張り上げると木下さんは「超うける!」と笑い転げた後で話を続ける。


「ああ、面白い。いいよ、教えてあげますね。すべての始まりはうちの死んだ母親が持っていたビデオテープなんですよ。ね? 麗子さん?」

「そ、それは違うよ、里香ちゃん!」

「ちがわねぇよ! どの口が言ってんだ!」


 木下さんはレイコさんを蹴り飛ばした後でその横にしゃがむと、ナイフを喉元に突きつけ、「この口、チャックしてあげますよ?」と言いながら口元まで刃先を進めた。それでもレイコさんは「やればいいよ」と、それに動じず話し続ける。


「や、やりたかったら、やればいいよ。それで里香ちゃんの気が済むなら……、でも、本当に利用したいと思ってたわけじゃなく、私たちは里香ちゃんに——」

「あああああ! うるさいうるさいうるさいぃ! お前に私の気持ちなんて分かんない! まじで偽善者ムカつくわ!」


 そう言うと木下さんは立ち上がりこちらを向く。


「はぁ〜! さてと。話の続きですよねぇ。良雄さんも知りたいでしょ? だって、お姉ちゃんのレイプされてる動画見ちゃったんですもんね。おっと、そんな風に私を睨んでも、私が殺したわけじゃないですよ。でもやっと当事者意識が出てきたって感じで、その顔、マジいい感じです!」

「なんだとっ!」

「はいはーい、もっと! ほらっ! もっと! 怒って怒って! あはははははは! 最高〜!」

「ふざけるなぁっ!」

「はああ、楽しい。いいよいいよ、ちゃんと教えてあげますよ。始まりはさっきも言ったように、私の死んだお母さんが持っていたビデオテープなんですよ」


「お母さん……」と思わず声が漏れる。やはり、さっき映像に映っていた木下さんに似ていると思った女性は、木下さんのお母さんだったのだ。


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